《「ウクライナと福島の今」宍戸慈 報告会 2013 2.23》
- karitoshi2011
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0 報告会「ウクライナと福島の今」文字起し連続ツイート 報告者:パーソナリティ peach heart共同代表 宍戸 慈(ししど ちか) 進行:札幌むすびば 宍戸 隆子 (念の為に。報告者と進行は、たまたま同姓。血縁でも姻戚でもない)会場は約50名の入り。
2013-02-24 00:59:201 進行:当初 井戸さんから宍戸隆子にウクライナ行きの打診がありましたが、隆子は日程上どうしても都合がつかなかったので、同じ福島からきた宍戸慈さんに打診。報告者からは「アットホームに話をしたい。」という事でこの形になった。
2013-02-24 00:59:362(ここから報告開始) 自己紹介 福島県福島市出身。2011年12月24日に札幌に自主避難した。
2013-02-24 01:00:023 Before3/11 2011 福島県で町の情報を、県全域を取材して、町の情報を掲載するフリーペーパーを発行。 2010年から郡山市のコミュニティFM放送のパーソナリティ。
2013-02-24 01:00:544 Then 3/11 2011 郡山市のビッグアイという建物の一階にいて地震に遭遇。郡山駅バスプールでみんなが混乱する中、一旦帰宅。そのあと、ラジオ局に夕方行ったら、そのまま、放送に。仮眠があけて、前のパーソナリティが帰宅する際に原発の爆発を告げられる。
2013-02-24 01:01:055 代わってくれる人もいないまま、マイクの前にいた。3月15日、開成山公園で20マイクロ毎時以上ある中でも給水車に並ぶ人たちをレポートした。父に連絡したら、「お前はできることがあるから、やれ」と言われた。一時死も覚悟してマイクに向かい続けた。
2013-02-24 01:01:166 After 3/11 2011 違和感があったのは、「母子」ばかり強調されること。女子だって守られないのか。
2013-02-24 01:01:277 一昨年夏、一人で保養にきたとき、この建物で中手聖一さんの講演会で、「なぜ女子を守ってくれないのか」と質問したら、「人手が足りない。すみません。一緒にやりましょう」と言われて、自分たちで立ち上がろうと思い立った。
2013-02-24 01:01:438(まとめ人独白 まとめ人が報告者と初めて会ったのも、その講演会だった。まとめ人が自主避難してまもなくだった。そのときの報告者は、やや表情も硬かったことが記憶にある)
2013-02-24 01:01:599 札幌でバイトでも、と思ったときに、パーソナリティの仕事を紹介され、FMラジオで話し始めるようになって一年経った。
2013-02-24 01:02:1210 2012 11.11 ウクライナへ 事故が起きたときに、思い出したのが、「プルサーマル開始」という地元新聞の記事。もう一つが、チェルノブイリの事故の時、事故現地の同じ年齢の女性がなにをしたか、だった。
2013-02-24 01:02:2411 「ウクライナ政府報告書」のことを知っている人、手を上げてください。(挙手数人)ウクライナ報告書は非常に重要なのに、注目されていない。チェルノブイリ原発事故から25年経過した日に出された報告書。
2013-02-24 01:02:3512 WHO、ICRP、IAEA。これらの国際組織は、チェルノブイリ原発事故の健康被害として、子どもの甲状腺ガン、白血病、目の病気、これしか認めていない。ウクライナ政府は、これを機に、ほかにも健康被害があることを政府報告書で訴えている。
2013-02-24 01:02:5113 ロシア、ベラルーシの政府は国として(他の健康被害は)認めていない。ウクライナだけが政府として認めている。ウクライナの状況を報告する番組がNHKで放送された。スタッフが本も出した。『低線量汚染地域からの報告』(馬場朝子・山内太郎 NHK出版)
2013-02-24 01:03:0514 ウクライナは、地図では黒海の上にある国。イスタンブール経由で首都キエフに入った。 キエフはドニエプル川のほとり。
2013-02-24 01:03:1815 キエフ空港は北海道の空気に似ていた。ロシア聖教の聖地がキエフ。ヨーロッパ風の町並み。 ボルシチはウクライナでも家庭料理。家によって具や味付けが違う。 ドニエプル川をずっと上っていくと、チェルノブイリがある。
2013-02-24 01:04:0316 2日目。予定が一日空いたので、ガイガーカウンターを買いにいった。電気屋さんには売っていなかった。運転手の娘さんにネットで探してもらったら、健康機器店に一軒だけ売っている店があった。
2013-02-24 01:04:1317 買った線量計は、キエフでは毎時0.13μ。この機器は、毎時0.3μを越えると正確だったが、それ以下、0.1μ程度だと、あまり正確に計測できないことが、後で分かった。
2013-02-24 01:04:2818 3日目 ウクライナ国立チェルノブイリ博物館(キエフ)絶対に行きたかった。副館長のアンナは、事故当時の年齢が今の私に近かったのだろうと思った。
2013-02-24 01:04:4519 館内の1階のエントランスに入ると、違和感を感じた。真ん中の液晶を見た。福島県のマークが描かれている。そこに見慣れた福島県の風景がスライドショーで流れていた。
2013-02-24 01:04:5820 掛け軸が両側にあり、向かって右に日本語、左にロシア語が。 掛け軸には桜を福島に見立て、ウクライナの栗の木が、共感を呼びかけるテーマにした詩が書かれていた。
2013-02-24 01:05:2421 「チェルノブイリと福島は違う」と思う、思いたい気持ちが私たちにはあった。でも、このメッセージを読んで、ただただ涙が出た。まさか、8000キロ離れた場所で福島の景色を目にすることになるとは思わなかった。
2013-02-24 01:05:3922 ウクライナ行きの直前、楢葉町に行った。楢葉町は旧警戒区域。ようやく入れるようになった。楢葉町の堤防から見たらブタクサとススキの草原が見えた。草原がきれいな様子は、実はそこに1年半だれも入っていないから。そこから5分も行くと、なにも終わっていない、巨神兵のような原発があった。
2013-02-24 01:06:2923 ウクライナの26年後の姿を映した写真を見て、楢葉町の姿と、重ね合わせたくないのに、重なってしまう。博物館の2階に上る階段一段一段に、失われた町の名が刻まれていて、それが福島の町の名と重なってしまった。
2013-02-24 01:06:4624 2階の展示室に、入りたくないような不思議な重い感じ。中にはいると、男たちの写真。リグビダートルと呼ばれる人たちの写真だったのだと思う。そういう人のことを想像したことはなかった。
2013-02-24 01:07:00