- nonomachon
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@kou1675 少なくともリシャールは人を信じられるようになったはずで、もはや悪ではなく善の道へ到達していたはずで、それなのにやっぱりギロチン。こんなことをしていたら、この世界に善なんていっこうに増えないことになります。
2010-08-15 12:11:46@kou1675 そしてリシャールを悪へ追いやった虐待者たちへは何ひとつ処罰が届きません。彼らはリシャールがギロチンで首をはねられる瞬間を興奮しながら観賞することさえできます。
2010-08-15 12:16:21@kou1675 悪をいくら裁いたって根源悪は消えません。じゃあその裁かれた悪は何のために死ぬ必要があったのでしょうか。悪を殺すことは、悪がかつて無辜の人を殺したことと何ら変わりありません。
2010-08-15 12:19:17@kou1675 イワンは言います。「おれは自分の目で見たいんだよ。鹿がライオンの隣に寝そべったり、切り殺された人間が起きあがって自分を殺した相手と抱きあうところをな。」そのあとで、そんなことはありえないと断じていますが、これくらいしか方法はないと思います。
2010-08-15 12:23:08@kou1675 そういう意味で、僕は死刑には反対しています。命を奪ってしまったら、永遠に取り返しがつかないからです。死刑に処することは、行き着く先は人類など亡びてもいいんだという終末思想だと思います。善良な市民たちは、殺人者の快楽をいっしょに味わいたいだけなのかもしれません。
2010-08-15 12:27:35@kou1675 死刑に限らず、あらゆる制度や仕組みというのは、失敗や過ちを許容する設計にするべきです。それには報復を許容するしかない。相手に致命的なダメージをあたえないという範囲で、あらゆる報復を推奨すべきなんです。
2010-08-15 12:32:54twitterで最近誰かが誰かをクズだと批判する発言がありました。これはとても良いことだと思います。むかついたらクズと言ってやればいい。言われた方もぶちきれてあらゆる罵詈雑言を吐けばいい。スパム返信のようなことを大量にやって不快感を与えてやればいい。
2010-08-15 12:38:02ネットは究極のサンドボックスです。その中で、人は思う存分殺し合えばいい。いくら殺し合っても、ネットには失敗を許容する仕組みが備わっているから問題にならないのです。誰一人命を奪われることはありません。
2010-08-15 12:39:45ネットは関心領域の近い人やリテラシーの高い人など、一言でいうとおもしろい人、を簡単にさがせる。今さら当たり前のことだけど。でも実際、現実世界で、例えば会社でそんな人がいたらとても幸福。ドストエフスキー読んで、ニコ動でするめいか見て、ネットにはそんなが人たくさんいる。
2010-08-15 12:54:17@inouereo 本当にそう思います。僕もリアルで知っている人でドストエフスキー読んでるのはたっちんくらいだし。ネットでも死ぬことはない。いくら恥をかいても構わない。絶望さえしなければ、何度でも立ち上がってより高みへ行くことができる。こんなに当たり前にすばらしいことは他にはない
2010-08-15 12:58:08封筒は縦書だが、便箋は横書仕様。妻によると、横書仕様でも縦に使えばよいとのこと。便箋の白さはまるで処女雪のよう。俺のペンが・・・
2010-08-15 17:27:45