茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第788回「月について」

脳科学者・茂木健一郎さんの11月28日の連続ツイート。 本日は、「随想系」ツイートです。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

2012-11-28 06:23:04
茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート第788回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、「随想系」ツイートです。

2012-11-28 07:28:56
茂木健一郎 @kenichiromogi

つつ(1)昨日、夜道を歩いていたら、風が随分と冷たかった。それで、空を見上げたら、雲がふしぎなほど明るく浮かんでいて、満月が見えた。雲が照らし出されているのは、満月があるからかな。それでも、星はきれいに輝いて見えた。冬の空は、冴え冴えとしている。ジャケットの前をしめて歩いた。

2012-11-28 07:30:37
茂木健一郎 @kenichiromogi

つつ(2)小学校に上がる頃、初めて夢中になって聴いたクラシックのレコードが、ベートーベンの『月光』だった。アルフレッド・ブレンデルの演奏。第一楽章は、湖面に月の光が反射して、きらきらと輝いているような印象がある。第二楽章は、月の影響の下での明るい喧噪。そして怒濤の第三楽章。

2012-11-28 07:32:26
茂木健一郎 @kenichiromogi

つつ(3)ベートーベンで月光に対する詩的イメージのようなものができて、それで、月がなんとはなしに気になり始めた。ところが、現代では、月の光はなかなか感じることができない。どこに行っても明かりがあり、かすかな月光は対照において消されてしまう。現代は、月光が感じにくい時代である。

2012-11-28 07:34:26
茂木健一郎 @kenichiromogi

つつ(4)ある時、「角度」に注目すれば月光を感じられるのだと気づいた。当たり前だが、光源の位置が空で固定されている。それで、夜の道を歩く時など、自分の影を見て、それが歩いても変わらないあたりにあることを確認して、ああ、これが、月光なのだなと思った。微少なものを確かめる手続き。

2012-11-28 07:36:00
茂木健一郎 @kenichiromogi

つつ(5)高校の時には、月に向かって手を挙げている女の人の絵を良く描いた。あの頃は、私はどちらかと言えば内向的だったし、「月の時代」だったのだと思う。その絵だけを見たら、まさにlunaticという印象を与えたかもしれない。月と狂気は、ヨーロッパの伝統においては深く結びついている。

2012-11-28 07:37:22
茂木健一郎 @kenichiromogi

つつ(6)そんな風に月に興味を抱いてきたから、石川賢治さんの写真集『月光浴』に出会ったときは、すばらしいと思った。その中にあった文言に、衝撃を受けた。月の明るさは太陽の465000分の1とある。なんらかの数値が介在するには違いない。それが、あのような圧倒的質感の差となる。

2012-11-28 07:38:44
茂木健一郎 @kenichiromogi

つつ(7)なぜそのことを今朝思い出したかというと、ちょうど私のツイッターアカウントをフォローして下さっている方が、今、ほぼ465000名。すると、フォロワー全体を太陽とすれば、一人ひとりは、月のような存在だということになる。そのように考えると、しみじみと感慨深い。

2012-11-28 07:39:59
茂木健一郎 @kenichiromogi

つつ(8)現代を生きる中で、いろいろなことにかまけていると、つい、かすかで静かなものたちへ耳を傾けることを忘れてしまう。昨日、夜の道を歩いていて、月を見上げたときに感じた「はっ」と我に還る感覚は、自分なりの、バランスを回復し、調和を図ろうという心の動きだったのだろう。

2012-11-28 07:41:36
茂木健一郎 @kenichiromogi

つつ(9)石川賢治さんは、昼間は太陽が邪魔をしている。夜は、月光を通して、地上のものたちと宇宙が直接つながっているとおっしゃった。かすかなものの方が、むしろ万有へと至る道である。そんなことを今朝はひととき考えながら、再び、騒がしく雑多なものたちがあふれる日常へと戻っていく。

2012-11-28 07:43:35
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第788回「月について」でした。

2012-11-28 07:43:59