エルヴィン殿による名将物語#1 「ハインツ・グデーリアン」
- Yukarin_7TP
- 7952
- 0
- 0
- 0
アミアンからダンケルクまで快進撃を行っており、あまりの快進撃振りに上層部から度々停止命令がでたほどだったようだ。ダンケルクにおいては攻撃を禁止され、イギリス軍やフランス軍が撤退していくのをただ眺めている屈辱を味わってるようだ。所謂ダンケルクの奇跡というやつだな
2012-12-28 21:31:311941年6月22日に開始されたバルバロッサ作戦においては、中央軍集団に属する第2装甲集団を指揮し、第3装甲集団とともにミンスク・スモレンスク包囲戦で大戦果を挙げており、この戦果の結果韋駄天ハインツという異名がついている。
2012-12-28 21:41:38グデーリアン上級大将としては反対していたようだがプリピャチ沼沢地東方を北方から南下して、南方軍集団と共同でキエフの大包囲戦を成功させている。
2012-12-28 21:46:21モスクワ進撃を再開し、10月にはブリヤンスク・ヴィヤジマにおける二重包囲戦でまたもや大戦果を挙げ、11月には第3装甲軍のゲオルク=ハンス・ラインハルト上級大将、第4装甲軍のエーリヒ・ヘプナー上級大将と共にモスクワ攻略を開始している。
2012-12-28 21:48:08小モスクワと呼ばれ、モスクワの南の門ともいわれる要塞化されたトゥーラを迂回して、南からモスクワを伺ったが、兵力・補給・準備などの全てが不足であり特にトゥーラを迂回したことによる弊害などの理由で攻撃は難しくなり、12月に作戦を中止すべきと総統に具申しているが逆に解任されている。
2012-12-28 21:52:331943年に装甲兵総監に任命された。この役職は部隊指揮権は無いが、装甲車両の生産および装甲兵の訓練について監督・調整するものであり、装甲部隊の再建に奔走。しかし、ある程度まで再建されたドイツ装甲部隊も、ツィタデレ作戦の失敗により消耗し尽くし、ドイツは敗北への道を歩んでいく事になる
2012-12-28 21:55:071944年にはクルト・ツァイツラー上級大将の後任として7月21日、陸軍参謀総長に任じられている。シュタフフェンベルク大佐が起こした総統の暗殺事件に関する裁判にも出席しており、参謀総長就任後の7月25日には、参謀本部将校を前にヒトラーとナチズムに対して忠誠を誓うよう訓示している。
2012-12-28 22:01:18総統の作戦への容喙を阻止しつつドイツ防衛の重責を担っていたが1945年に入ると国境に迫ったソ連軍に対する防衛戦略を巡って総統との対立は頂点に達し、3月28日に総統から6週間の休養をとるように命じられ、事実上解任されており、これが最後の軍歴となっている。
2012-12-28 22:05:39グデーリアン上級大将の後任としてはクレープスが任命されており、あの映画を見たら分かるが地下壕で自殺している。もし・・・グデーリアン上級大将が解任されていなければグデーリアン上級大将が地下壕で自殺していた可能性も考えられるな
2012-12-28 22:09:08終戦後は米軍の捕虜となり、ニュルンベルク裁判ではソ連とポーランドから起訴を求めれるが結局は起訴されていない。1948年には釈放されており、米陸軍機甲学校で講演したり回想録を執筆している。『電撃戦』というやつだな!
2012-12-28 22:13:53グデーリアン上級大将はユンカーではないが高潔な人物と尊敬されてる一方同僚や上司にでもはっきり進言していたのでそういった面では評価は悪かったようだ。ヒトラーに対しても党員になったりするほど熱狂的ではなかったが自身の考えを受け入れてもらったことから良い感情をもっていたようだ
2012-12-28 22:21:56最後にグデーリアン上級大将が行った電撃戦はオリジナルの考えではないが考えから発展して実践したことや『無線機』の重要性を理解して上手く活用していたことだけでも名将と呼べる人物ではないでしょうか!
2012-12-28 22:25:20