ロベルト・シュペーマン『原子力時代の驕り』

『原子力時代の驕り 「後は野となれ山となれ」でメルトダウン』R.シュペーマン (著), 山脇 直司 (訳), 辻 麻衣子 (訳)http://honto.jp/netstore/pd-book_25456123.html に関して、宗教学者 島薗進氏が連続ツイートしました
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島薗進 @Shimazono

1ロベルト・シュペーマン『原子力時代の驕り―「後は野となれ山となれ」でメルトダウン』(山脇直司・辻麻衣子訳)①「科学技術の倫理」の重要参考書。「我々にとって、自然の全体的な連関は、コントロールできる介入が可能な対象ではない」人間の健康や幸福を決める諸条件を私たちは定義できない。

2012-12-26 08:27:51
島薗進 @Shimazono

2シュペーマン『原子力時代の驕り』①たとえば「我々は、人間の栄養摂取に役立つような動物や植物の一覧をあらかじめ作成できない、なぜなら我々は、今のところは無意味だけれども、動植物にまだ隠されている栄養摂取や治癒の可能性を知らないからである」。種の多様性の現象はその可能性を減らす。

2012-12-26 08:28:03
島薗進 @Shimazono

3シュペーマン『原子力時代の驕り』①ある鳥が絶滅したと知ると悲しいのはなぜか?自分とはとりあえず関係のない現実の豊かさが、実は人間の幸せに深い関係がある。「我々が、今のところ知覚し認知し享受できるものに世界を切り詰めることは、あらゆる享受を破壊するだろう」。P30-31

2012-12-26 08:28:13
島薗進 @Shimazono

4シュペーマン『原子力時代の驕り』①生態学的システム論は、知の限界を超えたものに開かれた態度をとること、つまり自然は「無尽蔵であること」が人間が自然を享受することの前提であることを教えている。(私の感想)そもそも「科学の進歩」は自然が人知を超えているからこそ可能なのでしたね。

2012-12-26 08:28:26
島薗進 @Shimazono

5シュペーマン『原子力時代の驕り』は言う「知りうるものや見えうるものが、常に、事実として知られているものや見られているもの以上のものだと知ることは、人間が世界に精通するための一つの条件である」p31。「人間中心主義的視点を乗り越え、生けるものの豊かさに対し、それ自体価値あるもの」

2012-12-26 08:29:04
島薗進 @Shimazono

6シュペーマン『原子力時代の驕り』①「として敬意を払うことを学ぶ場合にのみ…現代人は、人間らしい存在の基盤を長期的な視野で確立することができるだろう。人間中心主義的な機能主義は、最後には人間自身を破壊してしまうのだ」p36-37。今、経済的に利益がある事の追求が将来の可能性を奪う

2012-12-26 08:29:47
島薗進 @Shimazono

7シュペーマン『原子力時代の驕り』①では、今、知っていることに基づき自然を思うさま今の人間に役立つように利用しようとするのが「機能主義」。これは英米倫理学で優勢な功利主義にも妥当する。シュペーマンは知られざる自然豊かさの感知を「自然に対する宗教的な関係」とよんでいる。

2012-12-26 08:30:58