高橋源一郎氏、山之口貘についてつぶやく
ぼくは、小説でも詩でも(実は批評でも)、作者の「声」が聞こえる(ような気がする)ものが好きで、それは「いい・悪い」の問題じゃなく、「好き・嫌い」の問題だから仕方ない。特に、詩の場合には、小説より、「声」がダイレクトに響く(ような気がする)。
2010-08-08 18:15:01そういうわけで「いちばん好きな詩人は誰?」と訊ねられると、「金子光晴」と答える(編纂した詩集もある)。でも、正直にいって「いちばん」を選ぶのは難しい。その金子光晴が「日本のほんとうの詩は山之口君のやうな人達からはじまる」といった山之口貘はやっぱり好きで、時々発作的に読みたくなる。
2010-08-08 18:18:27「僕には是非とも詩が要るのだ/かなしくなっても詩が要るし/さびしい時など詩がないと/ よけいにさびしくなるばかりだ/僕はいつでも詩が要るのだ/ひもじいときにも詩を書いたし/結婚したかったあのときにも/結婚したいという詩があった/結婚してからもいくつかの結婚に関する詩が出来た」
2010-08-08 18:23:15「おもえばこれも詩人の生活だ/ぼくの生きる先々には/詩の要るようなことばっかりで/ 女房までがそこにいて/すっかり詩の味おぼえたのか/このごろは酸っぱいものなどをこのんでたべたりして/僕にひとつの詩をねだるのだ/子供が出来たらまたひとつ/子供が出来たら詩をひとつ」おしまい。
2010-08-08 18:26:50山之口貘は1903年沖縄生まれ。標準語励行運動を押しつける学校に反抗して、方言(沖縄語)を使って反抗した。標準語とは日本語のこと。山之口貘にとって沖縄は、日本に占領された祖国だった……と考えると、不思議な感じがするでしょう。山口家は薩摩出身で「薩摩の琉球侵入後琉球に帰化」だから。
2010-08-08 18:33:37だから、山之口貘にとって「日本(語)」は戦う相手だったようにも思える。そんな風には見えない、柔和な外見にもかかわらず。もう一つ朗読します。「兄貴の手紙」。
2010-08-08 18:37:16「大きな詩を書け/ 大きな詩を/身辺雑記には飽き飽きしたと来た/僕はこのんで小さな詩や/身辺雑記の詩などを/書いているのではないけれど/僕の詩よ/きこえるか/ るんぺんあがりのかなしい詩よ/ 自分の着る洋服の一着も買えないで/月俸六拾五円のみみっちい詩よ」
2010-08-08 18:40:24「弁天町あぱあとの四畳半にくすぶっていて/物音に舞いあがっては/まごついたりして/埃みたいに生きている詩よ/兄貴の言うことがきこえるか/ 大きな詩になれ/大きな詩に」。以上。
2010-08-08 18:42:29RT @FShinsaku @takagengen 標準語との闘い。生まれ育った沖縄のことなのにリアリティが持てません。基地も沖縄戦もしかり。どこか他人事。少しずつ考えるけれど、バラバラでまとまりません。『わからない』というのがいつも行きつくところ。
2010-08-08 20:32:09その「わからない」感じがいちばん大切です。安易に「わかる」必要はありません。そこから考えるしかないからです。 RT @FShinsakuこの『わからない』感じは僕だけのものじゃなくて、若い世代には多いと思うのです。でも、新聞からもテレビからも聞こえてこない不思議。どうするかなー
2010-08-08 20:34:04