細川忠興公の歌

歌道をしなかったという逸話もあるけれど、案外残っているような気がしたので、目についたものをぼちぼちメモ。出典は綿考輯録とか松井先祖由来附とか。
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はしょ @hassyo

時を得し玉の光のあらハれて見ゆるをけふのもろ人の袖(『綿考輯録』第二巻(巻十)八十頁)

2012-12-07 22:16:20
はしょ @hassyo

あと「時を得し~」は寄松祝という題だそうだ(出典同じ)

2012-12-07 22:19:18
はしょ @hassyo

君か代のなかきためしハ松に住鶴の千円をそへてかそへん も忠興公の歌かな? これは天正十年四月十六日(一ニ十五日)の和歌の御会で詠まれたものかと

2012-12-07 22:18:17
はしょ @hassyo

あたし世をさこそ恨め たらちをの別れハよその袖さへもうき

2012-11-25 22:51:29

これは康之公が亡くなったときの歌。

はしょ @hassyo

立別れ松に名残ハおしけれと思ひ切れとの天の橋立

2012-12-10 07:46:45

豊前に移封になるときの。丹後が離れがたく、天橋立で詠んだとされる。

はしょ @hassyo

はゝからす黒田の稲を推つけて道になしても人ハ通らぬ

2012-12-12 01:07:21
はしょ @hassyo

藤堂泉州の狂歌で 関のとを留れハ黒田荒果てひらかて走るいまの百姓 ていう狂気の返しらしいんですけど、激しいな

2012-12-12 01:08:28
はしょ @hassyo

万代も直きにすめよ渡川かへらぬ水のあはれ思はゝ

2012-12-12 03:23:43

辞世の句。「十二月二日申ノ刻、於八代御城御逝去被成候、御年八十三」(『綿考輯録』第三巻(巻廿五)三百九頁)