今は亡き大河のための遠吠え(主に装束への)

大河「平清盛」へのとある晩の愚痴ツッコミまとめ。 主に、装束関連。過去に書いた装束図解を添えました。 『袈裟がない』 『不思議な袖無衣』 『それは、襟巻きじゃない』 『服喪は?』 など。
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逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

全身同色でまとめようとする、テーマカラーといいつつその色が当時持っていた意味を考慮しない、生地や文様についてもぐだぐだ。二陪織物の狩衣が普段着なんて当時にしちゃ悪趣味すぎるし。もともとTPOおかしいし季節感もないし、喪服もおかしかったしなあ

2013-01-30 23:05:52
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高倉院危篤のときの徳子、病床でも平素通りのはなやぎ色衣で、崩御後も同じ…。他もまともに服喪してた記憶がない。でも最終回で清盛の死後、一門の面々が奇妙な袖無し黒衣を豪華狩衣の上に羽織ってた。あれはひいた……。もう壁際ギリギリまでひききってたのにまだ退ける余地があるとは思わなかった。

2013-01-30 23:16:35
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あの袖無しの長衣というのも大河清盛オリジナル要素でデザイナーのお気にだったのか多用されたが、ああいう型の衣が絶対にまったく存在の可能性すらないとまでは断言しないが(単に良識として)似たような型の手無し、肩衣であったとしても、盤領の上から更に着重ねるということはしないのが普通。

2013-01-30 23:22:14
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盤領(袍直衣狩衣水干など)は袍が『うえのきぬ』と訓まれるとおり上位、表衣であって、下に着込めることはあっても、上に衣を重ねることは性質上ない。例外は神事に用いる小忌衣くらい。そりゃ内々に防寒で羽織りものをしなかったとは云えないけど人前に出る格好ではない。

2013-01-30 23:26:38

参考:方領(ほうりょう、かくえり)と盤領(ばんりょう、まるえり) 
http://twitpic.com/bzs3vf

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あと盤領の上からでも袈裟はかけたよ。フフ

2013-01-30 23:34:51

参考:清盛のふしぎ装束(主に坊主)
 http://twitpic.com/a14sqt

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死を悼む歌会とかいいつつだれも喪服じゃなかったりな。服喪といえば諒闇があったこともない気がする。崩御前はそれなりに騒いでも崩御後のあっさり感がすごかった。あと院や今上の危篤を大声で触れ回ってるシーンが繰り返される回があったのは狂ってると思った。

2013-01-30 23:42:15
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

主君が重篤などという、口にするのも憚られる、かなしく、こころぼそく、おそろしいことを、公人が宮中で大声で叫んだりとか、あたまおかしい。

2013-01-30 23:49:16
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

信仰にしても、皇室だか王家だかの扱いにしても、私個人としては制作側の信仰心や愛国心なんかどうでもいい。ただ、当時の人はそうだったでしょう?私達とは違うかも知れないけど、昔の人達にも心から敬い大切にしていたものがあったでしょう?それを描いて欲しかったよっていうだけ。

2013-01-31 00:02:39

袈裟の話を引っ張る

逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

御指摘を頂いたので補記しますが、大河「平清盛」の世界では袈裟が存在しなかった、というわけではありません。五条袈裟はまず清盛が明子の葬儀で蹴倒した坊さん。次の回で信西が(彼としてはこれ一回切り)歌会のときに懸けていたものとはそれと同じ袈裟。

2013-01-31 00:59:14
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女院回りの女房や、法会などでちょろちょろ出てくる脇坊主たちがたまーに懸けている場合もあるが、懸けない場合もある。規則性不明。多分撮影の都合で現場に袈裟があるときは懸けちゃおうみたいな話だったのかな…ほとんど使い回しだったから…

2013-01-31 01:01:34
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

五条より上位の七条袈裟は、全編を通して三回だけ出てきた。叡山座主明雲が清盛の落飾式と福原千僧供養で懸け、三井寺長吏が後白河院落飾式で懸けていた。これも、同じ袈裟の使い回し(か、同じ柄)明雲と覚忠敵対してたのにおそろ袈裟(笑)

2013-01-31 01:09:13
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

遮那王の師が懸けていた袈裟は、五条袈裟の簡略形の絡子だが、禅宗由来の物で、平安末期には存在しない。袈裟ではないが清盛が被っていたフード付き帽子(談公帽子)も臨済宗のもので日本にはまだなかった。輸入品設定でもいいけど、袈裟はないのに帽子だけ輸入ってのもな)

2013-01-31 01:13:08
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

そして、メインキャラクターの法皇及び入道達は、袈裟がない。前述のように信西が一回だけ懸けていた、ということは、絶対懸けない設定とかポリシーでもとなかったのかも知れないが、それならなぜ懸けないのかわからない。

2013-01-31 01:15:33
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

これはしつこく主張してきたことだが、むしろ彼らにこそ、袈裟はなければならなかった。なぜなら彼らは、入道後も政と関わる公人だったから。公人ならば己の身分を明らかにせねばならない。それが礼儀でもある。また彼らの装束は、裘代か袍裳の改造系だと思われるが、これらは法衣としては上位のもので

2013-01-31 01:18:16
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

ほぼ俗人の官服にあたる扱いであり、そういった性格の装束に合わせるためにこそ五条袈裟はあった。スーツの上下セットみたいなもので、内々には略すことはあっても、公の場で外すという選択肢は最初から無い。

2013-01-31 01:21:02
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

福原でゴロゴロしてる時の清盛はまあまあ置いておくとして、信西や西光が御前に顔出しするときに袈裟なしはまずかろう…。

2013-01-31 01:27:13

参考『清盛の法体装束がどれだけだらしないか図解』 http://twitpic.com/b1xben

逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

それに、先程の千僧供養のシーンだが、明雲は法要中袈裟着用、列席の清盛たちは袈裟無し……。そして……ガクッと来たのは…法要後にわざわざ袈裟脱いだ明雲が出てきたこと、なんでや…なんでや…

2013-01-31 01:28:45
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

おざっさんやったらずっと袈裟でもええやんけ!!!!!いけず!!!!!

2013-01-31 01:29:32
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

法皇の裘代については、最初のころ、袈裟無しなのは内々のシーンだからだと自分を納得させていたけれど、盛儀でも袈裟はなかったし、帯位置がなぜか普通より高く下具の着込みが甘いので腰が派手にえぐれてたのが、袈裟がないためにアラワになっていて、見ていてつらかった。

2013-01-31 01:33:21

参考:五条袈裟着用の裘代(と長素絹)
http://twitpic.com/a4bm2t

逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

清盛が「落飾しても心は俗」の表現として袈裟をはずしてるんじゃないか、という御意見を頂いたこともあったのですが、そんならむしろ、俗服に袈裟とかのほうがまだましじゃーと思う。袈裟無し法衣は、単に内々くつろぎ着だから、もしもそういう何かの主張だしたら弱すぎるんじゃないかなあ

2013-01-31 01:43:05
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