中島知久平の「必勝戦策」を読み返し中。あ、フランス発の爆撃に触れている!忘れていたなぁ・・。けれど知久平さんはスケールがデカい。「日仏往復爆撃」なんて可愛いものじゃなくて仏に基地を据えてそこから「米本土連続攻撃」をする。その方がアメリカが近い、と。
2013-02-14 17:36:19Z掃射機、雷撃機のような珍発想、36気筒五千馬力発動機の現実味の無さで妄想色の強い「必勝戦策」だけれども、色々にまとった衣を脱がせてその本質だけを切り取れば「将来の戦争は大陸間での爆弾の投げ合いになる」との認識を基礎とした「B36脅威論」になる。
2013-02-15 03:32:57B17は撃墜できた。B29は大陸から本土を空襲できるが、万難を排して陸戦で基地を占領することもできる。しかし印度や米本土からさえ日本を狙えるB36は防げない。中島の危機感はUSAAF中枢の開戦前からの戦略爆撃開発構想をほぼ正確に言い当てているという点では文句のつけどころがない。
2013-02-15 04:27:16現状でB36の本土空襲は防げない。だからその発進基地を空襲圏内に収める行動半径と基地を徹底破壊できる爆弾搭載能力を持つ爆撃機が必須となる。それが「Z爆撃機」。あとの珍発想は説得のために尾鰭をつけたオマケみたいなもの。「必勝戦策」の本質にあるのはB36アウトレンジ論だった。
2013-02-15 04:32:07@uchujin17 「必勝戦策」を読む限りでは知らなかったと思います。近距離ならば50トンの爆弾搭載可能な巨人機という発想はそうでないと出てきませんよね。この人はドーウェやミッチェル、トレンチャードと同じような1930年代の正統派の戦略爆撃論者なんです。
2013-02-15 04:42:22対B36とはいうものの、日本では「富嶽」よりもむしろB36の方が知られていないような気がする。試しにwikiでB36を見ると英国敗北を予想して計画した長距離爆撃機とある。見なきゃヨカッタ・・と世傑を開くと今度は開発経緯がまともに書かれていない。これでは「富嶽」以下・・。人気皆無。
2013-02-15 09:42:27Z飛行機の巨人機指向はB36対抗に加えて、「飛行機は爆弾の運搬手段であり、最も効率的な運搬手段かつ省資源なのは巨人機」というジャンボ機万能論。どう当てるという工夫ではなく何トン落すという計算。雷撃機や掃射機も何十発何百挺ならどれだけ制圧と数式で裏打ちするのが中島知久平の好み。
2013-02-15 09:46:06@Kominebunzo B36って10-10ボマーですよね。けっこう重要な位置づけにいたんじゃなかったかと思ってたんですが、違いますか?
2013-02-15 22:38:33@Kominebunzo ある意味、戦略爆撃論って言っても良い考え方ですね。ドゥーエとは違うでしょうが。アメリカが日独に実行した方法そのままですね。日本の国力でhは必要機数そろえられない気がします。戦争やってなくて戦闘機や他の機種全部作らないならあるいは出来るかも。
2013-02-15 22:42:34@tadano29 頭の中では十分に効率的で省資源なはずなんですよね。富嶽という計画は。同じことをB17でやったらこんなに資源が必要、という計算をちゃんとやってる・・・。
2013-02-15 23:03:22@pantel2f 火力の投射量を少ない機数、少ない資源、少ない工数で賄おうとするとZ飛行機になる、という論理です。穴はいくらでもあっても、これは実は正論なんですね。
2013-02-15 23:06:30では、何で「軍需省案」または「川西案」というよく似た巨人機計画が生まれたのか、それはどうして長距離飛行実験機が肥大した姿をしているのか、ということも大切なポイントになります。同じような計画がどうして陸軍航空本部でも海軍でもない場所から生まれるのか、それが富嶽のキモ。
2013-02-15 23:10:53@Kominebunzo ですよね。B-29とその後の巨人機をつなぐというか、B-52などへの発展の基礎になった機体と考えてましたが。
2013-02-15 23:56:59@Kominebunzo ですよね。その辺はわかります。ただ、戦時中に他の機種にリソース割かざるを得ない状況で出来るわけないなと思ったもので。
2013-02-16 00:00:03@pantel2f 構想としてはB36のほうが先なんですね。B29より。西半球防衛という基本コンセプトでそこから何処にでも飛べる、というのがアメリカ爆撃機の理想だったんです。イギリスなんて眼中にない。
2013-02-16 00:27:05「軍需省案」が存在するのは「富嶽つぶし」のため。中島知久平は接待攻勢で軍部、政府の中枢をあらかた説得してしまったけれども、軍需大臣を兼任する東条首相と航空兵器総局長官の遠藤三郎大将は説得できなかった。そもそも軍需省は「戦闘機超重点主義」を掲げる両者の牙城。富嶽を許せる訳がない。
2013-02-16 00:43:04富嶽よりチープで簡便な長距離爆撃機計画を当て馬にして計画を消滅させるのが両者の目的。担ぎ出されたのが仕事のない東大航空研究所。層流翼の谷一郎所員が引っ張り出され、水でふやかした航研機かA26のような計画が浮上する。あろうことか海軍はこの案にうなずいてしまう。
2013-02-16 00:46:52こうして富嶽計画は19年3月に「一年延期」とされて凍結。けれど中島知久平はあきらめない。サイパン陥落で東条内閣が倒れると再び富嶽委員会再興を嘆願するようになる。しかし戦局が許さず。終戦直後、最後の軍需大臣となったのは中島知久平という皮肉な結末で富嶽計画は完全に終わる。
2013-02-16 00:53:06富嶽を嫌った人物は軍需省航空兵器総局長官 遠藤三郎中将、陸軍参謀本部参謀次長兼陸軍航空本部長 後宮淳大将。「富嶽委員会」ができても計画が少しも進まない要因が「戦闘機重点主義」論者で軍需省の実質的指揮を執る前者、19年3月に航空本部長となって計画にとどめを刺したのが後者。
2013-02-17 22:57:30