- uchida_kawasaki
- 3246
- 0
- 1
- 1
@TAKASHIMA724 高島さん、初めまして。エコー検診の自己決定について。 受けてなければ万一の時にも補償も賠償もしません、と国家が態度を明確に表明できるのなら慎重にならざるを得ないです。法律的に国家がそのような対応をできるのか否か、高島さんの見解をお聞かせ下さい。
2013-03-25 15:49:11@dre_swl さん,実は,私は以前からdre_swlさんをフォローさせて頂いており,dre_swlさんの慎重かつ誠実なツイートでいつも勉強させて頂いております。こちらこそよろしくお願いします。
2013-03-25 17:05:20ご質問の趣旨は,今回のエコー検診の不受診が,将来,法的な不利益につながりうるのか,ということですね。@dre_swl
2013-03-25 17:06:42今回の検診が,どのような範囲の人に対してどのように広報され,どのようなインフォームドコンセントがなされ,どのように検診結果が受診者に提供されているのかがよく分かりませんので,とりあえず一般的な法的枠組みだけをご説明します。@dre_swl
2013-03-25 17:09:12まず,原子力損害賠償法3条1項「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。」によれば,今回の事故の賠償責任者は東電です。@dre_swl
2013-03-25 17:11:02東電以外に,国や地方公共団体(福島県等)が,別途国家賠償法に基づく損害賠償責任を負うか否かは,必ずしも明確ではありません。同条の解釈のしかたによっては,国や地方自治体の責任を問うことはできないと判断される余地も残されています。@dre_swl
2013-03-25 17:13:18そのような留保を付したうえで,仮に,国家賠償法1条によって国や地方公共団体もまた賠償責任を負いうるとの前提を取って考えてみましょう。この場合に,エコー検診を受けなかったことによる不利益として考えられるのは,民法722条2項の過失相殺の規定です。@dre_swl
2013-03-25 17:16:32民法722条2項は,「被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。」と定めています。エコー検診を受けなかったことが被害者の「過失」と言えるかどうかがここでは問題となります。@dre_swl
2013-03-25 17:18:12この点を検討しますと,まず,損害の発生に際して被害者に過失があったと言えないことは明らかです。@dre_swl
2013-03-25 17:21:34次に,損害の拡大について被害者に過失があったかどうか,とりわけ汚染地に住み続けたことが過失と評価できるかですが,この点についても,被曝と健康の関係について見解が分かれている現状では,被害者の過失とは評価できないと考えられます。@dre_swl
2013-03-25 17:23:39そして,エコー検診を受診しないことは,損害の発生とも,損害の拡大とも直接に関係がありませんので,これが民法722条2項にいう被害者の過失に該当するとは考えられません。従って,今回,検診を受けなくても,将来,法的に不利益扱いを受けることはないと考えられます。@dre_swl
2013-03-25 17:25:35@TAKASHIMA724 不受診への懸念の一つがこれだったので気に掛かっておりました。重要なポイントかと思います。御忙しい中、丁寧な説明有難うございました。
2013-03-25 17:34:38@TAKASHIMA724 どうも、いつも勉強させていただいてます。一点気になるのですが、検診を受けないことが過失になることはないというのはその通りかと思いますが、訴訟において病態の記録が影響を与えるケース、ということは考えられないものでしょうか。
2013-03-25 17:57:54sivadさん,ご指摘の通りです。検査記録は,とりわけ因果関係の証明に影響を及ぼすことになるはずです。@sivad …訴訟において病態の記録が影響を与えるケース、ということは考えられないものでしょうか。
2013-03-25 18:16:04この点について私が言及しなかったのは,どのような検査がどのようなインフォームドコンセントのもとでなされているかによって,今回の検査結果は,受診者に有利にも不利にも働きうると考えたからです。@sivad
2013-03-25 18:17:08一般論としては,客観的に適切な内容・手法で検査がなされている限り,その結果を受診者が手元に置いておくことは,訴訟における因果関係の証明に際して意味があると思います。@sivad
2013-03-25 18:20:59おおっ!専門家の解説がっ!ありがとうございます。論理的に真というのはその一文だけのことですよね。 @TAKASHIMA724 「検査しても治らない」は確かに論理的には真ですが,その発言が論理的に真かどうかということと,その発言の社会的意味は全く別です。
2013-03-25 18:24:51私が言おうとしていたのは、一文ずつは正しくても、組み合わせると意味としては間違いになる、ということです。検査しても治らない、と潜在的な甲状腺癌はよくある、はどちらも論理的に真ですが、小児甲状腺検査の文脈で一緒に使うと詭弁になってしまいませんか? @TAKASHIMA724
2013-03-25 18:32:01詭弁というより誘導でしょうか。検査を受けるべきかどうかという文脈で、「小児甲状腺癌は検査しても治らない」だけで、検査後治療した場合や検査せずに見過ごした場合どうなるのかに言及しないと、誘導や印象操作になってしまうと思うのですが。@TAKASHIMA724
2013-03-25 18:57:44「潜在的な甲状腺癌はよくある」も、わかっているのは大人の場合で子供の場合はどうかわからない場合、並べて論じるのは適切でないかもしれません。医療に関わる問題の場合、専門家にはどの程度、誤解を生じないように説明することが求められるものなのでしょうか。@TAKASHIMA724
2013-03-25 19:05:42@iPatrioticmom さん,お返事が遅れて失礼しました。もちろん,「検査しても治らない」が論理的に真というのは,この文章を独立して見た場合のことです。
2013-03-26 12:37:52ご指摘のとおり,論理的に真の命題であっても,使われる背景によって,誘導や印象操作として作用することがあります。@iPatrioticmom
2013-03-26 12:40:28「消防署のほうから来ました。」は,消防署の方角からきた場合には確かに真ですが,高価格で消火器を買わせようとする背景に照らせば,不利な契約への誘導や,目的物たる消火器が(消防署が推薦するのだから)有料品であるとの印象操作として用いられている訳です。@iPatrioticmom
2013-03-26 12:42:40