『彼の悪夢』(下)

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Shimada Yuichi @chimada

歌が聴こえた。だれが歌っているのかわからない。それは悲しげな調べ。聴いたことのない歌。歌詞もわからない。ただ主旋律だけが女の子の口からどこかに向けて紡がれていく。わたしは女の子の歌を聴く。これは夢だ。だれかの夢だ。わたしの夢。あなたの夢。都市の見る夢。彼の見る悪夢。これは悪夢だ。

2013-02-16 00:04:56
Shimada Yuichi @chimada

悪夢とは幸福のことだ。幸福の内と外があるとする。それは悪夢の内と外でもある。内にいるものは幸福で、内にいるものは悪夢を見る。外にいるものは何を見るだろう。荒廃した景色。挫折した奇跡。歌が聴こえる。それはどこから聴こえてくるのだろう。内か、外か。それとも。どこでもないどこかからか。

2013-02-16 00:08:10
Shimada Yuichi @chimada

わたしは濃霧。桐ケ谷濃霧。都市アマクサを出、都市ブラックを過ぎ、都市のない時代にいたった。ここは「世界のまえ」。わたしのいた時代である「世界のあと」の前の時代だ。わたしは過去に来た。ここに何があるのだろう。かつて〈世界〉を名乗った男であるアラヒトは言った。「奇跡ばかりが育ってた」

2013-02-16 00:09:57
Shimada Yuichi @chimada

「世界のまえ」の時代背景について簡単に説明する。そこには〈世界〉があった。そこには〈少年〉があった。そこには〈魔女〉があった。この三者が入り交じって時代背景を構成していた。〈世界〉は犯すもの。〈少年〉は守るもの。〈魔女〉は歌うもの。このままではどこにも進めなくなる。そんな時代だ。

2013-02-16 00:12:58
Shimada Yuichi @chimada

「世界のあと」では人々は都市に登録する。そうすることで生活と生存を保障される。都市は登録した民を守る。こう見ると、都市はかつての〈少年〉を思い起こさせる。守るもの。〈少年〉は何を守ったか。それは現代にまで語り継がれてはいない。何を守るかではなく、どうして守ったか、動機が肝心だ。

2013-02-16 00:15:34
Shimada Yuichi @chimada

「世界のまえ」には都市がないと言ったが、それは正確ではない(十分だとは言えるが)。正確には「世界のまえ」は都市という観念が発生する前の時代だ。名前の前にはなにがあったか。名前を忘れたものがある。名前を呼ぶことで、忘れたものは思い出す。己の形・己の心・己の夢を。名前は思い出すのだ。

2013-02-16 00:18:06
Shimada Yuichi @chimada

都市という観念を生まれたときから身につけていたわたしには、都市に名前がないという「世界のまえ」の状況に混乱した。なのでわたしはそこにある都市の名前を呼ぼうと思う。「ホワイト」ホワイト。白色。白衣の色。安直なネーミング。ブラックのあとだから、ホワイト。もっとも、それで十分用は為す。

2013-02-16 00:20:32
Shimada Yuichi @chimada

わたしは今、「世界のまえ」・「ホワイト」にいる。すると、わたしは「世界のあと」・「アマクサ」にいたわたしとは変わったのだろうか。「少女のむね」・「ブラック」にいたわたしとは変わったのだろうか。時と場が変われば、人も変わるのかもしれない。わたしはそのように思った。わけもわからず。

2013-02-16 00:22:18
Shimada Yuichi @chimada

わたしというものは変わる。一日一日変わっていく。うるさい。心臓の音がうるさい。とまれ。心臓。わたしを動かすな。わたしの意思に反して心臓は動き、わたしをどこかに運んでいく。これからわたしはどこに行こうとしているのだろう。わたしにもわからない。わたしは心臓の乗り物なのかと疑っている。

2013-02-16 00:24:25
Shimada Yuichi @chimada

生まれる。わたしからわたしが生まれる。生まれたわたしは生んだわたしを食べる。もしも食べられたくないのなら生んだわたしは生まれたわたしを食べることになる。首を締めて、殺す。血を抜く。火を焚く。焚書。わたしはわたしをわたしがわたしにわたしだからわたしこそわたしゆえにわたしはだれなの。

2013-02-16 00:26:49
Shimada Yuichi @chimada

わたしは桐ケ谷濃霧。隣にいるのはアラヒトとキリガヤ。わたしは天草勇史子を探している。「アラヒト。ここはあなたの生まれた時代なのね」「うん。ノーム。ここはわたしの生まれた時代だ。が、もはやわたしはここにはいないのだ。わたしは追放された王。眠るようにその身を隠し、民は解放されたのだ」

2013-02-16 00:29:36
Shimada Yuichi @chimada

選択肢なんてなかった。わたしはキリガヤに導かれるままに歩を進め、「世界のまえ」へとやってきた。わたしは遠ざかっていく。アマクサから。勇史子から。わたしから。あなたから。あとは、わたしはわたしの知らない何かから遠ざかっていく。何から遠ざかっていくのだろう。それがわからずもどかしい。

2013-02-16 00:31:11
Shimada Yuichi @chimada

すべてを捨ててここまで来た。アマクサと勇史子、そしてわたし。これは逃避行。わたしはわたしから逃げていく。追いつかれないように。あてのない旅。細い道。痛む足。伸ばした手。腹を痛める。苦痛。わたしは苦痛を孕んだ。苦痛がわたしだ。たとえほかのすべてを捨てても、苦痛がわたしの内に残る。

2013-02-16 00:34:21
Shimada Yuichi @chimada

夢を見た。勇史子が出てきた。話の筋は覚えていない。ただ、勇史子がわたしに何ごとかを語りかけたように覚えている。わたしは勇史子のことを思い出す。すると、甘くて苦くて痛くなる。これは恋なのだろうか。なんて、そんなものはどうでもいい。これが恋であるとなかろうと、勇史子の存在が大事だ。

2013-02-17 00:00:53
Shimada Yuichi @chimada

わたしはホワイトにいる。ホワイトに建つ家の一室。わたしはそこで目覚めた。ホワイトではガイド(案内者)が特権を用いてプログラムを運用するわけにはいかず、だから食料や住居はあらためて確保する必要があった。そこでアラヒトの出番だった。「キリガヤ。この手紙をもってあの子と接触してほしい」

2013-02-17 00:07:41
Shimada Yuichi @chimada

キリガヤはアラヒトから手紙を受け取った。「あの子とは。『世界』のメンバーのひとりである、『あの子』のことですね」「ああ。そうだ。あの子にわたしたちの世話を頼みたい。この手紙を見せればあの子はふたつ返事で応じてくれるだろう。頼まれてくれるか」「ええ。〈世界〉。ではなくアラヒト」

2013-02-17 00:12:13
Shimada Yuichi @chimada

キリガヤがどこかに行ってしまったあと、わたしとアラヒトは大きな木の下に腰を下ろして話をした。「アラヒト。ここは『世界のまえ』なんですね」「そう。そして〈世界〉の率いた組織である『世界』が活動している時代だ」わたしは震えた。『世界』。これは畏れだろうか。ここはわたしの時代ではない。

2013-02-17 00:14:57
Shimada Yuichi @chimada

そもそも。どうしてわたしは「世界のまえ」にいるのか。都市ブラックを通過したわたしは(キリガヤが出口まで案内し、その権限をもって通過の許可を得た)キリガヤに案内を受けた。「着きました。ここは『世界のまえ』。わたしたちはここを通ります」キリガヤがそう言ったのを、わたしは信じた。

2013-02-17 00:17:50
Shimada Yuichi @chimada

その時。わたしははじめて『行為』を行った。「それでは、ノーム(濃霧)。あなたのモードを展開してください」「モード?」「いえ、そうか、アマクサでは『行為』と呼ばれていたのでしたか。登録はお済みですね」「うん」「それはよかった。さぁ、あなたの罪を告白しなさい」わたしは首輪を解除した。

2013-02-17 00:20:48
Shimada Yuichi @chimada

はじめての『行為』のあと。キリガヤはわたしを抱きしめた。「よくがんばりましたね、ノーム」わたしは照れくさかった。そして悲しかった。わたしは「切った」のだった。何を切ったのだろう。それはここには明かせない。何を切ったか、ではなくて、切ったという『行為』が発生したことが重要なのだ。

2013-02-17 00:22:43
Shimada Yuichi @chimada

「しかし。アラヒト」「どうしたの。ノームちゃん」「どうやってキリガヤは手紙をもって『世界』に行くのですか。『世界』はここから近くにあるのですか」「ノームちゃん。『世界』はそれを求めるものにはだれにでも開かれるんだ。と、いうのはちょっとした装飾でね、『世界』には〈司書〉がいるんだ」

2013-02-17 00:25:00
Shimada Yuichi @chimada

〈司書〉。アマクサではそれは照会を意味することばだ。「都市には何があるか」を教えてくれる存在。それが〈司書〉だったのだけれど。「『世界』の〈司書〉は、正確には『世界』のメンバーではない。が、この〈司書〉に頼めば、『世界』への、さらには特定のメンバーへのメッセージを伝えてくれる」

2013-02-17 00:27:10
Shimada Yuichi @chimada

「ただし」アラヒトは悲しそうに笑った。「この手品の種をノームちゃんに見せるわけにはいかない。君には『世界』に関わってほしくない」「どうしてですか、アラヒト。わたしはそれほどまでに」「違うんだよ、ノームちゃん。『世界』はね、わたしが信じた『世界』は、おわりへと突き進んでいくからだ」

2013-02-17 00:29:28
Shimada Yuichi @chimada

「世界の解体」は歴史記述プログラムによって語られた。「世界は解体しました」簡潔な記述。けれど、そこにはだれかがいた。名前のないだれか。それはわたしだったかもしれない。どこにも記述が残っていない。だれも語らない。だれも聞かない。だれも認めない。だれも許さない。『世界』のメンバー。

2013-02-17 00:31:40
Shimada Yuichi @chimada

もっとも。わたしは『世界』に特別な思い入れがあるわけではなく、だから『世界』のメンバーがどうなったかを気にするわけではない。きっと、たくましく強く生き残ったのだろう。めでたしめでたし。けれど、目の前にいるアラヒト、かつて〈世界〉を名乗ったアラヒトは、わたしが関わった男の人だった。

2013-02-17 00:33:30
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