- yuuki051012
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むかし、俺に仕事をくれたとある団体は公私混同がひどかった。打ち上げの席でたいへん仲良くしてくれて、みんな俺を身近に感じてくれていたのだが、その代わりにきちんとした手段を経ずに無茶な日程で何度も講演を入れてきた。俺はそのときプライベートでも破綻しかけていたので、心底疲れてしまった。
2013-02-05 14:28:35こういう講演の仕事というのは、「一度断るともう絶対に呼ばれない」というのが常識だし、何より俺は講演をすることで自分の研鑽にもなっていたため「恩」もあった それでももう限界だったので、「別の仕事を担当する代わりに、講演の依頼を控えてくれないか」とお願いした。
2013-02-05 14:29:35そのときの相手方のセリフはおおまかに、「別に同じ内容何回やってもいいからまた来てくださいよ」「人気あるんですよお願いしますよ」「あー全国区になっちゃったもんねーしょうがないねー」などであった。いろいろな意味にとれるがそのときの俺はこの一連のセリフをすごく寂しく聞いた。
2013-02-05 14:30:32俺が代わりに担当する仕事は原稿仕事だったが、俺は自分から「原稿料はなくてもいいです。講演ができないおわびに」と言った。これ以上しばられたくなかった。もちろん、原稿料は(俺の意志でもあるから)入らなかったし話も出なかった。
2013-02-05 14:31:29「自分が成長できるから」「自分ががんばれば自分以外の人も喜んでくれるから」「みんなのために」「俺がやらないと大変なことになるから」などの言葉とともに献身することは多くの人の役に立ち、かつ、その献身した本人を間違いなくつぶしにかかる行為である。つぶされてもいい、という覚悟まで要る。
2013-02-05 14:32:38そして、献身している人間をつぶすのは明確な悪意ではなく、「あいつ物好きだから助かるよwww」的な、社会的に影響力がなく仕事的にもライバルにはなりえず本来目の中に映っていなかったはずの「モブのセリフ」である。
2013-02-05 14:33:36そのときおれは気づいたのだ。「ああ、俺は、また過剰な主人公意識で行動していたのだ」と。自分がモブ扱いしていた人間に「いいねえ先生は、講演断ってさらにいい講演できるんだもんな、ま、がんばって!」と言われた時に、「ああ、俺が主役でいられたのは、俺の中だけだった」と思ったのだ。
2013-02-05 14:34:50地方医療にしても、各科連携にしても、医療には常に「弱者救済せよ!」的なメッセージがふりかかる。一時的に弱者を救うのは、「立場的に強いところにいる人間の熱意」である。しかし、それは「相対的強者を引きずりおろし、みんな平等な人間であると思い知らせる行為」にもつながる。
2013-02-05 14:35:55もしわれわれが、「システムごと動かすだけの知見、ポジション、行動力」すべてを兼ね備えていない場合。個人の善意は最終的に禍根と後悔を残すことが多い。俺はそういう「システムをいじれるほどえらい大学の人間」ではなかった。意見はいくらでも言えるが所詮2ちゃんねるのあおりと同じだ。
2013-02-05 14:37:15「弱いものを救いたい」と思うなら、強くならなければいけないから、どんどん中央に出ていかなければいけない。そういう人が増えに増えて、地方をシステムごと救えるような天才が1人、2人出た段階ではじめて世の中は変わる。
2013-02-05 14:37:59できることなんて勉強するしかない。勉強して自分が優秀かどうかを確認するしかない。どれくらいの能力でどれくらい貢献できるのかを見極めないといけない。理想なんていくらでもいえる。実行できるだけの実力がないと話にならない。
2013-02-05 14:39:53ほかの仕事はしらん。医者は優秀であれば優秀であるほどいいと俺が考えているのはそういうわけだ。人間性とかなまっちょろい。あってあたりまえ。それは社会人としてあたりまえ。それに「加えて」「圧倒的に」優秀なやつだけが、多くの人の声を救えるわけだ。
2013-02-05 14:40:36だから、自分ができる範囲で、努力して、いい医者になって、そのときできることがあったら、貢献するからさ。「地方が死にそうだから若者は地方へ行ってくれ!」みたいなあおり文句とか、ばかばかしくてきいてらんないの。すでに何かを身に着けたやつがまず先にやっとけよ。そこは。
2013-02-05 14:41:42