- yoshiaki_nt
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うわぁ…。 RT @yoshiaki_nt: あまりに寒いので引き揚げて昼食なうだ。冬の海にひとりとか寂しすぎたwww
2013-02-03 12:52:36黙れ!!www RT @yk_ashikaga うわぁ…。 RT @yoshiaki_nt: あまりに寒いので引き揚げて昼食なうだ。冬の海にひとりとか寂しすぎたwww
2013-02-03 13:34:40いや皆腹が減っただの海は見飽きただのいうものだから…昼食の席取りを任せてひとりで行ったのだ…。 RT @isanausagi 供ぐらいつけて下さい(´Д`)
2013-02-03 13:35:05春宮「だってお腹がすいたんだもん・・・」
一宮「籠城でいつも海を見ているしな」
さ、さて、今度こそ金ヶ崎城へ向かいますぞ!!
金ヶ崎城遠景。山が敦賀湾に向けて突出した天然の要害にあって、『太平記』には「三方は海に依って岸高く岩滑らかなり」と描写されている。 http://t.co/c6Nq8B9k
2013-02-03 13:11:45これは金ヶ崎城の先端部分なんだが、現在は陸地から周り込めるという…w かつてはこの周囲も海だったと思われ、足利方が苦戦したのもうなずける。ちなみに私たちは約5ヶ月間ここに籠城したのだ。 http://t.co/SP5TBcAx
2013-02-04 21:34:04そうそう。御朱印と一緒にいただいた「金崎宮案内記」によりますと、一宮様は御匣殿(みくしげどの)との愛を成就させたことから縁結びの神様とされたそうです。おふたりの恋物語は『太平記』巻第十三に載っております。ご興味のある方は是非!!
義顕「でも最終的には悲恋だよな・・・」
春宮「それはいってはいけないよ」
現在は「花換の小道」というしゃれた名前の付いた道。
南を見ると、敦賀の街が見えます。先ほど陸側から回り込んで見た場所がこの辺りになりますな。
http://p.twipple.jp/b657D
突き当りの鴎ヶ崎と呼ばれる突端で右に曲がると、いよいよ山の中に入っていきます。
http://p.twipple.jp/wGfiK
春宮「実際この辺りを歩いていると、『太平記』がいうほど峻険な城には思えないよね」
一宮「陸から簡単に攻められそうだな」
義顕「はい、注目ー。実はこの周辺は埋め立てられている上に、当時の海岸線はもっとずっと内陸側にあったのです。先程斎晴が、道がぬかるんで困っていた気比神宮の参詣者のために自ら砂を運んだ遊行上人の話をしていましたね?あれが正安3年(1301)。金ヶ崎城の戦いは延元元年(1336)から2年にかけてのことなので、状況はさして変わらなかったと思われます!!」
由良「当時の絵図によると、海岸線が今より450m程内陸側にあったといいますな」
長浜「守る我々も大変でしたが、攻める足利軍も足元不確かな中、相当苦労したことでしょう」
尊良親王墓所見込地。一宮様の自刃の地といわれている場所だ。…ということは、私の最後の地でもあるのだが…。 http://t.co/T8qtJonF
2013-02-03 14:11:33墓所見込地から海を見る。高台にあって眺めも素晴らしい。ここで果てたのなら本望かもしれんな。 http://t.co/gDpAHyva
2013-02-03 14:12:51由良・長浜「若殿おおぉぉぉ・・・!!(号泣)」
一宮「うるさいなぁ・・・」 ←一緒に死んだ人
春宮「まあまあ」 ←船で脱出した人
今日は新田の小倅 @yoshiaki_nt が金ヶ崎散歩してるぞ(▼ω▼キ)ノ 金ヶ崎偵察には欠かせぬチャンス!各位南朝方のふりをして潜り込む事を期待してるぞ。
2013-02-03 14:31:42