カチューシャ殿の戦車語り#5 「富嶽」
- Yukarin_7TP
- 9712
- 0
- 0
- 2
日本にもB29を凌ぐ爆撃機を開発してアメリカ本土を爆撃する計画が存在したの。Z飛行機、もしくは富嶽と呼ばれる爆撃機開発計画がそれね #プラウダらじお
2012-12-22 16:33:03発端は昭和17年、中島航空機社長の中島知久平が提唱した一つの計画にまでさかのぼるわ。航空産業に造詣の深い中島はミッドウェー海戦の敗戦から悪化する戦況を憂慮、逆転の秘策として超大型爆撃機を開発しアメリカ本土を直接叩くことを発案したの #プラウダらじお
2012-12-22 16:39:481、1トン爆弾20発を搭載し高度1万メートルを飛行、米本土を爆撃するZ爆撃機 2、96挺以上の20ミリ機銃を装備した地上施設及び航空機攻撃用のZ掃射機 3、武装落下傘兵200名を搭載するZ輸送機ね #プラウダらじお
2012-12-22 16:48:17中島はこれらZ飛行機のうち最初にZ爆撃機を開発、その改良型としてZ掃射機、Z輸送機を生産するつもりだったの #プラウダらじお
2012-12-22 16:51:01また昭和18年になると中島はZ飛行機を用いた対米戦計画案として日本の脅威となる敵基地と機動部隊を潰滅させ、その後米本土への戦略爆撃と直接侵攻を行うという必勝戦策を陸海軍に提案したの #プラウダらじお
2012-12-22 16:56:06この時期のZ飛行機は通常のエンジンを2基タンデムで連結した空冷四重星型36気筒エンジン、ハ五四を6基装備、爆弾10トンを搭載する巨人機として設計が進んでいたの #プラウダらじお
2012-12-22 16:59:18空前の5000馬力エンジンハ五四はもちろん完成しなかったわ。日本は最後まで満足な2000馬力エンジンすら生産できなかった現実を考えるとZ飛行機がいかに驚異的か理解できるわね #プラウダらじお
2012-12-22 17:01:39Z飛行機と必勝戦策は陸海軍に大きな反対論を呼び起こしたわ。けれど政界を巻き込んだ中島の訴えにより昭和18年8月、ついに陸海軍はZ飛行機の開発を認可、計画は指導したわ #プラウダらじお
2012-12-22 17:05:19ただしもとの計画のままではあまりにも荒唐無稽すぎたから陸海軍双方の要求をすり合わせた現実的な性能が選択されたわ #プラウダらじお
2012-12-22 17:08:12つまり富嶽はZ飛行機そのものをたたき台にした陸海軍共同開発機の事なのよ。けれど陸海軍は川西が対抗馬として提案したより現実性の高い6発機TBの方を評価していたそうよ #プラウダらじお
2012-12-22 18:09:32こうして陸海軍の正式な開発機となった富嶽なのだけれど昭和19年以降の戦局は戦争に間に合わない機体の開発を許さなくて昭和19年4月に富嶽の開発は正式に中止されたの。 #プラウダらじお
2012-12-22 18:13:20終戦時、富嶽計画に関連する書類の大半は米軍の追求を逃れるために焼却されて現在ではその断片を示す資料しか残っていないわ #プラウダらじお
2012-12-22 18:16:29