『J・R・R・トールキンというテーマ』について語る事について

4
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

プロの物書き、それも物語を書いたり、物語にんついて論じたりする人間にとって、「J・R・R・トールキン」というテーマに分け入っていくことは突然、ヨットに乗せられて世界一周してらっしゃいと海に放り出されることに似ている。

2012-12-15 11:29:19
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

半世紀以上の知識の蓄積から生まれた海図(注釈や索引)があり、その海を旅するために調整されたコンパス(解説書)もある。しかし、数十年前から更新されていない古い古い海図であったり、先入観や風聞という磁場にコンパスが歪められていたりすると、その航海は途端に死出の旅となってしまう。

2012-12-15 11:30:05
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

何となくいい気分で航海していると、「彼/彼女」は突然、自分の船の周りを殺気だった海賊船がぐるりと取り囲んでいるのに気づく。「お前は、この海の掟を破った」という宣告と共に、容赦ない鉄の砲弾が叩きこまれる。

2012-12-15 11:30:59
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

「彼/彼女」はただ美しい海を気ままに旅していただけだった。そこに掟があることなんで、知りもしなかったのだ--映画『ロード・オブ・ザ・リング』日本公開時に、字幕翻訳を担当された戸田奈津子さんの身に起こったのは、つまりそういうことだろう。

2012-12-15 11:31:46
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

この海では、僕は砲弾を嬉々としてぶちこむ側の人間です。掟というのは先人たちの不断の努力と労苦によって編まれた経験智の集合体であり、観光客(読み手)として訪れたならともかく、航海者(書き手)として生き延びるためには尊重するに越したことはありませんよね。これ、ジャングルの掟。ウララ。

2012-12-15 11:32:34
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

映画『ホビット』の公開に伴い、『ホビットの冒険』『指輪物語』について触れる文章が、時節の話題、あるいは流行として増量傾向にある。中には、60~70年代に翻訳されたこれらの作品を熟読し、「ああ、トールキンの本ね、よく知っているよ」と自認している方も数多くいらっしゃることだろう。

2012-12-15 11:33:27
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

例えば、トールキンに影響を与えた作品として、ジョージ・マクドナルド『リリス』に触れる人がいるかも知れない。なるほど、この作品が『指輪物語』に影響を与えたというは話は本で読んだ覚えがあるし、ちくま文庫版の帯にははっきり「キャロルもトールキンも影響を受けた」と書かれている。しかし--

2012-12-15 11:34:27
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

実際のところ、トールキンはヘンリー・レズニクの電話インタビューに対して、「自分にはジョージ・マクドナルドの本がどうしても我慢ならない代物だと、今でも思っている」とはっきり言いきっていたりする。

2012-12-15 11:35:21
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

例えばまた、『ホビットの冒険』『指輪物語』を参考に、映画『ホビット』あわせの用語解説を書く人がいたとする。彼/彼女は、『指輪物語』のガンダルフのセリフを読んで、ミスリルについてモリアのみで採掘されると説明するかも知れない。しかし--

2012-12-15 11:36:15
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

『終わらざりし物語』に、ヌーメノールでミスリルが産出したと書かれていることを、数十年前で立ち止まってしまっている彼/彼女は知らないのである。(ガンダルフがその事を知らないのは驚くにあたらない。彼が中つ国にやってきたのは、ヌーメノールが海に呑まれた後のことだからだ)

2012-12-15 11:36:59
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

最悪なのは、事もあろうに『指輪物語』を指して「大人が読んでも十分に楽しめる」とか評する手合いだ。『指輪物語』はそもそも、大人が読むために書かれた物語だった。

2012-12-15 11:37:44
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

「実際のところ、子どもと妖精物語の結びつきは、わが国の歴史上の偶然事にすぎないのである。教育のゆきわたった近代世界では、妖精物語は、ちょうど古ぼけたか、流行遅れになったかした家具が、遊び部屋に格下げになるように、「子ども部屋」へ払い下げられてしまったのだ」(猪熊葉子・訳)

2012-12-15 11:38:32
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

「子どもという種族は--経験が足りない、という共通点をもっていることを除けば、ひとしなみに見ることはできないのだが--大人よりもよけいに妖精物語を好むということもなければ、よりよく理解したりするということもない(猪熊葉子・訳)

2012-12-15 11:39:20
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

トールキン自らが妖精物語とファンタジーについて論じた『妖精物語について』(評論社)で、彼はこのように言っている。妖精物語は女子供の読むものと断じる世間の論調に対する、トールキンのおそろしいまでの苛立ちが窺える。この苛立ちが、大人のためのファンタジー『指輪物語』を彼に書かせたのだ。

2012-12-15 11:40:10
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

トマス・マロリーの『アーサー王の死』、エドマンド・スペンサーの『妖精の女王』--妖精物語(フェアリーテール)の系譜を辿っていった先に存在するこれらの物語は、全て大人のために書かれたものだ。

2012-12-15 11:41:05
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

なるほど、『指輪物語』の前日譚である『ホビットの冒険』は岩波書店のジュヴナイルレーベルである岩波少年文庫に入っている。当たり前だ。この作品は、トールキンが息子たちに語り聞かせた物語を文章化したものなのだから。そのようなことは、『ホビットの冒険』のあとがきにしっかり書かれている。

2012-12-15 11:41:53
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

同様に、『指輪物語』のあとがきを読めば、この作品が誰に向けて書かれたものかはあからさまだ。「大人が読んでも十分に楽しめる〈児童文学〉」? 否(ネガティブ)。「子供が読んでも十分に楽しめる〈成人文学〉」なのである。

2012-12-15 11:42:43
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

無論、これはトールキン自身の「つもり」であって、実際にどのように読まれてきたかとは関係がない。それは事実だ。1970年代、リン・カーターがバランタイン・アダルト・ファンタジーを立ち上げた時、わざわざ「アダルト」の語を掲げなければならなかったあたりに、その葛藤を見ることができる。

2012-12-15 11:43:53
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

しかしせめて、『指輪物語』という作品が、「成人文学」たりたい意志と、「児童文学」と位置づけがちな世評の間で揺れてきたことについて、自覚的であって欲しいとは思う。

2012-12-15 11:44:46
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

J・R・R・トールキンは1973年9月--今からおよそ39年前に亡くなった。しかし、彼の作品はまだ「生きている」。発掘され、解読され、比較され、分析され、編纂され、検証され、そして読まれ、書かれている。

2012-12-15 11:45:30
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

無論、読み手の皆さんがこうした面倒臭い話を気にする必要はありません。良い読書を! そして良い映画鑑賞を!

2012-12-15 11:46:21

参考までに。

順序は逆になりますが、森瀬さんによる映画『ホビット』のファーストインプレッションです。

森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

映画『ホビット』ファーストインプレッション。(若干のネタバレあり) http://t.co/ULdb36nL

2012-12-15 02:49:50