保存船舶巡り第一弾“南極観測船「宗谷」見聞録”

1月13日に見学した南極観測船「宗谷」の現状について ソ連向け商船として進水し、 日本向け商船として竣工し、 海軍に特務艦として編入され、 続きを読む
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ユキカゼ @NAVY_ICHIHO

この出来事を、当時宗谷乗組員だった松本菊次郎氏は戦後もずっと覚えており、お礼に行くことができず心残りと書き残している。

2012-08-17 18:57:56
ユキカゼ @NAVY_ICHIHO

そしてあの戦争から66年、女川の街は壊滅的な被害を受けた。宗谷がお世話になったという農家が、今も残っているかどうかすら定かではない。ただ私は、また復興を果たした女川の街に「宗谷」が再び入港する姿を見てみたいと思っている。 http://t.co/zvezrozJ

2012-08-17 18:58:42
ユキカゼ @NAVY_ICHIHO

航海日誌や乗組員の回顧録に載っています。女川空襲の前日にも寄港し、間一髪で英連邦軍の攻撃を避けることができたとか、いろいろと縁があるようです RT @JPN_LISA: 「宗谷」の航海日誌に女川の事が載ってるんですか?「女川町誌」にも記録あるかな。

2012-08-17 23:43:36

「宗谷」船歴

商船「地領丸」時代
1936年
 12月7日:ソビエト連邦向け耐氷型貨物船第107番船として川南工業株式会社香焼島造船所にて起工
1938年
 2月16日:進水。「ボロチャエベツ」と命名される
 3月12日:ソ連への引き渡し契約破棄。日本船籍へ
 6月10日:竣工。「地領丸」と改名され、辰南汽船所属の商船となる
1939年
 12月20日:石川島造船所深川第一ドックに入渠。海軍省へ引き渡される

海軍特務艦「宗谷」時代
1940年
 2月20日:帝国海軍籍となり、「宗谷」と改名される
 6月4日:特務艦「宗谷」竣工。軍艦旗が掲揚される
 6月30日:占守海峡(日本領北千島列島とソ連領カムチャッカ半島の間)の測量を実施
 9月15日:横須賀鎮守府付となる
 10月11日:紀元2600年記念特別観艦式にて拝観艦として参加
1941年
 12月8日:太平洋戦争勃発
1942年
 1月21日:第四艦隊に編入され、第四測量隊として強行測量を担う
 6月6日:ミッドウェー作戦に参加
 8月7日:第一次ソロモン作戦に参加
 9月14日:第八艦隊へ編入
1943年
 1月28日:敵潜より雷撃を受けるも魚雷が不発であったため沈没を免れる。その後反撃し、敵潜の撃破に成功
1944年
 2月1日:連合艦隊附属となる
 2月17日:トラック島空襲にて回避行動中に座礁
 2月18日:艦橋に被弾し副長以下10名が戦死、艦長が重傷を負う。航海長より総員離艦発令
 2月19日:離礁。乗組員が合流し、本土へ退避を始める
 5月7日:戦車第十一連隊(士魂部隊)占守島輸送任務に従事。僚艦は姉妹船「天領丸」及び駆逐艦「雪風」など
 6月16日:用途を運送艦へ変更
1945年
 8月2日:横須賀港にて戦艦「長門」、病院船「氷川丸」など共に空襲を受ける
 8月3日:横須賀港より避退命令が出されたため、室蘭へと向かう
 8月15日:室蘭にて終戦を迎える
 8月18日:食糧補給のため女川港入港
 8月29日:横須賀港にて軍務を解かれる
 8月30日:武装解除。アメリカ軍への引き渡し完了、全乗組員退艦

特別輸送艦「宗谷(S-119)」時代
1945年
 9月12日:宗谷元乗組員に対し充員召集発令
 9月27日:特別輸送艦「宗谷」として再就役
 10月1日:GHQより大蔵省へ返還。第二復員省(旧海軍省)所属となりSCAJAPの管理下に置かれる
 10月7日:引き揚げ任務へ就く
1946年
 3月23日:台湾より引き揚げ輸送の途中、艦内で赤ちゃん(宗子さん)が生まれる
 6月14日:葫芦島在留日本人(満洲引揚者)の引き揚げ任務へ
 8月31日:海軍より除籍され、運輸省に移管される

引き揚げ船「宗谷丸(S-119)」時代
1946年9月1日:運輸省船舶運営会引揚船所属に変更され、「宗谷丸」と改名される
1947年12月3日:第二次樺太引揚輸送に従事
1948年12月15日:北朝鮮引揚輸送に従事
1949年8月1日:解役

海上保安庁灯台補給船「そうや(LL-01)」時代
1949年
 12月24日:東京港竹芝桟橋にて海上保安庁へ編入
1950年
 4月1日:灯台補給船「そうや」として竣工
 4月20日:第一次補給航海へ向けて出港。後に“白姫”のニックネームがつくことに
1954年
 12月18日:奄美群島返還に伴う現金輸送を実施
1955年
 12月24日:灯台補給船解役。同日付で第三管区海上保安本部“巡視船”へと配置換えされる

海上保安庁南極観測船「宗谷(PL-107)」時代
1956年
 10月17日:南極観測船「宗谷」竣工。所属を本庁警備救難部付に変更
 11月8日:第一次南極観測へ向けて東京港を出港
1957年
 1月24日:南氷洋の定着氷に接岸。観測隊は29日までに南極大陸オングル島に上陸し「昭和基地」を設営
 2月28日:ソ連砕氷艦オビ号の救援を受ける
 10月21日:第二次観測へ向けて出港
 12月31日:氷海にてビセット。自力脱出不可能に
1958年
 2月7日:アメリカ砕氷艦バートンアイランドの救援を受ける
 2月24日:南極での越冬を断念。カラフト犬を残し、南極を離脱
 10月5日:大改装工事(ヘリ搭載能力の強化、スクリューの修理など)を実施
 11月12日:第三次観測へ向けて出港
1959年
 1月14日:「南極基地」へ上陸。カラフト犬の「タロ」と「ジロ」の生存が確認される
1962年
 4月17日:第六次観測をもって南極観測船としての任務を終了。同時に海上保安庁は極地輸送から撤退し、以後南極地域観測隊輸送は海上自衛隊の砕氷艦が担うことに

海上保安庁巡視船「宗谷(PL-107)」時代
1962年
 8月1日:巡視船「宗谷」として第三管区海上保安本部に復帰
 8月21日:三宅島雄山噴火につき出動命令
 9月14日:避難児童の帰島輸送に従事
1970年3月18日:択捉島沖漁船遭難事案に出動
1978年10月2日:退役
1979年5月1日:船の科学館にて展示開始

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