【重忠パパ】畠山重能が語る大蔵合戦まとめ【秩父党】
- Shigetada_bot
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五郎「ちょっと! 頼賢殿も空気読んでる!?」 次郎「実は手動ではないのか……?」 RT @m_yorikata4: 駒王丸はどこだ!兄上の忘れ形見の駒王丸ちゃんは!!・・・ハッここか!?・・・なんだただの子猿か。
2013-01-14 22:07:42ええと、頼賢殿であるがな。義朝様の異母弟君であるが、義賢殿と父子の誓いを立てており、大蔵合戦の後に信濃に駒王丸を追ってきて、鳥羽院の荘園を荒らしてしまって追討の院宣を出されて大変だったのだな。その後、保元の乱で為義殿と共に戦い、敗戦後処刑されてしまった。
2013-01-14 22:12:17次郎「義仲様――幼名駒王丸様を木曽へと護送したのは実盛殿ではなく、頼賢殿との説もありますね」 四郎「そのために一時期信濃にいらしていたともな」
2013-01-14 22:10:05ここで登場する斉藤別当実盛殿は、『平家物語』で「実盛最期」と一章を割くほどに、その人柄や武勇において知られた御人でもある。
これについては、いずれご本人か木曾殿や中原殿に語っていただきたいと所望するところ。義朝様を雪の山中で僧兵たちから逃すシーン、そして義仲殿との悲劇の再会…話が尽きぬ。
さて、そして駒王丸を引き受けるのが中三権頭こと中原兼遠殿。それに反応してくださっているのが、そのご子息である中原三兄弟こと樋口兼光、今井兼平、落合兼行の義仲四天王のうちのお三方。(なぜか今はアイコンが魚なのだが…※琵琶湖に棲息する実在の魚カネヒラ)
この皆さまは各種源平期の軍記物で活躍されていますね。
ちなみに、斎藤実盛が駒王丸を木曾に逃がした話が出てくるのは平治物語ではなく源平盛衰記(巻26「木曾謀叛事」)だからな。駒王丸を殺すように俺が命じたのは畠山重能で、不憫に思った重能が実盛に託した事になっている。
2013-01-12 08:28:05大蔵合戦自体についてはこんなところだが、もう少し。この4年の後、平治の乱が起り、義平・義朝様と信頼様はどちらも誅され、平知盛様が武蔵国の知行国守となる。この時、秩父氏の中では義朝様から少しでも遠いという理由で私の討った秩父重隆の孫、河越重頼が重用される。
2013-01-14 22:04:52重用と言っても一族内の実質が変わるほどではなかったが、同じく平家に仕える事になった私や弟の小山田有重はより熱心に勤めた。所領、一族を守るためである。20年の間、知盛様には大切にしていただき、またそれに応え続けたと思う。義朝様にごく近かった相模の三浦氏などでは、また状況は違ったが。
2013-01-14 22:07:03その後、頼朝様が挙兵した際に大番役で都にいた私の代わりに、重忠が当初は私に従い平家方として石橋山の合戦に向かうがその途上の小坪で源氏方の三浦軍と諍いを起こし、結局秩父党を動かし衣笠城を攻め落としてしまう。討ったのは私にとっての義父、重忠にとっては祖父の義明殿だ。
2013-01-14 22:08:10どこまで話したか…ああ、衣笠合戦か。その後に重忠は、再挙兵した頼朝様の勢いに時代を感じ取ったか翻って秩父一党を引き連れ源氏の方へ帰参する。この時に掲げたのが、私も大蔵合戦の際に指物にした、秩父武綱が先陣を務めた後三年の役にて八幡太郎義家様より賜いし源氏の白旗。
2013-01-14 22:14:03正直なところ私はいつどうなるかわからぬ身のまま京にいた。在京していた坂東武家の中では平家に深く仕えてきた。いざ都落ちの時、重忠が源氏についていることが宗盛様に知れ、斬首されそうになった。が、知盛様が我らを今斬る事は無意味であると諌めてくださった。
2013-01-14 22:15:31我ら皆、知盛様についていく事を願い出るが、知盛様は「汝等が魂はみな東国にこそあるべきに、ぬけがらばかり西国へ召し具すべき様なし。ただ疾く下れ」と東国の我らを諭して帰国させた。その後は鎌倉に付き従った者もいるが、私は少し古い人間であったのだな。…子の重忠に家督を譲り隠居した。
2013-01-14 22:16:35こんなところであるかな。 そうそう、今は史跡の博物館などになっている嵐山の菅谷館であるが、ここは元々、秩父重隆の比企での館であった地を、大蔵合戦の後に私が建て直したものだ。鎌倉に従いし後に移り住んだ重忠も手を入れた。重忠の討たれたあとも誰か城にしていたようだ。
2013-01-14 22:18:16という事で、本当に長くなってしまいましたが、秩父氏、東国武家と大蔵合戦。父上による込み入った一族話でしたがお読みいただけたならありがとうございます。
また、冒頭の方で義平殿が示してくださっていた『大蔵合戦と秩父一族』に秩父方の詳しい陳述が載っています(埼玉県の歴史資料などに収録されている事が多いと思われます)。ご興味あります方はそちらもご覧ください。
父、畠山重能については、あまり記録も少なく耳馴染みのない方も多いとは思われますが、鎌倉幕府で歴史の光が当たる直前、東国の中世武士社会が形作られて行く土台の時代を生きた世代でもあります。
また、機会があれば話を聞きたいと思っておりますので、もしご興味ある方はリクエストなど出してみてください。
父上より挨拶です: ヽ( ´ー`)ノ またよろしく頼みますぞ!