『インセプション』メモ 現実そっくりの、でもルールは違う異世界。
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先日、帰省先でやっと見た『インセプション』。感想のつぶやきを残しておこうと思ったけど、ネタバレ解禁になったのを幸いに、あれこれ感想ブログを読んだら基本的に書くことなんて無くなってしまった。だからまあ、極めて個人的なことだけ、メモとしてつぶやいておこう。
2010-08-21 03:12:29『インセプション』は、ケン・ワタナベ「インマイドリーム…」でおなじみの、夢の中に入っていくお話なんだけど、夢の構造が4階建て。夢の中の夢の中へ行ってみたいと思いませんか?という具合に、夢の入れ子構造だけで4階層もある。さらに劇中での「現実」があるので、それも合わせれば5階層。
2010-08-21 03:13:17夢の中にはいろいろルールがあるが、夢の中で目覚めるには「キック」と呼ばれる衝撃を受けないといけない。これは実際、夢の中で落下や転倒したときに、ハッと目が覚めることがあるので、あれを人為的に起こすものだと私は理解しました。確かにあれはすぐ起きる(笑)。
2010-08-21 03:14:02「キック」で夢から現実に戻る際の合図として、エディット・ピアフの曲(調べたら『水に流して(Non, je ne regrette rien)』)が使われています。この曲は劇中で何度も「キック」の合図として出てくるが、映画が終わり、エンドロールの最後の最後にもこの曲がかかる。
2010-08-21 03:16:26楽しい楽しい映画が終わり、スクリーンに映る光が消えると、私はつらい現実に戻らないといけないので、エンドロール最後の「キック」の合図(=現実に戻れ)は、ひどく堪えた。わかった。わかってるよ。映画の中につくられた5階層のさらに上の階層、いちばん外側が私が生きてるところが6階層目だ。
2010-08-21 03:20:01「キック」されて現実に戻ったあと。音楽がすばらしかったので、ぜひサントラを購入しよう、と調べると、なんとサントラには、エディット・ピアフの曲は収録されていないという。私はそれがなぜなのかは知らないが、そういった真の事情とは全く関係なく、すごいな、と思った。
2010-08-21 03:23:45映画『インセプション』は終わってしまったので、せめてサントラでも買って聴こうと思ったらピアフの曲は無し。この第6階層たる現実では、例の「キック」の曲は聴こえてこないよ、とでも言われたかのように感じた。(もちろんサントラでなくともピアフの曲自体は聴けるのだが、そういう問題ではない)
2010-08-21 03:28:53だから仕方ないので、エディット・ピアフ『水に流して(Non, je ne regrette rien)』は無しで、生きていくことにします。
2010-08-21 03:30:10『インセプション』。今度は夢世界の設計のおはなし。この作品では、ターゲットも含めたみんなで夢を共有しますが、その中の世界はデザインされるものとしてあります。「設計士」と呼ばれる人が、ビルだったり、街並みだったり、本物そっくりに作ります。
2010-08-21 03:34:43夢の中を舞台にする映画だと、何でもありになってしまうのが魅力でもあり難しいところでもあるのですが、現実と全く同じに見える街並みで夢世界を済ませる言い訳がきっちりありまして、面白さと利点のための言い訳設定大好きの私にはたまりませんでした。
2010-08-21 03:39:12ようするに、ターゲットとなる人物の夢の中におじゃま(夢の共有)するわけですが、結局のところ、ハッキングのように、味方の「設計士」がステージデザインした夢世界で支配してしまうんですよね。夢の中で夢と気付かれないよう、違和感を感じないよう、自然な現実として、夢ステージをデザインする。
2010-08-21 03:42:14「それだと、せっかく夢世界なのに、いわゆる劇中での"現実"と同じになってしまわない?」なります。でも私はそこが何よりすばらしいと思うんですよね。例えば、前半にレオ様が、スカウトした「設計士」の卵に夢設計のレクチャーをするシーンがあります。
2010-08-21 03:46:05カット変わり、話は街のカフェ。テーブルに座る2人。レクチャーは続いています。レオ様はふとこう言います。「どうやってここへきた?」答えられません。だって単にカットが変わっただけですもの。歩いてカフェ見つけて入って注文して、といった本来あるべきシーンはそれこそカット(省略)されている
2010-08-21 03:49:48映画を見てる私たちは、「カフェ見つけて入って注文してコーヒー飲んで」というシーンの省略が、当たり前のフィルム上の演出(編集)としてのものかと思ったらそうじゃなかった!なんでカットが変わって場面がカフェになったのか、劇中の登場人物でさえ全く分かっていなかった!
2010-08-21 03:53:55そこで、あ、このカフェのある街並みが夢世界なのか、と初めて気付く。プロによって設計された夢世界は、現実と区別がつかず、前のシーンと、カット変わったそのあとのシーンで何が違うのか、実際見ている観客(私)にも分からない。その場にいるはずの登場人物にも分からない。
2010-08-21 03:57:20@katoyuu1 巧みでした。『インセプション』の夢世界は現実と同じすぎてあまり面白くない、という感想をどこかで目にした気がするのですが、明らかにその2つは同じである必要があったのだと思います。
2010-08-21 03:59:25つまり『インセプション』では、序盤でカット→次のカットという、映像での基本的な場面のつなぎを、現実→夢への変化として見せている。映画(作品)レベルでなく、カットレベルで、「前のカットが現実だとして、今のカットが現実だとなぜ言い切れる?」という、押井守ごっこができるので、恐ろしい。
2010-08-21 04:07:15夢世界について、今度は少し変えて、枠組みレベルの話。映画の舞台として、派手にいろいろできるオモシロワールドが必要になります。それを現実でやるならば、現実を面白くできるほどの力を持った超人やヒーローが必要ですが、そうでなければ舞台としてのオモシロ世界を創るべきでしょう。
2010-08-21 04:12:25『マトリックス』は仮想現実で見る夢という意味で、『インセプション』と通じるところがありますが、『マトリックス』で有名な、銃弾よけたり、飛んだりする舞台は、電脳世界のいわば夢の中の世界です。オモシロいことするために用意され構築されたオモシロワールドです。
2010-08-21 04:17:23『マトリックス』では、いわゆる現実というのは、地球がめちゃくちゃになっていますので、基本的にCGで表現される世界なんですよね。一方、コンピューターの中の世界は、現実の街並みと全く同じ。私たちがいる世界と何も変わらない。
2010-08-21 04:21:18『マトリックス』の現実であるCG世界と、コンピューターの中の現実そっくりの街並み。どちらが魅力的か、といえば、もちろんコンピューター内の街並み。仮想世界なのに、現実の街でロケすることができるし、そっくりだけど、あくまで「ルールが違う現実」なので、さまざまなギミックをほどこせる。
2010-08-21 04:26:18キアヌ演じるネオも、コンピューターの中でならさまざまな活躍ができ、結果的に、現実を越える力を持った超人、ヒーローものと同じ構造を持つことになる。スーパーなのはキャラクターなのか、世界なのか、という違いだけ。
2010-08-21 04:30:56当時『マトリックス』を劇場で見たときは「コンピューター世界」といって、普通に街並み撮影したらいい時代だよね、ということに感動した覚えがある。これは概念だけでなく、実際のコンピューターやCGの進化の流れがあった上で、現実と区別のつかないコンピューター世界を受け入れやすくなった。
2010-08-21 04:38:03個人的な『マトリックス』でいちばん大事なところは、現実と区別のできない創られた世界→じゃあ現実で普通に撮影できるよね、という1周まわったところにあります。コンピューター世界です、といいながら普通に街並みを映し、その中で現実にはできないルールとファンタジーをやるのが好きなんですよね
2010-08-21 04:46:00