Togetter/min.tを安心してお使い頂くためのガイドラインを公開しました。

金ヶ崎城最後の戦い ―フォーエバー☆金ヶ崎城―

金ヶ崎籠城戦態勢の集大成・【金ヶ崎城最後の戦い】をまとめました。 基本おふざけ☆ちょっぴり切ない金ヶ崎城最後の3日間をお楽しみください。 戦いを大いに盛り上げてくださったbot様、本当にありがとうございました!! そしてお付き合いくださったすべてのフォロワー様に、このまとめを捧げます☆ 金ヶ崎城は永・遠・に・不滅です!!ヽ(>∀<*)ノ
12

新田家家臣・由良と申します。
当アカウントが【金ヶ崎籠城戦態勢】に入って早2ヶ月。
この日、主・義顕の様子が少しおかしいような・・・。朝から思い出話をつぶやき始めます。思えばこの時、若殿は何かを予感していたのかもしれませんな・・・

新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

夜明けを迎えるたびに思うのだ…。ああ、今日も朝を迎えることができた、と。いつかこの城の皆と、もう一度穏やかに笑い合いたいものだ。

2013-03-02 06:30:23
新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

延元元年(1336)10月。比叡山での戦いが倦み疲れた頃、帝はひそかに足利尊氏との和睦の道を選ばれた。……そう。思えば、あれがすべての始まりだったのだ。

2013-03-02 08:05:21
新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

帝と袂を分かった私たちは、比叡山を下り越前に向かった。だがあいにくの猛吹雪で味方の多くとはぐれてしまったのだ。この年は例年に比べてひどく寒冷な年だったという。あの時の行軍は……思い出したくもないな。

2013-03-02 09:05:20
新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

身も心も疲れ果てて、ようやく敦賀にたどり着いた私たちを迎えてくれたのは、越前国一宮気比神宮の宮司・気比氏治(うじはる)殿。気比社はもともと大覚寺統と縁があると聞く。もし彼らがいなければ、この地での戦いは今以上におぼつかなかっただろう。気比殿には……本当に感謝している。

2013-03-02 10:05:20

一方都では、金ヶ崎城攻めの総大将・高師泰の兄弟にして足利家執事の高師直が、不穏なことをつぶやいています・・・

洞院公賢bot(はたらく高師直bot) @MoronaoKou

ところで、新田の小倅 @yoshiaki_nt金ヶ崎籠城戦態勢に入って随分になるな。ま、あっちは師泰(メ▼д▼) に任せて、俺は都でデスクワークなう、だけどφ(▼ー▼キ)

2013-03-02 10:45:06

そして金ヶ崎城では、若殿が一同につらい事実を伝えていました。

新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

昼餉の前に、皆に知らせることがある。残念ながら今日の食事でほとんどの肉を使い切ってしまった。明日からより苦しい思いをさせることになるが…どうか耐え忍んでくれ…!!

2013-03-02 12:10:20

一方、金ヶ崎城を囲む足利方の本陣では、総大将・高師泰がぶつくさと・・・

洞院公賢bot(はたらく高師直bot) @MoronaoKou

師泰(メ▼д▼)「新田の小倅 @yoshiaki_nt新田越後守義顕。俺は高越後守師泰ちょっとカブってんだよな……邪魔だよな……というわけで、金ヶ崎城を兵糧攻め、なう

2013-03-02 15:05:08

理由それかよ!!
・・・という金ヶ崎一同の突っ込みは無視して、先に進みましょうかw
若殿の語りは続いています。

新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

金ヶ崎城に入って後、父上は足元の越前や新田一族の多い越後で味方を集めると共に、奥州の北畠顕家卿結城宗広殿との連携を図ろうとしていた。だが周囲を敵に囲まれ、苦しい状況でな。なかなか思うようにいかなかったのだ…。

2013-03-02 14:10:20
新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

比叡山で父上と帝が袂を分かった時、帝は春宮様に譲位してくださったのだ。少なくとも私たちはそう思っていましたとも。それが帝の吉野脱出でなし崩し的になかったことにされてしまった時の、父上の頭の抱えようはなかったなぁ…。

2013-03-02 16:05:19
新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

斯波高経チョウウザイよな…。あいつのせいで越前国府は押さえられないわ、越後・奥州との連携はままならないわ……などと愚痴っていたら、都から援軍までやってきた。しかも正月早々ねちねちねちねち攻めてくるいやらしさ。総大将・高師泰チョウウゼー!!

2013-03-02 17:05:19
新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

瓜生一族は嵯峨源氏の流れでな。金ヶ崎城から北東8里の距離にある杣山城を拠点にしていた。一度は私たちの敵となるのだが、最後には当主・保(たもつ)をはじめ兄弟をあげて味方してくれた。だが延元2年(1337)2月16日、彼らの援軍は金ヶ崎城に届かず、足利方によって退けられてしまうのだ…

2013-03-02 18:05:21
新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

城を敵に囲まれ、どうしようもない状況の中、父上と叔父である脇屋義助は杣山城に移動し、後方から金ヶ崎城を支援することとなった。ひっそりと城を後にする父に、私はひとつ約束をしたのだ。――父上が戻るその日まで、私がこの城を守ります、と。

2013-03-02 20:05:19

ではここで、我らが籠っている金ヶ崎城について話しておきましょうかな。フォロワー様100人突破企画で金ヶ崎城を紹介しておりますので、時間のある方はこちらも合わせてお楽しみください。

まとめ おいでませ!金ヶ崎城!! フォロワー様100人突破企画をまとめました。 籠城戦をお休みし、敦賀の街を徘徊する義顕主従の珍道中をお楽しみください!! 4995 pv 126 2

一宮「ちなみに金ヶ崎城図はこんな感じだ。当時の海岸線は現在より内陸にあるので、一の城戸(木戸)より左側は海に突き出していたと思われる」
http://p.twipple.jp/hIFxT
義顕「三の木戸~一の木戸へ続く稜線の延長に、足利方が陣を置いた天筒山がある。つまり一の木戸は一番外側の守り口ということだ」
春宮「で、実際敵はそこから攻めてきたの?」
義顕「・・・詳しいことはよくわからないのだ。だが『太平記』には敵が“東の山の麓から東南の尾根を斜めに攻め上った”という描写があることと、当時の文書から私たちが石を落として防戦していたことがわかることから、稜線上に攻め寄せる敵との戦い(木戸)と、海岸線沿いに南から攻め上ってくる敵との戦い(海側)があった・・・と想定して、話を展開しています」

――そして、とうとうその時がやってきましたぞ。

新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

義顕「風がざわめいている。何やら嫌な予感がするな…」

2013-03-02 21:59:58
洞院公賢bot(はたらく高師直bot) @MoronaoKou

師泰(メ▼д▼)「金ヶ崎城内はいよいよ兵糧に窮し、馬まで食ったか。城を囲んだばかりの頃は、水場に引き出しているのを見かけることもあったが、近頃は……。攻め頃だな

2013-03-02 22:03:02
新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

義顕「どうやら敵が動き出したようだな」 由良「やつらこちらが馬まで殺して食べていことに気付いていた模様。春を待たずに片を付けるつもりでしょう」 義顕「…何とか父上の援軍が来るまではと思っていたが…どうやらそれも叶わぬようだ」

2013-03-02 22:05:57
洞院公賢bot(はたらく高師直bot) @MoronaoKou

師泰(メ▼д▼)/「明朝、卯の刻をもって金ヶ崎城に総攻撃をかける!大手、搦手より一斉に取り付けぇっ!空腹で弱った敵に手間取るなよ、日が落ちる前に片を付けるぞ!」

2013-03-02 22:08:05
新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

義顕「だがおめおめと討たれてなるものか。やつらに我らの最後の戦を見せてくれるわ!!」 金ヶ崎一同「おおぉぉ!!

2013-03-02 22:10:57
残りを読む(315)

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?