heboya氏+αによる現代漫画における生徒会の考察?

こないだTL上で見かけて、「ああー、あるなあ」 と思ったツイート。「昔は、生徒会というと、主人公達の自由を阻害する敵役として登場するのが普通だった。けれども最近の漫画やアニメでは、むしろ生徒会側が主人公と言うことが多い」 というやーつー。
2010-09-04 04:59:50
そのときのツイートでは、たしか「マリみての影響かな」 みたいな流れだったけど、それはあんまピピン`とこない。まあマリみて知らないか等というのもあるけど、それよりも僕としてはもっとストレートに、「権威や管理側に反抗する主人公」 に、読者があまり共感しなくなったからでは、と思った。
2010-09-04 05:02:00
例えば、『コータローまかり通る』なんかはその「昔はこうだった」の典型だと思うけど、巨大な学園で、風紀委員や生徒会という、「学生ではあるが、管理する側(大人の代役)をする者達と、あくまで自由に生きる主人公」 は、基本的には対立関係にある。
2010-09-04 05:04:07
で、今は同化というと、それと真逆に、『めだかボックス』で、同じ様な巨大学園の中で、主人公は生徒会長とそのお供。箱庭計画なんてのもあったし、風紀委員とは揉めたりしたけど、今の展開は 「完璧超人の生徒会が、劣等感の塊の問題児と対決する」 流れ。うーむ。文字に起こすとそうなっちゃう。
2010-09-04 05:06:35
バトル要素の無いほのぼの日情景萌え漫画でも、『生徒会の一存』とか、確かに生徒会という、昔なら「管理する側であり敵役」が主人公になっているものが出ている。つまるとこ、「生徒会(管理する側)に反抗する」 より、「管理する側」 の方を主人公に据えたい、と。
2010-09-04 05:08:35
@heboya 私的には昔から少女漫画では生徒会が主人公側と言うイメージです。成田美奈子とかもそうでしたし、時代的に生徒側が学校と闘って(生徒会は生徒側)制服を廃止するとかそんな感じでしたし。生徒会が主人公の邪魔をする構図というとパズルゲーム☆はいすくーるくらいしか思いつかない
2010-09-04 05:08:39
ま、『ワンピース』 みたいな異世界冒険活劇では、まだまだ「反逆児」は問題なく主人公になれる。多分、学園物おいて顕著な傾向なのかもしれない。学園、つまり、読者の少年にとって最も身近な「社会」。その中での反逆児は、あまり読者からして身近ではなくなっているのか。
2010-09-04 05:11:02
少女漫画の「生徒会」と言えば、いの一はやはり 『有閑倶楽部』 でしょーかしらん。え? ドラマ? ありませんよそんなもの。 QT @popn: @heboya 私的には昔から少女漫画では生徒会が主人公側と言うイメージです。成田美奈子とかもそうでしたし、時代的に生徒側が学校と闘って(
2010-09-04 05:12:09
ときどき引用するけれども、もの凄く正鵠を射ていると思う、島本和彦の 「少年漫画の王道とは」 論で言うと、『正しい大人たる作者を敵として、未熟な若い頃の作者足る主人公が、戦い乗り越えるお話し』 というのがあって、少年漫画の学園物における生徒会は、正に「正しい大人たる敵」 だった。
2010-09-04 05:14:31
生徒会って元々労働組合みたいなものだったはずが、マンガではうざい官僚組織的に扱われ、今ではすっかり経営者目線ってことなんじゃ。
2010-09-04 05:14:50
それで言うと、つまり少年漫画というのは、「少年が将来社会に出てぶち当たるはずの、“大人の正論” に、ぶち当たりそれを乗り越えるシミュレーション」 という見方も出来る。と思う。『ワンピース』はやはりその意味でも、もの凄くまっとーな少年漫画だなあ。
2010-09-04 05:16:46
@heboya けいおんなんかに如実だけど「生徒と仲のいい友達みたいな先生」「先輩後輩の垣根なし」って表現も昔に比べると増えてましてね。体制側の立場と異常なほどフラットな人間関係ってのが現代風なんですわw。それを若者の保守化に追随とか類型的表現で片付けていいもんかは不明っすが。
2010-09-04 05:14:31
所謂「萌え漫画」って、その辺りが凄く顕著で、基本として、主人公達(≒読者)にとって、「心地の良いものしかない小さな箱庭」なんですよね。書き割りの外には何も存在しないスタジオセットのセカイ。 QT @DYMAXIONCAR: @heboya けいおんなんかに如実だけど「生徒と仲のい
2010-09-04 05:18:39
「この世は荒野だ! 暴力こそがそ力だ!」 と叫んで、暴力で社会をぶち破ろうとしたのは 『野望の王国』 。「殺すのは善悪じゃねぇ! 体制か反体制か、だ!」 と喝破したのは、『ザ・ワールドイズマイン』 そう、体制か、反体制か。それが、「大人の正論」 なのだ。
2010-09-04 05:22:26
こちらは小説だけど、『バトルロワイヤル』では、まだ「耐性への反逆」 つまり、ジャック・ブラック主演、映画 『スクール・オブ・ロック』 で言うところの、「ロックってのは、世の中を支配している“ビッグマン”に、“糞喰らえ!”って叫んでやることなんだよ!」 は、まだ生きていた。
2010-09-04 05:24:45
ところでその、『バトルロワイヤル』の多くのフォロワーでは、この「反体制」という色は、結構薄まる。えーと、素晴らしいSF作家ではない方の山田さんの、何だっけ。親指探さないやつ。『リアル鬼ごっこ』 ! あれはたしかファシズム国家が敵だっけ。でも、僕の知ってる範囲だと他はあんまないか。
2010-09-04 05:27:19
「理不尽な体制により仲間達との殺し合いを強いられること。それに対して“糞喰らえ!”と叫ぶ、ロックな叫び」 が、バトロワのキモだったけど、その後のフォロワー作品は、体制というよりは、なんかこう、「神的な何か」とか、「伝奇的な奇病的な何か」 により、殺し合いを強いられる。
2010-09-04 05:29:26
バトロワと較べると、まあ、「ぼんやりしてんな~」 な感じ。いや別に、超越的な存在を敵とするのが良くないという事ではないです。社会という枠から飛び出せニッポン、な、上での、ボンヤリ感が、あるかもね、というとこ。少年漫画的な、という但し書きでいう、明確さが無い。
2010-09-04 05:32:00
よくできた生徒会ほど、教師が浸け込むスキを与えたくなくて、むしろ統制的になるような気がする。教師による管理や介入がほとんど出てこないような作品だと、生徒会の存在意義はほとんどないんじゃないかな。もしくは素晴らしい労使協調が描かれているとか。
2010-09-04 05:33:54
話を戻すと、まあ勿論教師はもとより、その教師をちょっと一回り小さく、同世代にした、「仮想・反逆すべき体制、管理者、大人の正論」という記号的機能があった、少年漫画における「生徒会」というのが、今の時代はそういう機能が果たせなくなっている、と。それは、読者の意識の変化の現れか? と。
2010-09-04 05:35:06
ものっすごく簡単かつ安易な結論を一端ブチ上げると、やっぱ想定されている読者層、送り手たる作家の中で、「体制に反逆したって、何も“良いこと無い”じゃん」 という現実が浸透しすぎて、学園という身近な舞台での反逆児に、ファンタジーを抱けなくなっているのでは? とは思う。
2010-09-04 05:37:17