ゲームの多視点、複数キャラを操作するということについて
ファンタジーナイト(1987)は現代大戦略(1985)とファイアーエムブレム(1990)の間にちょうど挟まる感じです.
2010-08-14 11:02:55シルバーゴーストが1986.こっちのがFEに近いよね. http://www.amusement-center.com/project/egg/omoide/index.php?itemid=566
2010-08-14 11:08:11この時代のことは雑誌(ログイン)知識に過ぎないので(パソコンなんて高いもん持ってない!),じっさいやってた人の感覚は知りたいところよ.
2010-08-14 11:14:31ボコスカウォーズ(1983)はほんとに知らない.おれ8歳だぜ.Wikipedia情報によると,これも経験値っていう刻みじゃないけど成長要素があったのね.
2010-08-14 11:30:09アナログのチットで表現するのはめんどくさいような細かい刻みで経験値が表現されてるのを見ると,コンピュータらしい処理だなぁ,と思うわけです.
2010-08-14 11:33:41「ロールプレイングシミュレーションの幕開け」『ファイアーエムブレム』はそれまでもあった要素の組み合わせに過ぎないのだけれど、コピーでも謳ったRPGとSLGの融合がもたらしたものは大きい。個々のユニットが人格を持った個人で、敗北すると辞世の句を残して死に、補充されるのは全くの別人。
2010-08-14 14:01:49当時の周辺ジャンルのゲーム、例えば『ラングリッサー』なんかと対比してみるとFEの特殊性がわかる。名前を持った武将と別に名無しの傭兵がいるかいないかでの受ける印象の違いとか。
2010-08-14 14:06:47『ウィザードリィ』のプレイヤーズフォーラムや、『ファイアーエムブレム』の公式大百科などで相互に語られる、ユニット、キャラクターの「ロスト」とそれに対する「リセット」という類似性。死ぬ、消滅するから立ち上る操作の緊張感、キャラクターへの思い入れ、実在感。
2010-08-14 14:10:06ユニットが固有の人生をもった個人であることは過去のSLGでもあったので(トロイ戦争ものとか)、FEがそこんとこで特別だったのだとすればその見せ方に新しいなにかがあったのかも、という感触です。それがさっきあえて保留した部分。
2010-08-14 14:13:05FF6で忍者のひとを死なせてしまったとき、脳裏をよぎったのが『ファイアーエムブレム』だったな……あるいは『FE』再プレイ時に忍者のひとが頭をよぎったのかも知れないが、とりあえずこの二つのイメージが自分の中で結びついていたのはたしか。
2010-08-14 14:13:09ゲームプレイの失敗で得る、登場人物を助けられなかったことへの罪悪感。それがあるからこそ再プレイして全員を救いたいと思う。リセットして運命を回避しようとする。『スウィートホーム』『セプテントリオン』『コープスパーティー』『YU-NO』『ガンパレード・マーチ』etcにも通じるもの。
2010-08-14 14:13:49名無しの有無の差はありますね。 RT @H926 当時の周辺ジャンルのゲーム、例えば『ラングリッサー』なんかと対比してみるとFEの特殊性がわかる。名前を持った武将と別に名無しの傭兵がいるかいないかでの受ける印象の違いとか。
2010-08-14 14:15:34登場するユニット全てに個々の人格があり、しかもドラクエ的なやり直しのきかない「死・ロスト」の可能性を内包している。また、彼らは世界の中でそれぞれ関係を持ち、敵軍に兄がいれば妹の説得で仲間になることもある。しかし、気づかなければ或いは妹が死んでいたら彼はただの敵として死んでいく。
2010-08-14 14:28:41僕はギャルゲにしてもSRPGにしても全ルート踏破することは殆どないんだけど、エムブレムに関しては仲間にできる奴全員仲間にして一人も殺さないようにすれば一回のクリアでいわゆる「コンプ」に近い達成感が得られるのが良いと思う。
2010-08-14 14:31:22糸井重里がかつてシナリオが分岐するゲームについて「ずるい」「潔くない」と批判していたことがあったけど、一方で分岐を含めた世界全体を演出し、呈示するゲームも出てきた。しかしシミュレーション・ゲームにおける分岐はそのどちらも該当しない感じはする……。
2010-08-14 14:34:26ファイアーエムブレムに関して言えば、「100人がやったら100通りの遊び方ができるように」、というような発言が制作側からあった気がする
2010-08-14 14:34:59