子ども宇宙塾「日本人初の宇宙飛行士 秋山豊寛氏 講演会」

羽村市・福生市・瑞穂町子ども体験塾実行委員会主催 子ども宇宙塾「きみも宇宙飛行士に」での秋山豊寛氏講演レポ。 講演日:2010/08/21
18
前へ 1 2 ・・ 5 次へ
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

講演最初は映像による宇宙特派員としての活動を紹介。「EARTH, WE LOVE」打ち上げ前までの、ユーミンとかサブちゃんとか応援に駆けつける映像など

2010-08-21 22:39:13
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

ソユーズ11号打上げ映像紹介では打ち上げシーケンスごとになかなか細かい説明がついてたけど覚えてない(^^; てかこの「EARTH,WE LOVE」って紹介ビデオは販売かなにかされてないのかなぁ…管制室?では打ち上げ成功に涙を流す菊池涼子さんの映像

2010-08-21 22:50:07
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

ミールとドッキング後は当時の滞在クルーの筋トレ映像とか食事の映像とかを交えつつ宇宙飛行士の仕事を紹介。その中で秋山さんの「おもちゃ実験」(けん玉とか巻き取り笛とか)や扇で体が動くか実験、扇をちょんまげに見立てて前回りしたりしてるところの映像など

2010-08-21 22:57:15
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

そのほかにも平衡感覚検査(目隠し状態で、決められた枠の中に自分の名前を書いたり、枠に沿ってペンでなぞったり)や肌の角質を落としてセンターつけて睡眠検査などを行っている映像の紹介

2010-08-21 22:59:33
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

ミールでの活動紹介の後は、ソユーズ10号に乗ってアンドッキング、大気圏突入、帰還の紹介。ひととおり映像での説明が終わって秋山さん再登場。講演が本格的に始まります。

2010-08-21 23:02:14
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

秋山さんによれば、自分が乗ったころと、今のソユーズのシステムはおおむね変わっていないとのこと。後年、ソユーズのシステムについて関係者に話を聞く機会があり、その時に操作手順等を聞いたら、自分が覚えている手順と変わっている部分がほとんどなかったとか。

2010-08-21 23:04:12
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

ちなみに秋山さんはガガーリンから数えて243番目に宇宙に行った人間。会場に向かって、この中で宇宙に行きたい人に挙手を求めると結構な人が手を挙げるが、宇宙飛行士になりたい人となると数が少なくなる「ここで手を挙げる人というのはたいてい若い人だからね」会場から笑い

2010-08-21 23:06:44
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

ここで宇宙の定義について秋山さんから説明。この辺りは宇宙クラスタ的には不必要だろうから端折るかw ちなみに今ツイートしているのはすべて記憶に頼って書いているので結構あいまいなところがあったりするのはご容赦を(^^;

2010-08-21 23:08:01
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

で、ソユーズの技術が基本的には大きな変化がないことに触れて、「ソユーズの有人技術は40年前におおむね出来上がっている。ということは日本でもやろうとおもえばできるということ、お金を出せればね」「で、今ではもう民間宇宙旅行会社というのもある」スペースアドベンチャーズについて簡単に紹介

2010-08-21 23:11:15
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

「ホリエモンで有名なライブドアにいてこの宇宙旅行に予約していた人もいるくらいで」さらっと話の中にいれてくるなぁw

2010-08-21 23:14:02
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

で、話はご自身の宇宙特派員になるきっかけのあたりに。当時TBSがちょうど40周年を迎えるということで、なにか記念番組ができないかということになり、そこで宇宙特派員という企画が上がった。ただこの前にはちょっとした前振りがあったとのこと。

2010-08-21 23:15:23
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

(たぶん、このあたりは秋山さんの過去の著作あたりに書かれているようなことだろうなぁ…講演で聞いたことはうろ覚えだしどうするか…まぁいいか)

2010-08-21 23:16:57
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

当時、TBSに宇宙好きな記者がいて、ハレーすい星接近の時、各国の研究機関が共同でハレーすい星探査計画を進めるのに一役買った人物がいた。その時の縁がもとになり、当時のロシアの宇宙関係者と親しくなり、パイプができた。それがあって宇宙特派員企画ができるようになった

2010-08-21 23:23:01
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

当時はまぁバブルでお金があった時代だろうけど、「お金があれば宇宙に行けるというものでもなかった。そうした人間関係があったからこそ、宇宙に行くことができた」とのこと

2010-08-21 23:24:48
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

で、TBS社内で宇宙特派員募集があったが、1500人の社員中、500人が応募、そのほとんどが20代だった中で、当時46歳で応募、一次で100人に、次に21人にまで絞られたが、の二次選考時に胃潰瘍の跡が見つかり落選。最終の7人には残れなかった

2010-08-21 23:26:10
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

ところがその7人もメディカルチェックでいろいろと引っかかり問題に。その中で、秋山さんの診断結果は「胃潰瘍の跡、ならもう治っているということじゃないか」となり、敗者復活、めでたく宇宙特派員にえらばれたというエピソードを紹介。その後、秋山さん、菊池さんは訓練のためロシアへ

2010-08-21 23:27:50
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

ところが秋山さんが言うには「選抜されたらあとは訓練して宇宙に行くだけかと思ったら、宇宙飛行士の資格を取らないといけなくて、そのためにはロシア語を勉強しないといけないということを後で知った」とかw

2010-08-21 23:29:10
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

で、ロシア語勉強して、資格試験の勉強もして、めでたくソビエト第三級宇宙飛行士の資格を取得。「だからね皆さん、外国語の勉強というのは必要なんですよ。今後はシャトルもなくなっちゃうからロシア語勉強しなきゃいけない」だそうで

2010-08-21 23:31:45
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

ところでこのソビエト第三級宇宙飛行士資格、コマンダーでもエンジニアでもない研究搭乗員の資格なので、ソユーズの中ではただ座っていればいい…かというとちゃんと担当があるとのこと。その一つが船内空気の管理。酸素分圧の調整等は全部研究搭乗員のしごとなんだそうです

2010-08-21 23:33:58
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

さて、話をちょっと戻して宇宙特派員選抜での選抜側の問題というか苦労、当時はNASDAで毛利さんたちが選出されたばかりだったとかで、日本の宇宙医学のノウハウなんてもんはまだ確立してなかった。官でさえそんな状態だったから民間の宇宙飛行士選抜なんてどうすりゃいいのかわからない

2010-08-21 23:39:06
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

そんな中で、最終の7人のメディカルチェックが引っ掛かったことについても、秋山さん曰く「そりゃ会社勤めをしているとね、みんなストレスでお父さんは胃を痛めてるんですよ」ってことで、まぁ探していけば病気を持っていない人間なんていないということになり…(^^;

2010-08-21 23:42:42
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

そんなこんなで宇宙飛行士になった秋山さん。ギョーカイを辞めて農業を始める前は白髪頭だったのが、農業やるようになってからすっかり強健になり髪も黒く戻ってきたそうで、「電車に乗って優先席に座っていると『なんでこんな元気そうなやつがここに座ってんだ』という目で見られる」だそうで

2010-08-21 23:45:25
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

さて、ソユーズの話に戻ると、「で、船内酸素の担当ですが、目の前にボタンが一個あって、それを押すだけ、というものじゃないんです。アナログなんです」「それはなぜか、ここでオートになっていて、ボタンを操作した時、もしトラブルが発生したとしてもそれに気付けない」

2010-08-21 23:47:20
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

「そこでもし操作が自分でバルブを開いて、モニタを見ながら調整できる仕様であれば、自分で状況を確認しながら対処することができる。そういう設計になってるんですね。もちろんデジタルが有効な個所についてはデジタル対応になってます。デジタルとアナログがバランスよく配置されている」

2010-08-21 23:48:58
ɩਕ ᓝ⠂ ྄ᚬ ര @hadukino

話は進んで、今度はロケットの重心の話に。宇宙飛行士三人の体重のバランスとかも考慮しているとか。で、バラスト調整が必要になった時に、バラスト代わりに積み込むものは生野菜。りんご、レモン、たまねぎ、にんにく等。何の野菜を乗せるかは船長が権限を持ってるとのこと。

2010-08-21 23:54:30
前へ 1 2 ・・ 5 次へ