犬とオオカミの間～日常の話

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 仔猫はミルクが好きなだけ貰えると学習してから際限なくねだるようになった。よろしい、それが子供の正しい姿だ。部屋の中をどれだけ探検しても怒られないことも覚えた。もともと安くて狭いワンルームだ。探検なんてたかが知れてる。にゃあと鳴けば救助してやる。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep ただし古本屋を巡りに巡ってやっと見つけたその本で爪磨ぎだけはやめてくれ。てか、本は駄目。睨み付けてくる緑の目。やばい、可愛い。口許が緩みそうになるのを堪える。にゃあ。おう、お前それは威嚇か。おっかないな。笑うと短い尻尾がぱたんと叩きつけられる。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 小っこいけど爪は爪だ。本を取り上げると不満げに睨みながらにゃーにゃーまとわりついてくる。駄目。きっぱり言い置くと部屋の隅で丸まってる。おのれ、生意気な。おいこら、一緒に住むんだからルールは守ってくれ。ぱたん。尻尾だけの返事は拒否と言うことらしい。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep と、チャイムが鳴った。一時休戦。一方的に言って玄関へ向かう。 ドアを開けて後悔する。何の用？いつまで遊んでるつもりだ。仕事ならしてるよ。いいから戻れ。やなこった。吐き捨て親戚と睨み合っているといつの間にか仔猫が足元に来た。ああ、お前を連れ戻しに来たんじゃねえ。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 抱え上げた途端、仔猫は俺の腕に爪を立てて毛を逆立てた。シャー！と小さい体全てを使って威嚇している。一瞬唖然とするが慌てて体を掴む。こら、落ち着け。小さい背中を撫でて宥めるがなおも爪を立てて仔猫は威嚇を続ける。…とにかく俺は帰らないから。皆に言っといて。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 守ってくれてありがとな。僕の頭を指で撫でながら彼は笑う。俺も逃げてきたんだよ。彼の腕には赤い曲線がいくつか描かれてる。僕の引っ掻き傷だ。守るつもりが傷つけてしまった。せめてと舌で舐めると、いってえ！と悲鳴を上げられる。君に何もしてあげられない。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 思わず見上げると、どうした元気出せと腹を撫でられる。心地好さに喉が鳴った。これ位気にしなくていい。腕から降り、武器の手入れを再開しようとしたら、だから駄目と本を取り上げられた。君を守る為なのに。爪磨ぎ用の段ボール貰ってきてやるから。彼は笑って僕を抱き締める。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 俺の職場である便利屋は、港近くのレトロなビルの二階にある。後藤が好景気の時に居住も兼ねて安く買い叩いた物件らしい。ビルなのに入り口にはステンドグラスが使われてたり階段はまるで大理石みたいな石を使っていたり、古き良き時代の建物らしい。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 一階にはリオネルと名乗る異国の仕立て屋と、後藤の立石の爺さんのかつての同僚らしい原野という女将が切り盛りする小さな食事処がある。俺や鳥羽はよほどのことがなければそこで昼食を取る。何故ならツケがきく。払わなくても文句言われない。鳥羽なんて更に料理まで習ってる。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep リオネルは人とあまり話したがらないのでたまに店番をさせられる。けど古いバイクを譲ってもらい、メンテナンスまでやってもらってるのだからそれ位安いもんだ。三階は畳敷きの和室。皆、休憩室として使ってる。元軍属達の得物が無造作に置いてあることから目を背ければ寛げる。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 四階は後藤が居住してる。やれ熱が出て動けないだの咳が酷いだのという時は俺か椿さんがそこまで出向くことになる。どうしてあの雇い主は肺に持病があるくせに煙草をやめないのか。もっともうちの職場は鳥羽といい椿といい、ヘビースモーカーが多いのだが。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep この街の住人は口を揃えてこう言う。厄介事があったら警察に駆け込むよりあのビルに駆け込んだ方が手っ取り早い。ビルの持ち主は不本意そうに笑う。厄介事は嫌いだよ。体に悪いじゃないの。まあ、こちらも楽しませてくれる様な厄介事だったらいいけどさあ。

長月笹良 @sasa_sep

@Yukilinus 朝が来るのが好きじゃない。彼がいなくなってしまうからだ。自由にしていいと言われても、ひとりで遊んでも面白くない。爪磨ぎと毛繕いを済ませ、日当たりのいい窓辺に寝そべる。でも、ここは暖かい。優しい匂いがする。親や兄弟達と離されて、僕の世界は狭い檻の中だけだった。

長月笹良 @sasa_sep

@Yukilinus 泣いても、誰も助けてくれない。檻の扉が開いているのに気づいた時、未知の世界への恐れよりもここにいたくないという思いが勝った。初めての外は檻の中よりも冷たかったが、僕は満足だった。出会った黒い瞳の男が死出の案内人でも、喜んで連れていかれることができると思った。

長月笹良 @sasa_sep

@Yukilinus ふと目を開けると日が落ちていた。もうすぐ、彼が帰ってくる。そう考えると元気が出てくる。彼はあの世からの使いなどではなく、僕に生きろと言った。温かい寝床とお腹いっぱいの御飯を与え、飽かずに撫でてくれる。また、昨日の玩具で遊ぶだろうか。思い出すだけで愉快になる。

長月笹良 @sasa_sep

@Yukilinus 最初の三日程は出勤しようとすると仔猫が足元に纏わりついて難儀した。やっと閉めた扉を向こうからかりかり引っ掻いている音が聞こえて、危うく事務所に休みますって電話をするとこだった。そのうち諦めたのか悟ったのか、駄々はこねずに不機嫌そうに尻尾を振って送ってくれる。

長月笹良 @sasa_sep

@Yukilinus 午後に飛び込みで入ってきた、廃業した雑貨屋の整理の依頼に思ったより手こずった。他の仕事を終えたメンバーも応援に回ってくれたが、売れそうな物は現金にしたいという依頼主の意向のもと膨大な在庫品を仕分ける作業に時間をとられた。疲れた、お腹が減ったよ。後藤がぼやく。

長月笹良 @sasa_sep

@Yukilinus 自分は埃を避けてリスト作りをしていたのだが。帰りに美味しいもの食べて行こうよ、僕がおごるから。御馳走様ですと鳥羽が素早く応じ、酒だなと立石の爺さんは軍手をはたく。…すいません、折角ですが。ああ、椿はお姫様のお世話をしなきゃね。あの、俺も帰ります。ええ、君も？

長月笹良 @sasa_sep

@Yukilinus そうか、蓮見くんまで付き合い悪くなっちゃうのか。所長も見たでしょ、俺あいつに首ったけなんで。いいですよ、頭数が減ったから、所長の知り合いの方がやってらっしゃるお店行きましょうよ。ああ、いいね。言われて思い出す。そもそも後藤は舌が煩くて美味い店にしか行かない。

長月笹良 @sasa_sep

@Yukilinus 中でも粋な女将のその小料理屋は出てくるもの全部が俺の好みで、でも自分で行くにはちょっと敷居が高かったのだ。鳥羽ちゃんちの猫はいいわけ？ 平気よ、何処かで勝手に御飯貰ってるもの。早く帰ってあげなさいな、片付けといてあげるから。なんだかんだで恩に着て家路を急ぐ。

長月笹良 @sasa_sep

@Yukilinus おかしい。いくらなんでも遅い。闇に沈んだ部屋はしんと冷える。外を自動車の光が流れる窓辺と玄関とを何度も行ったり来たりする。にゃあ。呼んでも誰も来ない。もし外で彼に何かあっても、僕は何もできない。だだじっと待っていることしか。扉の前に座り、そっと尻尾を巻いた。

長月笹良 @sasa_sep

@Yukilinus 耳を澄ますと外を歩く足音が聞こえる。一度は彼かと思ったが、通り過ぎて隣の部屋に入っていったので座り直した。と、金属の触れ合う音に耳が反応する。ただいまあ、待ち侘びた声にいてもたってもいられず床を蹴った。灯りをつけようと壁に手を伸ばした胸に飛び込む。…うわ！？

長月笹良 @sasa_sep

@Yukilinus 慌てた声がする。彼は僕ほど夜目がきかないのだと気付くが構わずにジャケットの懐に潜り込む。おお、びっくりした…遅くなったな、ごめんな。抱き上げられ、鼻先に寄せられた頬が冷えている。こんなに寒いのに、馬鹿。お前、お日様の匂いがするな、たくさん日向ぼっこしたのか？

長月笹良 @sasa_sep

@Yukilinus あったかいな、今日くたびれたけどもういいや。頬擦りされて目を細める。腹減っただろ？ そういえばひもじかったことを思い出す。でも、それ以上に寂しかった。昔なら知らなかった温かなものを、彼が与えてくれたから。…お腹が空いた。甘えた声が出る。よしよし、ごめんな。

長月笹良 @sasa_sep

@Yukilinus 皿に注いで貰ったミルクを舐めている僕を、彼は缶ビールを飲みながら眺める。…でも、またこんな風に遅くなったら、やっぱり俺一人だと。僕はどこにも行かない。こぼす彼に声で応じると、わかってるよと笑われた。腹いっぱいになった？ 遊ぼうぜ。玩具で戯らされて転げ回った。