- tkatsumi06j
- 12268
- 12
- 0
- 13
「イルカの非人間的人格を認めよう」キャンペーンへの署名依頼
依頼に対する基本姿勢
平和省運動でともに闘うオーストラリアの同志からイルカ保護キャンペーンへの賛同依頼が来た。同じ平和を目指す同志でも、イシューごとの姿勢は自由かつ是々非々。人間と同じ知的動物だから保護。家畜は別扱いという欺瞞には賛同できない。賛同は拒否する。
2013-02-18 12:26:16日本人が負う「食す=殺す」ことの業
古くから、日本人は自然とともにあった。生き物を殺すことには業が伴い、食べ物を粗末にしないことも、殺された生き物が命の糧となってくれているという認識があったからだ。食前の祈りは捧げなくても常に「いただきます」と云う。惰性となっていも、身に染み着いた習慣となっている。
2013-02-18 12:37:02生きるということは、殺すということである。ただし、人同志は殺し合ってはならない。そして人は、他の生き物を殺すときには、それが生きるためにやむを得ないことだという業を負い、殺めた命を糧に生きてこそその命を「生かす」ことができる。この考え方は、欧米人にはおよそ理解できないらしい。
2013-02-18 12:41:11菜食主義で「命」は救われない
自らが捕食者となりたくないがために菜食主義を選ぶのは、個人の自由だ。だが、そうして自分の主義を貫いていてもおびただしい数の動物が殺されている現実は変わらない。その事実に対して、「自分は大多数とは違う」と主張しているだけのことで、そのことで救われる命はない。
2013-02-18 12:46:47日本人の多くは、もう鯨もろくに食べない。だが昔からある食文化であり、衰退はしていても、文化として残っている。また必ずしも食用でないとしても、食べないから漁をしてはならないというのも、応用の文化があるのだから道理が通らない。食べようと食べまいと、殺生の業はつきまとう。
2013-02-18 12:51:18動植物はヒトのためにあるのではない
日本人の「物を粗末にしない」精神はそれが生き物であろうとなかろうと平等に適用される。そして元が生き物であったものに対してはさらに敬意が払われる。もちろん、現代日本人にあってはこの精神は廃れてしまっているかもしれない。だが似非ヒューマニズムにより生類を憐れむ欺瞞に比べればマシだ。
2013-02-18 12:54:13植物であれ動物であれ、生き物は人間のために存在するのではない。菜食主義者だから何の命も奪っていないとするのは現実逃避であり、我々人間は罪深い生き物として他の命を貪って生き長らえている。これは真理だ。真理に向き合わずに欺瞞や逃避で自らの業を和らげようとするものを私は尊敬できない。
2013-02-18 12:59:07「いただきます」「ごちそうさま」を言う文化
これが問題の署名キャンペーン。「イルカの非人間的人格を認めよう」。最近の研究でイルカの知的水準がヒトに近いと判ったんだとか。あ、そう。|Recognise Dolphins as Non-Human Persons http://t.co/Qxi8MYNI via @causes
2013-02-18 13:26:51【今こそ再掲】いつか全訳してやろうかこれ。|そうだったのか!「いただきます」本当の意味 - [暮らしの歳時記] - All About http://t.co/G5w8Gl4z
2013-02-18 13:30:00「いただく命」に大小も優劣もない
「いただく」命の尊さに大きいも小さいもないよね? http://t.co/Y45BCdZ1 http://t.co/RaVa5Vza RT @tkatsumi06j:「いただきます」本当の意味 http://t.co/TP5SZa5f http://t.co/36RAKQT6
2013-02-18 16:03:02んだ♪ RT @yurikalin: 「いただく」命の尊さに大きいも小さいもないよね? http://t.co/YrrvBWzb http://t.co/ydxK0ztV RT http://t.co/lxyU0n03 http://t.co/QTjTWm8i
2013-02-18 16:05:43RE https://t.co/r6sTvAvs また「いただく命」に賢いも馬鹿もない。人間を殺してはならないのは人間同士だからだ。人間が賢い生き物だからではない。人間は動物を殺してよい訳ではない。が、そうしなければ生きられない。だから「命をいただく」ことの業を忘れないのだ。
2013-02-18 16:09:10