森田真生さん【「身体感覚で『論語』を読みなおす。」の感想】(20130106)
安田登さんの「身体感覚で『論語』を読みなおす。」を読みなおしている。今回は「礼」の章が特に響いてくる。「恭」は礼が欠けると「労」になり「慎」は礼が欠けると「葸(考えすぎ)」になる。礼のない「勇」は「乱」になり、「直」も礼がなければ「絞」になる。
2013-01-06 20:56:03ただのバカ正直は人を傷つける。孔子はそれを「絞」といいます。「絞」とは『説文』には「縊るなり」とあります。首を絞めることです。「本当のことをいって何が悪いの?」といって、人を傷つけることをずけずけいい、それでよいことをしたと思い込んでいる人がいます。それが「絞」です(p.170)
2013-01-06 20:57:11特に最近、ロジカルで正直、「本当のことをいって何が悪い?」という態度が、人気を集めやすいように思います。ネット上の発言なんかは特にそうです。だけどそこに何かが欠けている。「直」も礼が欠けると「絞」になる。そういえば以前、こんなつぶやきをしました...
2013-01-06 20:57:59ロジカルでオープンで"正義感"が強く、そのことにすごく自信があるのか、自説を述べるときの態度と言葉使いがとにかく悪い。そういう人が最近とても目立ちますね。「バカ」とか「くだらねえ」とか「○○しろよ」とか、ロジックも重要だけど、言葉使いや礼儀というのはそれ以前の問題だと思います。
2013-01-06 20:58:21ネットでのコミュニケーションは相手が見えません。だからこそ、礼儀を大切にするべきだと思うんですよね。礼儀というのは、相手に要求するんじゃなくて、まず自分が礼儀を持つということ。人間に対してだけではなく、常に礼儀を持って生きるということ。実はそれは時間の主宰者になるということ。
2013-01-06 20:58:32では「礼」とは何か。安田さんは、「礼」をそのもっとプリミティブなところで支えているのが「如」あるいは「恕」であると言います。つまり「相手の心の如くなる」ということ。
2013-01-06 20:58:49心は身体を通して環境や社会制度にまで沁み出していますから、これは壮大なプログラムですが、「恕」の発動を、心を使ってなんとかできないか。そういうことを安田さんとぜひお話したいのです。1月20日が楽しみなのです。http://t.co/UCq2yczC
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