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be的リーディング超訳

beがやってくれた明日のリーディング対策まとめ。
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@tomato_be25

その成功(≒グラミーンバンク創立)が、1997年にアメリカでマイクロクレジットサミットを共に開催する137ヵ国近い国々を集めることに成功した。

2012-12-11 22:04:46
@tomato_be25

貧しい人々のためのグラミーンバンクは現在会員数250万人になるまで成長し、(うち)会員の94%が女性である。我々は(現在)23億ドルを融資している。このマイクロクレジットの方法は、アメリカやフランスを含む約60ヵ国で利用されている。

2012-12-11 22:03:21
@tomato_be25

私は貧しい人々だけのために銀行を建てる許可を得るため中央銀行と官庁に走り回り始めた。(それには)長い時間がかかった。ついに1983年に政府は我々が独立銀行を建てることを許可した。―これがグラミーンバンクがどう生まれたか、ということである。

2012-12-11 21:59:12
@tomato_be25

私はその辺り一帯でこのシステムをやってみた、そして、それは(もまた)上手くいったが、銀行家を説得することは出来なかった。そして私は思った、「なぜ私はこんな銀行家を追いかけて(説得してまわって)いるのか?私が自分自身の銀行を建てて、全ての問題を解決するのはどうか?」

2012-12-11 21:56:17
@tomato_be25

私は言った、「分かりました、やってみましょう」私は他のいくつかの村でこのシステムをやってみた。それは(も)上手くいったが、銀行家はまだ満足していなかった。彼らは「いいや、これはまだ十分大きくない」と言った。

2012-12-11 21:51:43
@tomato_be25

あなたには生徒がいて、そしてあなた自身が一生懸命働いているからです。でも私たちがやっても、これは上手くいかないだろう」「それはおかしいです」と私は言った。「あなたが複数の村でこのシステムをすると上手くいかないだろう」と銀行家は言った。

2012-12-11 21:48:36
@tomato_be25

このシステムは(ちゃんと)うまくいっているではないですか。(≒私はもう必要ないのでは?)あなたは、貧しい人々は貸付金を返済しないと言いましたが、今、彼らは(きちんと)返済しています。」銀行家は言った、「いやいや、あなたはひとつの村でなら出来る。

2012-12-11 21:43:25
@tomato_be25

村の人々は私が貸したお金を(きちんと)返済したので、私はより多くのお金を借りて、貧しい人々により多くの融資を発行できた。そのシステムはどんどん大きくなった。私はそれから、銀行に話した。「なぜあなた方はこのシステムを自分自身で行わないのですか?なぜ保証人として私が必要なのですか?

2012-12-11 21:40:31
@tomato_be25

私は銀行から貸付金を受け取った、そして、勿論、その貸付金を返済しなければならなかった。私が銀行にお金を返すためにも、村の人々が私から借りたお金を返すことはとても重要なことだった。(⇔村の人々が私から借りたお金を返すことはとても重要なことだった。私が銀行にお金を返すためにも。)

2012-12-11 21:32:51
@tomato_be25

§3:私は他の銀行家とも話をしたが、結果は同じだった。1976年、私は一人で何かをすることに決めた。私は自分の名義でいくつかのローンを組み、村の貧しい人々にこのお金を貸し始めた。それは私が今日していることの始まりです。

2012-12-11 21:29:39
@tomato_be25

「しかし貧しい人々は」と私は言った、「彼らはお金を持っていない。(ましてや)彼らは土地も所有していない。そして、あなたは彼らはお金を貸そうとしないので、彼らは(以前の貸付金を)返すための融資をこれまで持てなかったんだ!」彼は再び笑った。

2012-12-11 21:26:21
@tomato_be25

私は理由を尋ねた。「なぜなら融資を受けるためには、あなたはいくらかのお金を持っているか、払い戻す為にある程度の土地を所有していなければならないからだ。あなた自身に良い信用格付けがなければならない。つまり、あなたは(貧しい人々が)以前の貸付金を払い戻したことを示さなければならない」

2012-12-11 21:22:29
@tomato_be25

私はこれを行うための方法がなくてはならないと考え、そこで銀行家に会いに行った。42名の貧しい労働者に30ドルの貸付(融資)をすることについて話したとき、彼は笑った。彼は、それが可笑しな考えだと思ったのだ。「我々は貧しい人々にお金を貸すことはできない」と彼は言った。

2012-12-11 21:17:06
@tomato_be25

ここには実際の生活の状況があって、ここでは30ドル(さえ)あれば42名の人がそれによって生活費を稼ぐことができる。それなのに我々の社会はそんな小さな貸付金を、個人にも小さな企業にもしてやることができないのだ。

2012-12-11 21:10:30
@tomato_be25

一週間で私たちはこのような人42名のリストをまとめた。42名全員に必要な総額はちょうど30ドルだった。私は恥ずかしく思った。教室で私が話をしていたあの大げさな数々の理論は、いったい何の役に立つのだろうか。

2012-12-11 21:06:34
@tomato_be25

この女性が自分の(が使う)竹を購入できるようお金を少し用意さえすればいい。そうすれば彼女は良い値段(妥当な値段)が付く場所でスツールを売ることが出来る。私は生徒の一人を連れて、商人からお金を借りていて、それ相応の稼ぎを受け取っていない者が他にいないか確かめるために数日間村を回った

2012-12-11 21:02:31
@tomato_be25

商人は借金した分を差し引いて、かなり低価格でスツールを買ったため、彼女には2ペニーしか残らなかった。彼女の仕事はほぼ、ただ働きのようだった。彼女は奴隷のようだった。(しかし)これはとても単純な問題のようだ。あなた(聞き手)はこの問題を解決するのに大した理屈は必要ない。

2012-12-11 20:48:18
@tomato_be25

ある日私は竹の腰掛け椅子(以後スツール)を作って、1日にたったの2ペニーを稼ぐ女性に会った。私には、皆が一生懸命働いてもほんの少ししか稼ぐことができないのを理解できなかった。彼女はその理由についてスツールを作る為の竹を買うお金が無かったので、商人からお金を借りたのだと説明した。

2012-12-11 20:41:35
@tomato_be25

なぜ彼らは彼ら自身の生活を変えることが出来ないのか。なぜ彼らは生活を向上させることが出来ないのか。経済学者としてではなく、教師としてではなく、調査員としてではなく、ただ単に人として、隣人として、私はこの問題を話し、問い続けた。なぜこの問題が彼らのいるところにあり続けるのだろうか。

2012-12-11 20:37:03
@tomato_be25

チッタゴン大学のキャンパスの周りには多くの村があるので、私が実際の世界の経済学を学ぶためにしなければならなかった全てのことはただ、大学から歩いて外に出て、村に入るということだった。私は村に住むとても貧しい人と話すことを選んだ、なぜならその問題のある場所だからだ。

2012-12-11 20:31:10
@tomato_be25

もし、私が(自分の)教えていることを信じなければ、どうやって生徒たちにそれを信じることを頼めるだろうか?」だから、私は実際の世界の経済学を学ぼうと決めた。私の先生はバングラデシュの貧しい人々だとする。

2012-12-11 20:28:28
@tomato_be25

その悲惨な通り(≒哀れな現実)では全く違う世界を見ることになる。皆は負けている。誰も勝ってなどいない。私は思った、「私が(自分の)教えていることを信じないのなら、経済学を教える意味は何だろうか?

2012-12-11 20:25:55
@tomato_be25

教室から実際の世界に出ていくことは、私にとって映画館から外に出ていくのと同じように感じられる。映画では全てが規則的なのだ。あなたは英雄が勝つと予想する、そして結局、英雄は勝つ。しかし映画館から出てくると、また教室から出てくると、

2012-12-11 20:22:08
@tomato_be25

1974年、私たちは大飢饉に見舞われ、人々は通りで死んでいった。(自分が)教えていたことにとても挫折感を抱いた。授業の中では経済学の理論は正しいように思え、全てが上手くいく。しかし大学を出て実際の世界を見ると大違いで、うまく働いていることは何一つない。

2012-12-11 20:16:17
@tomato_be25

§1:1972年、バングラデシュがパキスタンから独立した後、私は祖国に帰りチッタゴン大学の経済学部の学長になった。(独立したことで)誰もが生活水準が向上するだろうと期待したが、全ての人がそれに驚いた。バングラデシュは物凄い速度で降下し始めたのだ。

2012-12-11 18:41:19
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