編集部イチオシ

機甲戦の理論と歴史

元戦車大隊長であり、防衛大学校で戦史の教鞭を執っていらした葛原和三さんの「機甲戦の理論と歴史」についてのつぶやきをまとめてみました。 もっと詳しく知りたい方は著書の「機甲戦の理論と歴史」をご覧ください。 (っ’ㅅ’c) .。oO(注釈が付いてるので読みやすいです~
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kuzuhara kazumi @kuz_kaz

①「カンネの戦い」(BC.216) ピンチなのか、チャンスなのか、は紙一重。 左の図はローマ軍が突破しているように見えるが、カルタゴ軍騎兵による包囲につながる図でもある。 この戦いは包囲の模範とされ、WWⅠのシュリーフェン計画など「殲滅戦」の原型となった。(拙著『機甲戦の理論と歴史』より) pic.twitter.com/cOt9bPihf0

2018-07-30 09:08:26
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kuzuhara kazumi @kuz_kaz

②「用兵」(Conduct of War) とは何か。 独『軍隊指揮』(1936)は、「用兵は一つの術にして科学を基礎とする自由にして創造的なる行為なり」とし、「学」に基づいた適用が「術」であり、一体化して「ドクトリン」となる。歴史等を基礎にハードとソフトの両側面からなる。『機甲戦の理論と歴史』から。 pic.twitter.com/IcTIEoUvHj

2018-07-30 09:39:41
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kuzuhara kazumi @kuz_kaz

攻撃機動の3方式は。 「突破」は中央から突破分断して各個撃破し、 「包囲」は一部で敵を拘束し、主力で敵の側背に機動して撃破し、 「迂回」は敵が準備していない地域に移動を強要して撃破する方式である。 機動戦で追及すべき「迂回」は、「奇襲、速度、打撃」の要件によって達成できる。 pic.twitter.com/e1F2GmkzQG

2018-07-30 11:01:18
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kuzuhara kazumi @kuz_kaz

④「機甲部隊の陣地攻撃」 突破を行う場合、(1)突破口の形成、(2)突破口の拡大、(3)戦果の拡張の三段階をもって達成する。 (2)において続行部隊は敵の弱点から攻撃するとともに、敵の逆襲対処のため、航空攻撃等で敵の予備隊の移動を阻止する。 (3)において予備隊をもって最終目標を確保させる。 pic.twitter.com/lfCdYTFhv2

2018-07-30 11:25:30
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kuzuhara kazumi @kuz_kaz

⑤「マンシュタインプラン」(鎌計画)とは。 WWⅡ開戦後、伝統的な「シュリーフェンプラン」(黄色計画)への対応を重視した英仏軍に対し、マンシュタインの奇襲性を重視した「鎌計画」が採用され、アルデンヌ地帯から迂回する西方電撃戦が成功し、英仏軍がダンケルクで包囲され、フランスが降伏した。 pic.twitter.com/LJhaHqzab9

2018-08-01 00:39:12
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kuzuhara kazumi @kuz_kaz

⑥「バルバロッサ作戦の機動構想」 1941.6.22、北・中・南の各方面軍集団は対ソ進攻を開始した。中央のグデーリアン大将はモスクワを目標に進撃中、ヒトラーからキエフへの南下を命ぜられたグ大将はこれを「本国への撤退」と反対したが、受容れられず、秋雨の泥濘と冬将軍の到来により挫折した。 pic.twitter.com/DHfBiorDCT

2018-08-01 01:15:04
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kuzuhara kazumi @kuz_kaz

⑦「縦深戦略理論」の特質とは 労農赤軍参謀長トハチェフスキー元帥は『赤軍野外教令』(1936)を布告、圧倒的な戦力をもって全縦深を同時打撃し、突破に引き続き梯隊による縦深戦力をもで戦果を拡張、空地の立体包囲により完全に殲滅する「縦深戦略理論」を完成。じ後、ソ連軍の理論的脊柱となった。 pic.twitter.com/j4DBq2sz9o

2018-08-02 23:29:59
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⑧「各国軍航空機・戦車保有数」(1936) WWⅡ開戦前、ソ連は軍事・経済を両輪とする第二次五ヵ年計画により、近代化を推進、質的・量的優位のもとに東西2正面同時の広域・遠距離での運用が可能となった。特にBTシリーズの開発とT-34の基本系列を敷いたことで縦深戦略理論が実践できるようになった。 pic.twitter.com/JPJo72CDj8

2018-08-05 23:09:27
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⑨「赤軍の軍事理論と軍事技術の発展」 ソ連の近代化は、①NEPによる経済復興、②独ソ協定による技術振興、③一次、④二次五ヵ年計画による「技術的可能性」を基盤として、 これを先導する①機動戦、②連続作戦、③空挺作戦、④縦深戦略理論等の「理論的必要性」との吻合により達成されたといえる。 pic.twitter.com/wSTuPVFB8T

2018-08-05 23:35:16
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⑩「独・ソ・日本…略年表」 東西2正面に攻勢できる態勢を整えたソ連は、1939.8.20~ノモンハンで攻勢して9.15に停戦し、直ちに9.17~ポーランドに侵攻した。 1941.6.22~ドイツは不可侵条約を破棄してソ連に侵攻。独降伏後、ソ連は1945.8.9~日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻、東西の正面を制した。 pic.twitter.com/jQ4AKDn789

2018-08-06 21:58:54
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⑪「クルスク戦におけるソ連軍の反対攻勢」 1943.7 独軍はクルスク南北の突出部から両翼包囲する企図をもって新鋭、豹戦車200、虎戦車90、象自走砲89を含む2800両をもって突進、これを予期したソ軍は、3000の戦車で邀撃し衝力を逆用する包囲に成功した。以後、独は東方で二度と攻勢できなくなった。 pic.twitter.com/9c1PMZ0lHc

2018-08-08 17:53:53
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⑫「各国の自動車保有比較」(大正8年) WWⅠ勃発後、日本陸軍は「臨時軍事調査委員」を設け、欧州戦争を調査した。日本の工業力は自動車数においては米国の1000分の1程度であった。 調査委員は、このため「物質的国防要素の充実」等の意見を報告し、次の戦争が総力戦・長期戦であることを訴え続けた。 pic.twitter.com/9ppVdWXbxq

2018-08-08 18:24:22
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⑬「列国陸軍軍備比較概観」(大正13年) WWⅠ後、戦勝国となった日本ではあったが、近代軍備は、制限下にあった敗戦国ドイツと同様で日露戦争後と大差なかった。 大正期の日本陸軍は外国製品を審査する厳しい目はもっていたが、自ら航空機、戦車等を開発するだけの運用思想を持っていなかったのである。 pic.twitter.com/f1v6gaEytP

2018-08-08 18:40:07
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⑭「日本陸軍の戦術教義」とは。 昭和4年、陸軍はWWⅠの教訓等を反映し初めて『戦闘綱要』を制定した。 これは、大正12年の「国防方針・用兵綱領」、昭和3年『統帥綱領』に基づき、既存の歩兵等の各兵操典とを繋ぐ師団レベルの教範であった。 ここに一貫した戦術教義(ドクトリン)が完成したといえる。 pic.twitter.com/bl7iUjH2LY

2018-08-13 00:45:13
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kuzuhara kazumi @kuz_kaz

⑮「兵器単価比較表」で見ると。 小銃1丁、約百円を「1」と換算すると、重機は小銃約24丁分、重砲は556。94式軽装甲車475で、その三両分の97式中戦車は1436であり、96式艦上戦闘機1370よりも高価で機械化がいかに高くつくかがわかる。 よって集中使用すべき戦車は、分散して歩兵支援に広く使用された。 pic.twitter.com/w3q3qfzKLW

2018-08-14 00:46:30
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⑯「ノモンハン事件の損害比較」 勝敗は損害の比較ではなく、作戦目的達成の成否であり、停戦後、ソ軍は後方を安全にしてポーランドに侵攻した。 しかし、ソ連崩壊後公開された資料からは関東軍の対戦車戦闘における敢闘が評価されるべきことが分かる。 これは古是三春『ノモンハンの真実』に詳しい。 pic.twitter.com/aFfgkz6DeH

2018-08-14 10:54:00
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⑰『統帥綱領』の殲滅戦原理とは 左図『殲滅戦』の図は機動戦の前提が敵主力の拘束が前提であり、このため『統帥綱領』には「迅速な集中、溌剌たる機動、果敢なる殲滅戦」を達成すべしとした。 しかし、阻止の可能性、機動間の側面・対空掩護、機動打撃力の有効性は不十分で観念的であったといえる。 pic.twitter.com/1QHxnoWRA3

2018-08-14 12:16:40
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⑰「ソ連軍の満洲侵攻」の狙いとは 無論、樺太、満州の奪回、千島列島、北東北海道の占領にあったが、真の狙いは関東軍60万の労働力と重工業設備の略奪にあった。このため、縦深戦略理論に基づき退路遮断の空挺部隊を含む両翼二重包囲の態勢で侵攻した。これは日本に整備させて獲る熟柿政策といえる。 pic.twitter.com/M7DFfqeCI7

2018-08-14 13:54:26
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⑱「三式戦車とM4戦車の砲架の比較」 この図は学研『陸軍機甲部隊』に戦車砲の技術的限界についての掲載時に駐退復座装置の差異を樋口隆晴氏が見事に描いて下さった。 三式戦車は砲架を露出させても後座長が65㎝もあり、M4並みの30㎝に半減するまで四式、五式戦車も巨大な砲塔に収めざる得なかった。 pic.twitter.com/N11L5gtfV2

2018-08-14 17:24:34
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⑳「戦車砲等の性能比較」 この表は砲弾の重さ「M=弾量(㎏)」に射出時の速度「V=初速(m/s)」を2乗した数をかけ算し、運動エネルギー量として指数化したものである。 九七式戦車の57㎜砲の威力を「1」とすれば、M4は約10倍、T34/85は13倍、61式は17倍の数値を示している。後座長にも注目されたい。 pic.twitter.com/QbtSRKRlvp

2018-08-15 10:58:46
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㉑「近代戦への戦闘方式の進化」とは ・在来戦は白兵と火力により成り、歩兵主兵から脱却出来なかった日本陸軍は、砲兵等の協同までは進んだが戦闘群戦闘の域に留まった。 ・近代戦は火力と機動力の吻合によって成り、諸兵連合の機甲戦闘、さらに空地統合の立体戦闘にまで進化し、電撃戦を可能にした。 pic.twitter.com/BhysISuq6v

2018-08-15 22:36:29
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㉒「騎兵から機甲へ→陸軍機甲本部の創設」 昭和15年2月以降、吉田騎兵監は歩兵主兵の「根本主義」を否定し、自らも騎兵としての「任務遂行、殆ど不可能」と断じた。このため「騎兵科を全廃し之に要する財源、人的要素を挙げて国軍装甲部隊を強化すべし」と意見具申、16年4月、機甲本部が創設された。 pic.twitter.com/ndfvUg8ll8

2018-08-15 23:45:06
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㉓「携帯用対戦車火器の発達」 歩兵が戦車の脅威になったのは、WWⅡ末に現れたロケットランチャー以降だ。成形炸薬のモンロー効果により、弾径の約4倍の貫徹量が得られるようになった。さらに4次中東戦争ではサガ―が登場、エジプト軍が不敗のイスラエル戦車部隊を3㎞の遠距離から撃破したのであった。 pic.twitter.com/9yScJ5tyxJ

2018-08-16 22:37:13
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㉔「近代戦能力の向上と戦域の拡大」 WWⅠ後の無線機と内燃機関の結合による機動戦能力の進化は、WWⅡにおいて運用単位の拡大と装備の向上により近代戦能力を大幅に向上させた。 諸兵協同から始まった連合統合化は、陸海空の統合戦、各国の連合戦へと作戦の様相とともに戦争の形態をも変容させていく。 pic.twitter.com/GNSwK3CnQJ

2018-08-17 08:06:34
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㉕「ソ連軍の欧州正面への侵攻予想」 80年代、ソ連は戦車5万両からなる50個戦車師団、138個狙撃師団等で機動グループごとに「作戦機動部隊」(OMG)を編制し、核・非核戦とも強大な機甲突破力と空中機動力で両翼から包囲的に縦深に攻撃できる「縦深戦略理論」が依然、ソ軍ドクトリンの支柱となっていた。 pic.twitter.com/v47SXNYCg2

2018-08-17 12:15:44
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