山本七平botまとめ/【アパリの地獄船⑥】/惨劇の引き金となりうる「飢えの力」と「死の恐怖」

山本七平著『ある異常体験者の偏見』/アパリの地獄船/170頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

1】…渾身の力を振ってはしけに乗る、ほっとした瞬間、滝のように流れる汗、狂ったように打つ鼓動、犬のように舌を見せてはあはあと息をつき、必死に頭を振って目の前が暗くなるのを防ごうとする。…はしけは小汽船に近づいた。近よってみる船は、意外に大きい。<『ある異常体験者の偏見』

2012-12-12 22:28:18
山本七平bot @yamamoto7hei

2】…舷側には縄梯子が下がっている。船上で米兵が二人、手を振って大声で何か叫んだ。明らかに昇って来いという合図である。「エーッ、これをのぼれってのか」とだれかが言った。港外だから波はさらに高い。縄梯子の先が、はじけにとどいたり離れたりする。

2012-12-12 22:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

3】…覚悟をきめたように、端から一人ずつとびついて、縄梯子をのぼって甲板へ消えていく。私も夢中で跳びつき、しがみつき、やっと甲板まであがった。くらくらっとしたが、すぐにはっと緊張した。目の前に自動小銃があったからである。この緊張は生きる者の本能とでも言うべきものであろう。

2012-12-12 23:28:00
山本七平bot @yamamoto7hei

4】自動小銃を手にした兵士は、顎で船倉の開口部を私に示した。下をのぞくと光に慣れた目には中が真っ暗に見え、恐ろしく深く見える。垂直の鉄パイプの梯子が一つとりつけてあり、いま一人がそれをつたって降りて行くところであった。私も、一歩一歩踏みしめるようにして、真っ暗な船倉へと下りた。

2012-12-12 23:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

5】そして鉄板の床が足にふれた途端、一切の緊張がゆるんだ。それから先のことは覚えていない。気がついてみると、梯子からやや離れた鉄の床の上に、軍用毛布をひろげて寝ていた。これだけは、自分でやったらしい。何時間たったかわからない。

2012-12-13 00:27:49
山本七平bot @yamamoto7hei

6】日は既に暮れかかり、開口部からうすぐらい密雲の空が見えた。船倉の中は、人の顔が見えないぐらい、暗かった。千人近くが乗り込んだ。後で知ったことだが警乗の米兵は三名、武器は自動小銃が二挺であった。 この比率は、鈴木氏の記す千五百人対一万人よりはるかに大きい。

2012-12-13 00:57:47
山本七平bot @yamamoto7hei

7】この千人がたとえ素手でも、もし暴動を起したら、確かに、二挺の自動小銃では弾圧は不可能である。一弾倉は百二十発にすぎないから……。 しかし鈴木氏の場合と違って、数十日前までは殺し合っていたとはいえ、戦争はすでに終っていた。

2012-12-13 01:27:54
山本七平bot @yamamoto7hei

8】従ってすべてが正常なら、両者の間に何の摩擦も緊張もなく、「兵隊と捕虜が手真似で話を」するといった状態であったろう。 しかもわれわれは衰弱し切っており、この時の中国人捕虜のように暴動を起すエネルギーはもう残っていなかった。 考えてみれば…結局はこれが幸いしたのだが……。

2012-12-13 01:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

9】半ば失神に近い状態から目を覚したわけだが、乗船に非常に手間どったのであろう、もうすっかり夜なのに、船はまだ動いていなかった。真っ暗な船倉には、ロウソクの灯が三つほどゆらめいていた。携帯用のロウソクを捨てないで、持っていた人がいたらしい。

2012-12-13 02:27:49
山本七平bot @yamamoto7hei

10】人が動くとゆらゆらゆれる大きな影が船倉の壁の上を動く。ロウソクの灯はそのまわりだけを赤く照らし、人の顔らしいものが、時々照らし出されては消える。開口部から見える空は真っ暗で、星は見えない。 こういう状態になると、人びとは全く他人に無関心になる。

2012-12-13 02:57:39
山本七平bot @yamamoto7hei

11】床にはほぼびっしりと人が寝ているのに、隣りが死んでいても気づかない。一人あたりのスペースは大体アウシュヴイツ並みだからわかる筈なのに気づかない。だがこのスペースは日本軍の輸送船に比べればむしろ贅沢に類する。私は…あたりを見まわすと、またそのまま鉄板の床に頭をつけた。

2012-12-13 03:27:48
山本七平bot @yamamoto7hei

12】やがて船は一ゆれした。…動き出したらしい。不意に興奮した大声がきこえた。「オイ、北へ向っとるゾ、北だ、北だ、日本に帰るんだ、きっと」「日本に帰る」という言葉に私は思わず頭をあげた。赤いロウソクの灯の近くで、二、二人がうずくまって、一心に携帯磁石を見ているらしい。

2012-12-13 03:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

13】「本当に北か」暗闇から声がとんだ。「間違いない、北だ」何となくざわめきが起った。「そうだろうなあ、アメ公はオレたちに無駄メシを食わす義理はないもんな」という声がした。 「生きて内地へ帰る」これは夢のような事であり、その時まで我々は、到底ありえない事のように感じていた。

2012-12-13 04:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

14】従って人々ははじめは明らかに半信半疑であったが、しかしよくよく考えてみると、戦争はすでに終っており、アメリカ軍は、何も我々をフィリピンにとめおいて給与する必要はないはずである。帰還がおくれるなら、それは輸送問題以外にはありえない。しかし我々はすでに船に乗っている。

2012-12-13 04:57:39
山本七平bot @yamamoto7hei

15】船に乗せた以上、そしてこのまま北へ走れば日本につく以上、行先は日本以外にありえない。ほかへつれていくはずがない――どれくらい時間がたったかわからないが、人びとがほぼそれを信じ切ったとき、不意に大声がした。

2012-12-13 05:27:51
山本七平bot @yamamoto7hei

16】「おかしい、磁石が狂ったのか、誰か鉄片を近づけていないか!」「どうした」「船が東を向いた……」「狂いだろう」「アァツ、反転した」「エッ」「南へ向っている…」「エエーツ」全員総立ちといった感じであった。 一体我々を、何の為に、どこへつれて行く気か。暗い不安が船倉をおおった。

2012-12-13 05:57:39
山本七平bot @yamamoto7hei

17】そのとき誰かが鉄梯子を下りてきて言った。「おかしい、おかしいぞ」「どうした」。 彼は夕食を配食してくれと言いにデッキに昇っていったらしい。 「お前たちの食糧はない、と言うんだ」「ナニッ」――

2012-12-13 06:27:48
山本七平bot @yamamoto7hei

18】この言葉で、動けない筈の私がはね起きた。 その言葉はまるで「お前たちは生かしておく予定でない」というように私の耳にひびいたのであった。

2012-12-13 06:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

19】鈴木氏の書いている「兵隊は本当に一生懸命メシを作ったんですよ。本当に殺るつもりなら、何であんなにこっちが犠牲になってやるもんですか……」と、中国人の「捕虜の間に、おびえた表情があまりなかった、と思います」の間には、明らかに関連がある。

2012-12-13 07:27:52
山本七平bot @yamamoto7hei

20】彼らは、日本兵が一心不乱に自分たちの食事を作ってくれるのを目にしている間は、たとえそれが足りなく「草を食っ」ても、一種の安心感と信頼感があるので、暴動を起さない。

2012-12-13 07:57:38
山本七平bot @yamamoto7hei

21】しかし肉体的には徐々に飢える。 その「飢えの力」と暗闇と水の恐怖とおそらく配食の停止が、死を予感させ、それが突発的な暴動へと転じたのであろう。 一方、護送する側には、数の開きという恐怖がある。この恐怖からする警戒心が、逆に彼らの不安を高めていく。

2012-12-13 08:28:05
山本七平bot @yamamoto7hei

22】こういうときは、だれかの投げた一個の石が、または全くの不注意からする一発の暴発が、起爆薬になってしまう。 まっくらな船倉、打ち切られた配食、全くわからぬ行先――千人近い捕虜と、三人の警乗兵を乗せた船は、暗夜の海上を、どこかへ向って南下して行った。

2012-12-13 08:57:43