仮面ライダーV3 宮内洋さんトークショーまとめ
あれもそれもオフレコ話すぎてレポっていい部分がよくわからない。山口暁さんのことを「大嫌いです」といいはなったあと、「そして大好きです」と言って、デストロン時代は役を大事にするため、馴れ合わないように昼も別にとってバスも離れて乗ってた。その後仲間になってからは一緒に食べた。
2012-12-02 22:09:20宮内洋さん「惜しいヤツを亡くしました、今でも元気だったらここに呼んでね、一緒にトークしたり酒飲んだり… 『おい山口!!』つったら『はぁ〜い!』ってね」
2012-12-02 22:11:46宮内洋さん「あいつが最後、プルト…プルト?プル?プル…ロケット。クルトン?違うか。プルトンロケット?乗り込んでね、画面ではちゃんとうまくつなげて乗り込んだの見届けるんだけど、実際空見上げても何もないじゃないですか、でもあいつが飛んでくの僕には見えてましたよ。自然に泣けてきてね…」
2012-12-02 22:17:11宮内洋さん「俺は君に4号の名を送るぞ、ってね…そんで親父さんに伝えにいって…。その見届けるシーン、またワガママ言ってね、どうしてもUKで撮りたいって言って。UKつって夕焼けどりのことなんですけどね、それまで待って、こだわって撮ったシーンですよ」
2012-12-02 22:21:38宮内洋さん「キィハンターのときにね、(話しちゃいけないオフレコ)ってことがあって、それから千葉真一さんに全部アクションを教えていただいて。僕はゲストで、いつもよく坂を転げ落ちたり、ボコボコにされたりするやられ役で、そこに崖の高いところから颯爽と千葉真一さんが待てェい!って現れる」
2012-12-02 22:36:36宮内洋さん「そこで僕は学びました、煽りで高いとこから現れる…あ、これがかっこいいんだ!千葉真一さんが颯爽と現れる、僕が崖の下でドデーンと寝そべって倒れてる、これは、かっこいいかっこ悪いの対比なんですよ。僕がかっこ悪ければ、千葉さんが引き立つ。これがつまり仮面ライダーV3です」
2012-12-02 22:40:15宮内洋さん「崖の上から颯爽と現れるのがV3で、崖の下でやられてるのが風見志郎。風見志郎がやられればやられるほど、V3のかっこよさが引き立つ。風見志郎がやられるのは、なくてはならないんです。だから、ギリギリまで風見志郎は変身しない」
2012-12-02 22:42:38宮内洋さん「見てる子供が、なんでお兄ちゃん変身しないの!?やられちゃうよ!ああー!ってはらはらする、だから引きつけられる、そうなって、初めて変身する!そこで、V3かっこいいー!!ってなる。それまで、ぎりぎりまで、風見志郎は戦う。これがね、V3のやられの美学ですよ」
2012-12-02 22:45:11宮内洋「まあ宮内洋がね、ぎりぎりまで映ってたいってのもありますよ、変身しちゃうともう宮内洋は出てこないですからね。だから一分でも、一秒でも、ぎりぎりまで風見志郎として戦ってました笑」
2012-12-02 22:47:52千葉真一さんから学んだ話。「東映ニューフェイスのとき、ある時呼ばれてね、撮影見に行ったんですよ。火薬が怖いから離れたところで見てるわけです。そしたら千葉真一さんが『おい!宮内!お前役者だろ!?役者ならそんなとこで見てるんじゃないよ、カメラの後ろで見ろ!!』ってね…!」
2012-12-02 22:52:02続き。「よし!ってなりましたよ。あのアクションスターの千葉真一が、宮内洋にヒントをくださったんです。その瞬間から、僕のアクション俳優への道が開かれましたね。何物にも変えがたい財産のような…。それで今ここまできました」
2012-12-02 23:28:04順番は前後しちゃうけどラストの話を先に。昨今のいじめ問題について。「僕はよくヒーロー番組とは教育番組である、と語りますが、教育とは何ぞや?教えて育つのか?教わって、自分で考えて育つのか?昔から、いじめは存在しました、メディアが大々的に取り上げないだけで」
2012-12-02 23:31:30「でも、ゲームのように人を殺したりはなかった。リセットすればゲームはまたやり直せる、でも人間はそうはいかない。もし、周りでいじめにあってる子がいたら伝えてあげてください、『正義を信じろ』と。自然と勇気が湧いてきますから。宮内がこんなこと言っていたよおーーーと言ってあげてください」
2012-12-02 23:35:57あとどこから話そう… ゴレンジャーの話でオフレコじゃないのは、「鳥取砂丘が大雪原だった12月24日、世間じゃジングルベルってときに、池に飛び込まされました。撮影終わって、どうやってホテルまで帰ったか覚えてません。『宮内!すぐお湯につかるんじゃないぞ!』って言われて水から…」
2012-12-02 23:40:13順にいきます。幼少のみぎり、合唱団に入ってた。これは著作の『ヒーロー真髄』にそった話なのですが、第一章のみ…「ゴーストライターです!」ということで、レコーディング風景と歌のタイトルあるんですが、実は池袋の会場で歌う姿で、曲名もほんとは「子鹿のバンビ』で全然違うとww
2012-12-02 23:49:26宮内洋さん「新宿生まれの新宿育ちって言ってんですが、母の実家が千葉の銚子で、新宿は小学3年生からでした。なので、ご出身は?と聞かれると、新宿ですって答えるんですが、ほんとは?っていうと銚子かなあ」 ほんとは?ってなんで疑われること前提なんです!?たまらないな!
2012-12-02 23:53:47宮内洋さん「三兄弟でみんなとても優秀でした。上の兄は東大行けって父に言われて、でも失敗して、また失敗して、もういいよ…って言って慶応に入りました。僕のときはなんにも言われませんでした笑 4つ離れた下の弟には、やっぱ諦めきれなかったのか東大行けって言われてましたけど」
2012-12-02 23:57:26「でも慶応の推薦受けてたんでそのまま慶応いって2年間院で大学に残って、もっと残ってくれって言われたけどNTTにひっぱられて、光ケーブル(だっけ?)作ったのうちの弟なんですけど、最近まで千葉工大でも教授やってました。去年辞めたけど。」
2012-12-03 00:01:30「兄も建築系すすんで、もう辞めてます。でも…宮内洋はまだ辞められません!!役者は、死ぬまで、五体満足であれば、役者として生きれるんです。まだ辞めませんよー」
2012-12-03 00:03:36宮内洋さん「僕は、芸術学部進むか経済学部進むか迷って、丹波さんのとこにいたんで相談しにいって、『役者ダメだったとき、潰しがきくほうがいい』って言われて日本大学経済学部へ入って、ちゃんと4年間学んで卒業しました。」
2012-12-03 00:07:07