山本七平botまとめ/【今、なぜ「論語」なのか②】/なぜ、日本が近代化を成し遂げながら、伝統的規範を維持できているのか?

山本七平著『論語の読み方』/今、なぜ「論語」なのか?/「共通の古典」の存在こそ、教育のパツクポーン/22頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【共通の古典の存在こそ教育のバックボーン】そして「親子の対話がなくなった」などという。 なくなって当たり前である。 教育的対話は「共通の古典」という場があって初めて成り立つ。 …農民にすぎない渋沢栄一の父でさえ「論語」…を引用して子と対話し、訓戒している。<『論語の読み方』

2013-03-05 07:27:58
山本七平bot @yamamoto7hei

②このように見ていくと、戦後とは一見、古典的素養に基づく自律性皆無の膨大な「無規範人間」を生み出したように見えるし、この傾向が皆無とはいえない。

2013-03-05 07:57:38
山本七平bot @yamamoto7hei

③確かに女性被告と密会事件を起こした簡裁判事もいれば、汚職事件を起こした判事補もいる。 また一方には「連合赤軍リンチ事件」のような、人間としての規範の一切を喪失してしまったような人たちもいれば…生まれた子どもを殺して新婚旅行に行き、死体を棄てていたという事件も発生している。

2013-03-05 08:28:48
山本七平bot @yamamoto7hei

④確かにさまざまな面に無規範人間が出現してきたが、まことに不思議なことに、日本全体として見た場合、これを「無規範社会」と言うことはできない。 なぜ日本は先進工業国の中で、さまざまな伝統的規範が、今なお強固に存続しえているのだろうか。

2013-03-05 08:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤法律が峻厳だからであろうか。 けっしてそうではない。 第一、法律は告訴があってはじめて機能するものであり、それへの知識は確かに無法行為への抑止力にはなりうるであろうが、現実問題として、日本人ぐらい「法律」に無関心、無縁な国民も珍しい。

2013-03-05 09:27:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥アメリカなら、現実は、かかりつけの法律家なしに生活できないくらい法が各人の生活に密着しているが、日本人なら大多数の人間は、伝統的な規範に従っていればそれで安全だと信じ込んでおり、一生、弁護士などと関係なく過ごすのが平均的日本人だからである。

2013-03-05 09:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦「日本はどのようにして、伝統的な秩序を維持しつつ近代化・工業化に成功したのですか」 これは先年、イスラエルのナボン大統領(当時)から直接に受けた質問だが、日本の近代化に彼が強い関心を示しても不思議ではない。

2013-03-05 10:27:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧この国を見て、また同じように急速に近代化し、また近代化を図っている国を見て、「近代化が伝統的な秩序を崩壊させ、手のつけられぬ無規範状態を生み出す」一面があることは否定できないからである。

2013-03-05 10:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨この点、急速に近代化しながら…超マンモス都市の東京がニューヨークのようにならず、また本物のスラムができないのも…興味深い現象である。 そしてその理由を具体例に即して見ていくと、面白い事に各人の規範も、その共通の基礎である社会的規範も、まことに「論語的」である事に気づく。

2013-03-05 11:27:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩…本当にそうなのか、疑間が湧くであろう。当然である。 終戦後「ホーケン的」なるものと自称民主主義者が最も強い拒否反応を示した言葉は「女子と小人は養いがたし」と「由(よ)らしむべし。知らしむべからず」であり、この二つは『論語』からの――実に不正確ではあるが――引用だからである。

2013-03-05 11:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪さらに「男女七歳にして席を同じうせず」――これは『論語』ではなく「礼記』の記述だが――は女性差別で、これらの「ホーケン的差別」を打破して男女共学にするのが民主主義だ、と言われたこともあった。

2013-03-05 12:27:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫この場合の恣意的引用ははじめから意味をなさず『論語批判』になっているわけではないが、それでもこれだけで「論語なんてものは……」ということになり、だれも見向きもしようとしない時代が来て不思議でなかった。 この時代は明治とは別の形の、一種表面的な断絶があったといえる。

2013-03-05 12:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬だが、明治の場合と同じく『論語』だけは読みつがれていた。 私達が戦前に読んだのは昭和6年版…の簡野道明著『論語解義…』…戦前戦後という激変の時代に…本が…消え失せていった時代に、この『論語解義』は静かに生き続けていた訳である。 これがその民族の古典というものであろう。

2013-03-05 13:27:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭『論語』はたしかに表面的には消えていた。 一時期の新聞のコラムを調べると、舌足らずの「聖書』の引用などが出てくるが『論語』はまったく無視されている。 そして『論語』が出版界の表面に出てくるのは、やっと昭和四十年代からであろうか。

2013-03-05 13:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮それでいて多くの人は「新しい民主主義・平和主義」的発想のつもりで、本人がそれと気づかずに『論語』の一節をはぼそのまま引用し、解説しているに等しい場合もあった。

2013-03-05 14:27:55