洞院公賢による「観応の擾乱、なう!!」
- MoronaoKou
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・・・φ(`-´*)観応元年九月「十六日、天晴……九州蜂起、直冬に靡く九州の勢、大友、少弐以下……征伐のため前大納言(尊氏)並びに師直発向すべし、義詮は京都守護のため進め置くところ也……」
2013-02-24 21:30:07φ(`-´*)観応元年十月「二十七日、天晴……今朝世上以ての他に忩々、彼れ是れ云ふ、錦小路左兵衛督入道(直義)去夜逐電す、是について武門も忩々す……但し追手を懸るに及ばず……」
2013-02-24 21:50:07・・・φ(`◇´*)観応元年十月「二十八日、天晴……今暁卯の刻、将軍進発す、主人(尊氏)は小具足に弓箭を帯し、武蔵守師直以下甲冑を帯して相従ふ、その勢四五百騎云々……」
2013-02-24 22:30:08|簾|ノ◇´*))……出陣にあたり、師直の旗指某が、東寺南門前において落馬し、手を損ないしゆえ、此所において其の仁を差し替ふとか……(観応元年十月二十八日)
2013-02-24 22:55:06観応元年の将軍尊氏並びに執事師直の出陣は
前日に出家していた直義が逐電し、不穏な空気の漂う中で決行されたものでした。
・・・φ(`◇´*)観応元年十月「二十九日、天晴、伝へ聞く、今日将軍淀より八幡宮へ参詣……武衛禅門(直義)宿所、縦横の風聞、所詮実説之無きか……」
2013-02-25 07:00:25|簾|ノ-´*))ヒソヒソ……師直は武衛禅門(直義)を捜す旨沙汰の後に進発すべき由進言すれども、将軍はこれを聞き入れず、との説も……(観応元年十月二十九日)
2013-02-25 08:00:14・・・φ(`-´*)観応元年十一月「十日、天晴……師泰石見より三角城を追い落とされ、出雲国に没落の由風聞云々……何れが是、何れが非、鬱陶に迷ふ者也……」
2013-02-25 10:00:14・・・φ(`-´*)観応元年十一月「十六日、天晴、今日道誉武家の使のため執権大納言のもとへ向かひ……申入れ云々……真実将軍の存する所か、尤も不審の事也……」
2013-02-25 11:00:14・・・φ(`◇´*)観応元年十一月「十七日、天晴……将軍播州において船遊びし、其次逐電せらるる由……浮説勿論か」
2013-02-25 12:01:22・・・φ(`-´*)観応元年十一月「十八日、天晴……将軍逐電、実ならざるか、又云ふ、所詮師直の了簡か、其れに就いて種々の説有り云々」
2013-02-25 13:00:24・・・φ(`◇´*)観応元年十一月「二十二日、天晴……夜に入り又風聞、世上今夜火事有るべし……将軍と師直すでに相離れ、師直上洛、今明山崎に着く云々、但し此の事は虚説か、更に聞く事無也」
2013-02-25 14:00:12様々な流言が乱れ飛ぶ京に
重大な情報がもたらされます。
曰く、足利直義、南朝へ降参。
・・・φ(`◇´*;)観応元年十一月「二十三日、天晴……今日宰相中将(義詮)のもとへ向けて飛脚到来、兵衛督入道(直義)吉野へ降参……」
2013-02-25 15:00:23|簾|ノo´*;;))ヒソヒソ ……西国の大勢に変わりなしと聞く故、みだりに騒ぐは悪しかりなん……近江、大和にて蜂起ありとの説もあれど……(観応元年十一月二十三日)
2013-02-25 15:10:06・・・φ(`-´*)観応元年十一月「二十五日、天晴……源大納言入来せられ、之に謁す、条々談ずる事有り、国々動乱の事之を語る……」
2013-02-25 16:00:12・・・φ(`-´*)観応元年十一月「二十九日、天晴……兵衛督入道(直義)河州都智城に在り……彼入道更に別心無く、只師直・師泰奇怪の憤りばかり也……の由、書状を将軍に遣わす……命鶴書状を取り披露……」
2013-02-25 17:00:29|簾|ノo´*;;))ヒソヒソ ……或は云ふ、師直は出家すべしと将軍に申したと……(観応元年十一月二十九日)
2013-02-25 18:00:39ご自分も篭城中なのに
ハラハラしてくれる新田さんちの義顕くん。