福島で起きたこと まだ終わっていない原発事故

@obatyan1さんが振り返るフクシマ
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obatyan @obatyan1

年間20ミリシーベルトに対する文科省前抗議は5月に入ってからだったと思う。非常に近い人間が抗議行動に参加していたため気にして見ていた。そこには福島瑞穂さんやら山本太郎さんなどが駆けつけていた。文科省の説明はとてもわかりずらく、おそらく自分たちも良く理解できていなかったのだと思う。

2012-12-15 15:58:24
obatyan @obatyan1

その頃、3歳の孫娘が鼻血を出す。妊娠中の次女はツイッターで札幌市の天使病院が被災者を受け入れているという情報を取り、相談してきた。私は迷わず、「それ!良い」と言ったと思う。次女は札幌市に行くことが決まり、鼻血を出した孫娘と長女も同じように札幌市に移動することに。

2012-12-15 16:00:48
obatyan @obatyan1

長女と孫娘の出発の朝、共に荷物を持ち、家を出る時に私が叫んだ。「この子らは逃げるぞー!みんな!後に続けー!!」長女はたくさんの子ども達を教える先生だった。彼女の肩にはその子どもたちの命が乗っていた。だから、できれば一緒に避難したいと訴え続けていた。でももう時間がなかった。札幌へ。

2012-12-15 16:02:51
obatyan @obatyan1

札幌に着いて(私も一緒に荷物持ち)大通り公園でとうきびを食べた。孫娘がうれしそうに外で遊び、とうきびを頬張る様子に涙が出た。これまで一切外に出すことがなかったこの子は、足が弱り、なかなか歩くことができなかった。安いホテルを探し宿泊。

2012-12-15 16:04:51
obatyan @obatyan1

この頃にはもう国も県もとにかく行政の言うこととテレビや新聞は嘘ばっかりだと気付いていた。民主党もダメだ。命を守るという最低限のことさえできない政党だと思い、何事も自力でやらねばと思う。

2012-12-15 16:06:49
obatyan @obatyan1

札幌のむすびばという市民団体のおかげで、長女たちの住む所も決まり、次女がやってきた。私が札幌にいたので、札幌駅まで迎えに行くと、天使病院のスタッフの方が来るまで迎えに来てくださっていた。ありがたい。本当にありがたい。一緒に車に乗って滞在先のワンルームマンションへ。

2012-12-15 16:08:42
obatyan @obatyan1

そこは、狭いけれど家財道具などなど一式が揃っていて、冷蔵庫の中には水も買っておいてある。さらに、お腹すいてない?と言っておいしいパンの差し入れもいただいた。こんな時に何の縁もない我が娘を引き受けていただいて、ありがたい気持ちでいっぱいになりました。

2012-12-15 16:12:54
obatyan @obatyan1

長女が不動産屋さんに行っている時、札幌駅で待っている間、孫娘に泣かれる。「おうちに帰りたい~」「あのね、おうちはとっても汚れてしまったから、もう帰れないんだよ。ママが来るまでここで待とうね。」そんな会話を聞いたサラリーマンがポケットティッシュをくださいました。私たち、今も元気だよ

2012-12-15 16:17:42
obatyan @obatyan1

約10日間ほど滞在して、帰路に着く。娘二人と孫娘。見ず知らずの人々を頼りに、北の大地へ置いて帰る。心の底から、「札幌のみなさん!この人たちをよろしくお願いします。」と、一人ひとりに頭を下げたい気持ちと、何でこんな目に遭わなければならないのかという不条理に涙。千歳線でひたすら涙。

2012-12-15 16:29:24
obatyan @obatyan1

札幌の子どもたちとは電話とメールと何とか言うテレビ電話で時々会話。みんな元気な様子。天使病院さんとむすびばのみなさんには頭が上がりません。

2012-12-15 16:31:43
obatyan @obatyan1

この頃はあちこち壊れた建物の解体が始まり、なにやら埃っぽい。余震も多いし、不穏な中で淡々と仕事を進める。と言っても安否確認が中心。

2012-12-15 16:32:52
obatyan @obatyan1

7月に再び札幌へ。元気そうな子どもたちとみんなで小樽へ小旅行。飛行機が苦手な夫は留守番。母と娘の小旅行もなかなかのもの。(笑)

2012-12-15 16:33:58
obatyan @obatyan1

8月1日夫がん発症。8月下旬に手術決定。さぁ、どうする?次女の予定日は8月14日。ちょうど時期もかぶるし、困った。だけどはっきりしてることは決して子ども達を呼ばないこと。ここには帰ってきてはいけないのだ。だから呼ばない。辛い。

2012-12-15 16:37:17
obatyan @obatyan1

二人で決めたこと。たとえ自分たちが死ぬようなことになっても、子どもたちに「帰って来い」とは言うまい。死んでも子どもたちは呼ぶまい。小さい子供を連れて、福島に来ることは彼女たちにとってはとても苦しいことだから、それだけはやめよう。

2012-12-15 16:46:00
obatyan @obatyan1

8月12日 次女出産!無事に男児誕生!しかも3時間で出産。目出度し目出度し。退院の日札幌へ行く。そこから2週間ほど身の回りの世話をして、後は長女に任せ帰郷。次は夫の手術だ。

2012-12-15 16:47:41
obatyan @obatyan1

夫の入院は仙台から弟が駆けつけ、一緒に行ってくれた。手術にも立ち会ってくれて、心強い。長女は帰省を希望したが、おちついたら一緒に札幌に行くから、との夫の言葉に納得した様子。腎臓をがんと一緒に摘出。無事成功! こんな事も人生にはあるのね。あんたは運がいいよ。と会話。

2012-12-15 16:49:52
obatyan @obatyan1

夫の体も順調に回復し、10月中旬、札幌へ。飛行機嫌いの夫と二人。孫娘の七五三と小さいややこのお宮参りを札幌大神宮で!みんなが揃うのは幸せな事。顔を見られるだけで、それで良い。

2012-12-15 16:52:59
obatyan @obatyan1

自民党は原発を動かし続けます。なぜなら、経団連から支援援助を受けているから。民意も何もありません。ひとたび原発事故が起きたら、あなたの子どもや孫たちがどれほどの苦しみを負うのか?良く考えてみてください。私たちはふるさとを捨てました。

2012-12-16 08:10:16
obatyan @obatyan1

さて、振り返る続き この頃、肛門の無い赤ちゃんの出産について、そのお母さんのお友達から話を聞く。同じ頃、心臓に穴の開いた赤ちゃんの話も聞く。「始まったのか」と思う。無肛門の赤ちゃんのおかあさんには、以前札幌への避難・出産を勧めたことがあっただけに、辛い。

2012-12-16 09:12:48
obatyan @obatyan1

ある時犬の散歩中、草むしりをするおばあさんに声をかける。「あの、マスクとゴム手袋をした方が良いと思いますよ。」「やっぱりそうなのかい?もうテレビで言わないから大丈夫かなぁ?って思ってたけど。」「まだ、新しい放射能が出ているって聞きましたよ。草むしりよりご自分の体を守りましょう。」

2012-12-16 09:16:58
obatyan @obatyan1

「そうかい。食べ物は大丈夫かい?」「食べ物は色々なものから見つかってますね。竹の子やきのこは絶対食べないほうが良いと思います。」「それは何かで言ってたのかい?」「いえ、県のホームページに書いてありましたよ。」「私らではわかんないからねぇ。」竹の子の出荷規制も知らない人多かったね。

2012-12-16 09:18:51
obatyan @obatyan1

12月に入り、忘れもしません。去年の今日、12月16日、野田首相の収束宣言。「冷温停止状態」という言葉を作り出し、収束したとのたまった。時々ふくいちからモクモクと白い煙が出てるゾ。あれは何なんだ?ふーん、収束という言葉も変だけど、冷温停止状態って何だ?

2012-12-16 09:21:50
obatyan @obatyan1

昨年12月16日の収束宣言ほど、人々を馬鹿にした話はない。年が明けると全てのことはチャラになるのか?こうやってくさいものに蓋をして、清清しい新年を迎えましょう。って言うのか?福島県の広い大地に蓋をするのか?

2012-12-16 09:24:11
obatyan @obatyan1

お金がなくて逃げられない。そんな悲しいことが起きているのに知らん顔。冷たいよなぁ…。原発なんていらないよ。ふるさとも家族もバラバラ…。そして友達とは断絶。そんな思い、あんたらもしたいのかい?私はもうたくさんだよ、できればみんなにもしてほしくない。だから原発反対!

2012-12-13 10:50:02
obatyan @obatyan1

本当は「脱原発」さえも語ってほしくない。語る前にやるべきことがあるだろう!現在進行中のふくいちの事故をどうすんだ?口をあいた原発から今でも垂れ流しの放射性物質。「脱原発」を語る前に事故の後始末をつけろ!

2012-12-14 00:50:03