たまこまーけったー その2 七話~
7話
「そういうもの」
たまこまーけっとは劇的を日常に絡めとってしまう引力がある。鳥が人語を解する、通信機能を持つのに餅を食う(生体なのかマシーンなのか)、掘り下げることのできる要素を「そういうもの」として片付けて、「そういうもの」が存在する日常を描く。お嫁探しもデラ達にとっては劇的ではなく日常の延長。
2013-02-21 19:48:15商店街にとって南の島は異界。では境界はどこにあるのかと考えてみると、デラちゃんなんだよな。で、異人が境界そのものになるということは内外の境が曖昧であること、すなわち相互に対等で干渉しあえる(かぐや姫の月のように一方的上位者ではない)ことを示唆している。 #たまこま
2013-02-21 02:36:09デラちゃんに関しては喋れることも通信機能も視聴者が納得する一応の理屈は提示せず、「そういうもの」で押し通すのが確認されたので、もういいです。サイボーグ鳥でどうにかなるでしょ
2013-02-21 01:07:32たまこま、アバンタイトルからAパートに入る間に一日平気でぶっ飛ばしているので、視聴者は「そういうものである」という認識で見ないと泥沼にはまる
2013-02-21 01:57:06ラブか?
外的強制力、平たく言えば運命を持ってきたチョイ。占いという形の予言は未来を規定する力の存在を示唆している。お豆腐屋さんの話がはじまらずに終わったのはそういうどうしようもない力の結果であり、それと同時に自分の外側には力を行使しようがないということでもある。#たまこま
2013-02-21 01:00:59チョイは運命をつかさどるからこそ自分の運命が意思にそぐわぬ形で作用することに恐れている(波の音が聞こえない、恋が叶わない)けれど、たまこが「波の音のするレコードを借りてきた」というのは自分ではなく他者が介在することによって運命が変容する可能性を示唆している。 #たまこま
2013-02-21 01:02:24↑の傍証になるかなあ……(2013/02/21)
たまこまーけっと、てめえ一人で世界がどうにかなると思うなよ的な一種の絶望を内包している。自分の内側から、あるいは単独で問題解決への糸口が見出されたことってこのアニメの中でありましたっけ。没交渉な星とピエロのマスターは単独であるから溜息を漏らし続けるのだと思うよ。 #たまこま
2013-02-21 01:11:39豆腐屋さんはどうしようもない結果を受容したけれど、それは大人だからであって、子どもであるたまこに運命的な何か(たとえばお妃に選ばれるとか)があっても、たまこが望まない限りはつっぱねてほしいし、そうなるだろう。これはもち蔵、みどり、かんな、あんこ等も当然言えること #たまこま
2013-02-21 01:20:05「好きな人に告白する前に結婚することが決まった」は当然もち蔵には十分あり得るケース。悲劇の場合しばしば同じ過程・結果の反復になるけれど、豆腐屋ともち蔵は「大人・こども」という決定的な差異があり、この場合は豆腐屋が悲劇の可能性を請け負ったと読んでいいのではないだろーか。 #たまこま
2013-02-21 01:30:01妄想:たまこが自分にまつわる「ラブ」を自覚した時に、もち蔵とみどりに「思いを伝える・伝えない」の選択肢が発生する、と思う。なんていうか、思いを伝えられてはじめて考えるのではなく、自分は「ラブ」をどう扱うのか自覚した後に、「俺はたまこが好きだ」「わたしは」みたいなのがいい
2013-02-21 01:24:08その他
癇癪を起こしたチョイの部屋(閉じられている)の前にたまことあんこがご飯をお盆を置いていくシーン、割と露骨に引きこもりとかコミュ障へのあてつけっぽく読めたのでどうかなーと思った。一人で塞いでいても好転しないというのは、まあ一理あるのだけれど。 #たまこま
2013-02-21 01:16:02八話
すっかり秋めいて
八話は面白かったんですが、もう秋なんだよねえ。冒頭の栗もちで「秋だー!」って思わせて、Bパート後半で寒さでくしゃみをするチョイと川を流れる枯れ葉で「秋が……」と、一話の間で秋の深まりをはっきりと描いていたし、それは冬の訪れ(≒おしまい)の予感でもあった。 #たまこま
2013-02-28 01:30:03