1)ゼミで西田幾多郎読んで、この頃ナショナリズムについて考えてたけど、フッサールの『危機』はヨーロッパ中心主義もそうだが、「歴史的生命」を標榜する西田もまた日本民族を中心にして物事を考えてしまったきらいがあるのは、やはり時代状況と切り離せないのだろう。
2013-01-06 18:38:002)一高共学化の辺り、僕らは紛れもなく仙台一高ナショナリズムだった。おそらく共学化が問題となったここ数年は校風についての議論が活発になるとともに、その裏で一高至上主義的な感覚が(明示的には示されないにせよ)確かにあった。
2013-01-06 18:41:263)その意味で、共学化<について>の議論には、功罪があったのかもしれない。共学反対運動が一高ナショナリズムに棹差すものであったことには間違いない。そしてそこで議論された校風観、伝統観はたしかにあの時一定の効力を発揮し、現在の一高への橋を架けることに成功したという自負はある。
2013-01-06 18:46:214)要は、一律共学化反対の議論が一高ナショナリズムへと転じたこと、ここにある種の功と罪があったと思う。むろん共学化問題と一高の校風論は、共学反対運動の渦中においては表裏一体であった。
2013-01-06 18:53:205)しかし、共学化反対の議論と一高ナショナリズムが共軛関係とでもいうべき間柄をいまだ取り持っているとしたら、それはいささか奇異の念を抱かざるを得ない。共学反対の議論は共学化の結果を検討する議論へ移行するならば、一高ナショナリズムは穏健な愛校心へと収束してもおかしくないからだ。
2013-01-06 18:58:396) そして現に、生徒総会では三年生からは汗牛充棟の感もある校風論が繰り返され、二年生中心に「一高を語る会」が発足していると聞く。素晴らしいことではあるが、ここにはいまだ共学反対と不可分の「一高ナショナリズム」が残存しているのではないかと思えてならない。
2013-01-06 19:01:447)僕自身は共学化反対に与する人間であるが、現役一高生はいささかOBの昔語りに影響されすぎなのではないか。この点は自分もうるさすぎたという反省もある。けれど一高ナショナリズムはわれわれOBの懐古趣味詰まった夢でもあり、おたがい昔話に花咲かせるための共通のコードにほかならないのだ。
2013-01-06 19:07:418)「一高を語る会」にせよ何にせよ、一高ナショナリズムという「共通の掟」の内部に踏みとどまった自閉的校風論である限り、それはわれわれ共学反対運動を戦った人間がする「昔話」の不完全なコピーでしかない。一高の校風は語ることは、過去の校風論を金科玉条にすることとは異なる。
2013-01-06 19:12:279)むろん、これまでの伝統を無視したり、むやみやたらと新しいことは不自然であり、実際の高校生活に違和感が生じさせるだろうし、OBからすればバカにしているのかと見えるだろう。僕が言いたいのは伝統を無視して好き放題やったらええやないかということではない。
2013-01-06 19:18:5210)一高に入ったからには伝統という枠組みから逃れられない以上、その中でどのように自分たちの個性を出してゆくかを考えてほしい。今ツイッターにいる若手のOBたちにとっては「一高らしさ」の再発見、再定義こそ在学中の緊急の仕事であった。しかし今はもうそれを検討する時期に入ってよい。
2013-01-06 19:22:1111)60~63回生くらいのOBが整備した「一高ナショナリズム」の縄張りで、一高を論じても、共通の掟に従って同じ方向を向く限りひとりごととあまり変わらない。一高を語る会にしても生徒総会にしても、「一高ナショナリズム」の外部に立つ透徹した批評精神を持ってほしいと切に願う。
2013-01-06 19:27:50@sin_wave1 まあそういうわけで、一高について、僕らOBについても「健全な批評精神」を持って語っていただければありがたいです。
2013-01-06 19:52:55これ言語行為としては明らかに不適切なものだったよな。ナンセンスだった。 RT 僕が小学生くらいのとき、「手袋を反対に読むと?」「ろくぶて?」「ろくぶてってことは6回殴っていいんだね殴るわ^^」って理不尽なやりとりが流行ったんだけど、やったことある人いるのかな
2013-01-06 20:04:33