【「災後日本」に必要な視野の歴史的な転換・続1】

宗教学者 島薗進氏の連続ツイートをまとめました。吉岡斉『新版 原子力の社会史』を引用して、考察しています。
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島薗進 @Shimazono

0【「災後日本」に必要な視野の歴史的な転換・続1】「戦後」から「災後」へという以下の記事http://t.co/brCqcVpf を受け「災後」論の1つの方向性を考える。20世紀から21世紀への日本の精神史に適用する見込み。まず、80年代の原発をめぐる具体的な歴史過程につなげる。

2013-01-07 09:54:49
島薗進 @Shimazono

1【「災後日本」に必要な視野の歴史的な転換・続1】吉岡斉『新版 原子力の社会史』が述べるように、70年代から80年代の半ばにかけて先進国で原発は停滞に向かったが、日本は促進の道。原賠法や電源三法による「国策民営」。通産省が導いて特定部門産業界の一団の競争力を強めるやり方。

2013-01-07 09:55:04
島薗進 @Shimazono

2【「災後日本」に必要な視野の歴史的な転換・続1】2つのオイルショックを経過する中で石油だけに頼らないエネルギー安全保障という考え方が影響したことは言うまでもない。しかし吉岡斉はそれでは説明がつかないという。「だが二度にわたる石油危機…をはじめとする経済情勢や」p145

2013-01-07 09:55:19
島薗進 @Shimazono

3【「災後日本」に必要な視野の歴史的な転換・続1】「エネルギー情勢の70年代以降における激変とほとんど無関係に、原発建設が直線的に進められてきたという事実は、何のために原発建設が進んだのかという疑問を惹起せずにはおかない。原発建設はエネルギー安全保障等の公称上の政策」

2013-01-07 09:55:32
島薗進 @Shimazono

4【「災後日本」に必要な視野の歴史的な転換・続1】「目標にとって不可欠であるから推進されたのではなく、「原発建設のための原発建設」が、あたかも完璧な社会主義計画経済におけるノルマ達成のごとく、つづけられてきたようにみうけられるのである」「そうした計画経済をコントロールして」

2013-01-07 09:55:45
島薗進 @Shimazono

5【「災後日本」に必要な視野の歴史的な転換・続1】「きたのはもちろん通産省である。通産省が1930年代から40年にかけて商工省のちに軍需省として、産業活動の強力な国家統制をおこなったことはよく知られているが、こうした軍国主義時代に確立された国家統制的な産業活動の秩序は、敗戦後も」

2013-01-07 09:55:58
島薗進 @Shimazono

6【「災後日本」に必要な視野の歴史的な転換・続1】「維持された。むしろ軍部が解体されたことにより、通産省…は敗戦前よりもさらに独占的な統制権を掌握することとなった。60年代以降の海外からの自由加圧力の高まりにより、国家統制的なメカニズムは徐々に緩和されることとなったが」

2013-01-07 09:56:11
島薗進 @Shimazono

7【「災後日本」に必要な視野の歴史的な転換・続1】「「原子力発電は国家統制事業的性格を濃厚に残したまま今日にいたっている」(以上、吉岡著p145)。これが強固な原発ムラを育成。エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』1979年が日本経済成功の秘密と称賛。20世紀中葉の

2013-01-07 09:56:26
島薗進 @Shimazono

8【「災後日本」に必要な視野の歴史的な転換・続1】世界的な総力戦体制と関わり、日本では戦後もその継続が繁栄がもたらされたと感じられてきた。 その官民一体産業育成体質こそが失敗に主因。この日本的「社会主義」の官僚・企業・政党合作による経済成長の戦略が今や終焉(続)

2013-01-07 09:56:43