ダンスと音楽をめぐって

桜井圭介/前田愛実/藤原ちから/佐々木敦/ほうほう堂
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佐々木敦 @sasakiatsushi

だから当初は完全ノンビートでノンミュージック、とにかく「物音」と「自然音」だけで構成するつもりだったのだけど、出番が結構イベントの深い時間、トリ前ということを知ってから、ちょっと考えを変えた。あまりにシリアスで即物的過ぎると、なんか盛り下がるかなと。まあ弱気になったわけだ(笑)。

2010-08-25 14:30:54
佐々木敦 @sasakiatsushi

そこでロベルト・カッチャパーリアの長尺の曲をメインに据え、他はドローンやフィールドレコーディングの断片をクロスフェードしたりして15分保たせようということにした。で、ここが肝心なのだが、僕は曲の構成をほうほう堂の振付とはまったく別個に考えて、当日はただそのままをやっただけなのだ。

2010-08-25 14:34:45
佐々木敦 @sasakiatsushi

稽古に来て欲しいと言われてたのだけど、結局一度も行かなかった。タイミングが合わなかったということもあるけれど、互いに擦り合わせをするのはこの企画のアイデアとは(僕の受け取り方としては)ちょっと違うんじゃないかと思ったからだ(あと稽古って、なんだか恥ずかしいということもあった)。

2010-08-25 14:37:41
佐々木敦 @sasakiatsushi

大谷君も同様に事前に音を合わせてみる時間が取れず、彼の希望で稽古場での映像をネット経由で送ってもらったのだが、僕はそれも一度見ただけで(宝物として大切に取ってありますが)、それを基に音の流れを考えるということは全くしなかった。で、当日リハーサルの際に一回だけ通して後は本番だった。

2010-08-25 14:41:51
佐々木敦 @sasakiatsushi

映画音楽を手がけるミュージシャンがどこに苦労するかというと、映像と如何に合わせるか、ということではなくて、むしろ、どんな音でも合ってしまう、ということにだという。これは作曲家の鈴木治行さんが『語りもの』のライナーでも書いていたし、今年のゴダールシンポで菊地成孔さんも同意していた。

2010-08-25 14:46:03
佐々木敦 @sasakiatsushi

ソニマージュなクレショフ効果?。しかしこれは映像だけではなくて、ダンスにも当て嵌まる。むしろ抽象的である分、よりその超親和力は高いと言えるかもしれない。つまり、あるダンスが踊られ、その場にある音楽が流れていれば、観客はそれをそのようなものとして受け取るのだ。無論好き嫌いはあるが。

2010-08-25 14:48:15
佐々木敦 @sasakiatsushi

だから僕は要するに、ほうほう堂の振付がいかなるものであるかとは極端に言うと無関係に(ほんとうはそうではないが)、ああしようと思っていて、ああした。それで結果として、その場のそれぞれの観客がどう思うか、は結構心配だったけど、ダンスとサウンドが合う合わないは全然心配していなかった。

2010-08-25 14:51:37
佐々木敦 @sasakiatsushi

つまり、何が言いたいのかというと、少なくとも「目に見えているもの」に「耳から聴こえてくるもの」が、何がどうであれ結果としてはフィットというかシンクロ(?)してしまうという事実は、表現や個体の潜在性とか可能性の問題とは、やはりちょっと違うのではないだろうか、ということなのだ。

2010-08-25 14:56:30
佐々木敦 @sasakiatsushi

いや、それは或る意味ではそうかもしれないが、それはむしろ、それを見て聴いている我々の側にあるものなのであって、特定の媒体に宿るものではない、と僕は思う。つまりほうほう堂だから、玉三郎だから、ということではない。なんらかの特権的な身体/存在だから、それが可能だ、ということではない。

2010-08-25 15:00:59
佐々木敦 @sasakiatsushi

こう書いたからといって、ほうほう堂に対して失礼ということにはならないと思う。僕は彼女たちのダンスを大好きだし、彼女たちがやってきたこと/やろうとしていることは(そのすべてを知ってるわけではもちろんないけれど)、きわめて興味深く、こう言ってよければ、潜在性に満ちていると思っている。

2010-08-25 15:03:42
佐々木敦 @sasakiatsushi

また同じような機会があったら、こないだとは全然違う音で「合わせて」みたいと思っている。そしてそれは必ず合ってしまうことだろう。だから体験としての強度を保証しているのは、まず第一に、当り前だがほうほう堂の身体であり、その挙動である。音は何でもいい。だが良い音の方がいいのは勿論だが。

2010-08-25 15:12:07
藤原ちから @pulfujiko

マガジン・ワンダーランドの文章はここでも読めます。でも改行が変かも? 数日後にウェブに載ると思いますが。http://archive.mag2.com/0000201899/index.html

2010-08-25 17:14:30
桜井圭介 @sakuraikeisuke

RT @sasakiatsushi それはむしろ、それを見て聴いている我々の側にあるものなのであって、特定の媒体に宿るものではない、と僕は思う。つまりほうほう堂だから、玉三郎だから、ということではない。なんらかの特権的な身体/存在だから、それが可能だ、ということではない。

2010-08-26 01:43:03
桜井圭介 @sakuraikeisuke

RT @sasakiatsushi 「目に見えているもの」に「耳から聴こえてくるもの」が、何がどうであれ結果としてはフィットというかシンクロ(?)してしまうという事実は、表現や個体の潜在性とか可能性の問題とは、やはりちょっと違うのではないだろうか、ということなのだ。

2010-08-26 01:42:56
桜井圭介 @sakuraikeisuke

今RTした佐々木さんのツイートに関して少しレスします。

2010-08-26 01:44:06
桜井圭介 @sakuraikeisuke

これまでの流れで若干ごっちゃになってますが、今クリアにしておきたいのは、(1) 予め記録された映像のなかのダンスに音を被せることと (2) その場で音楽に対応して踊られる生のダンスとは条件が異なる、ということです。

2010-08-26 01:45:06
桜井圭介 @sakuraikeisuke

合う合わないという時、その組み合わせの何が合っているのか? 僕はあくまでも、踊りの「運動」と音楽の「運動」のことを言ってます。

2010-08-26 01:45:54
桜井圭介 @sakuraikeisuke

その上で、(1) 先に映像があってそれに音を嵌める場合は「それを見ている我々の側」が主体的に潜在性を読む。したがって、何でも合う。ただし、読み方(把握されるグルーヴ)は「その都度一つ」だけである。

2010-08-26 01:46:17
桜井圭介 @sakuraikeisuke

(2) 先に音があってそれにダンサーが身体を乗せていく場合は、基本的に、ダンサーが主体的に選び取ったグルーヴを見る者が受け取ることになる。それ以外の可能性=潜在性は、顕在化(現働化)しているものによってマスキングされる。

2010-08-26 01:46:46
桜井圭介 @sakuraikeisuke

(3) しかし、翻って(1)のような場合に生まれる様々なグルーヴをダンサーが認識することによって、自身が踊る際の「音の取り方」が飛躍的に豊かになるのではないか? 以上が僕のそもそも考えていた主意です。

2010-08-26 01:56:43
MAEDAmanami @mdmnm

桜井さん @sakuraikeisuke のいう「カウントのズラし」。今どきダンスには「ズラ」してるのと「ズレ」ちゃった場合があるのだけど、世の中の大手ダンス批評からは「ズレ」ちゃったはあんまり評価されない気がする。どっちもいいが私は「ズレ」ちゃったが湧き出る方向でいきたい。

2010-08-25 23:43:47
MAEDAmanami @mdmnm

そして「カウントのズラし」を意図的に体現しようと、リズムをどんどん細分化していく努力をするとガタガタして痙攣状になります。そうだったのね。ワカッテナカッタワ。

2010-08-25 23:51:07
ほうほう堂/HoHo-Do @hohodo155cm

「ほうほう堂×DJs」について。振付に対する音楽というのは、確かに何でも合ってしまうといえるのかもしれない。けれども、音楽によって、踊る方は瞬間毎に様々な影響を受け、それは確実にライブとしてのクオリティーには反映されてくるという実感はあります。

2010-08-25 21:33:20
ほうほう堂/HoHo-Do @hohodo155cm

予めある振付けが生きるか死ぬか、それがダンスになるのかならないのか、そのかけひきが音楽との間で行なわれてる。音楽にのったりのらなかったり、ただ聞いてたり。様々なアクションが音楽が刻むリズムに加えて、こちらの身体のリズムとも絡んで新しいリズムを作る。ライブって事がポイントと思う。

2010-08-25 21:53:33
ほうほう堂/HoHo-Do @hohodo155cm

桜井さん、その通り!と思いますー。そしてそこがやってて難しく、面白いところ。RT @sakuraikeisuke (3) しかし、翻って(1)のような場合に生まれる様々なグルーヴをダンサーが認識することによって、自身が踊る際の「音の取り方」が飛躍的に豊かになるのではないか?

2010-08-26 08:22:54