小説用突発文章術講座7
表情のバリエーション で思い出したけど、昔知り合いに絵は巧いんだけど表情の書き分けができない奴が居た。相当苦心してたっぽいのだが、それでも無理な辺り絵というのは難しいものだな と思う。
2010-09-06 04:26:11まず、地の文で気にすべきはまず統一性 と言うのは間違いない。どんなに綺麗なメイクを施すにしても、顔の造形を考えずにやったら台無しなのと同じである。
2010-09-06 04:35:46まぁ、過剰に気にし過ぎる必要はないのだけれども、例えば小学生が独白の中だけにしても「幾何級数的な増加」などと呟くと色々と背景が破綻しかねない。
2010-09-06 04:37:34迂回策として、単なる小学生から「天才小学生」に切り替えれば違和感は減るかもしれないが、それは「小学生」の表情出しに成功したのではなく「天才」の表情出しに成功したのである。その辺は勘違いしてはいけない。
2010-09-06 04:39:21つまり、地の文の統一性 と言うのは、(三人称の語り部含めて)話者をどのようなキャラクタとして表現したいかを念頭に置かなくてはいけない。それを意識せずに「語らせ易さ」などを前面に押し出して書くと劣化キョンだの劣化西尾維新だのが出来上がる。
2010-09-06 04:42:39もっと発展させるなら、普段はとある事物に対してAと表現しているところを、その時はBと表現した というのが表情の表現の要点、と言えるかもしれない。
2010-09-06 04:59:56つまりは普段「赤色の、絵の具をぶちまけたような空」と言っていたところを、ふと「赤色の、血反吐を撒き散らしたような空」と言い換えれば、当然だが非常に印象は変わるだろう。そういう言い換えの制御に近い。
2010-09-06 05:03:02大人なら「魚」と言う所を、子供なら「おさかな」と言っても許される(無論大人でも許される時と場所はあるだろうが) ように、「こいつの語彙にそれはない」「こいつの語彙ならこう言う」の違いがキャラクターを規定する と思うのだ。
2010-09-06 05:08:20ま、これを徹底しすぎると同じことを同じ表現で表現し続けることになるので文章が単調になってしまうかもしれない。ただ、単調さを避けた結果、誰の視点のつもりで書いたのかすらわからない文章に仕上がってしまうよりは結果的に読者も飽きずに済むと思う。
2010-09-06 05:12:48つまり、悲しい場面で「どう悲しい」「何故悲しい」が抜け落ちたまま「悲しい」とだけ書かれてもどうしようもない という話である。まぁ、ここぞと書き込むチャンスなので、勿体無いと思って表現を凝るのもありだろう。
2010-09-06 05:17:25まぁ、ギャグシーンで痛みとか悲しみとかを真面目に切々と描写すると大変なことになったりするので、どの描写に凝るべきかは場面とも応相談なのだけれど。
2010-09-06 05:19:03あ、一つ目の統一性云々で忘れてたが、書いてる人間と「三人称の話者」は別人だと思って書いたほうがいいと思います。イメージ的には話に合わせて声色変えろよ という主張と読み替えてくれても構いません。あんまり不相応なのは控えましょう ってことで。
2010-09-06 05:23:13演技にしたって、感情移入バリバリで演技しても「それっぽさ」が見えにくかったりわざとらし過ぎる なんてのは往々にしてあると思う。それを文章でやらかしてしまうのだ。読者視点を常に持ってたら発狂するので持たなくても良いけれど、「何を狙って書くか」「どう読めるか」は意識したい。
2010-09-06 05:29:01これを強く言うのは、何だかんだで自分が移入しやすい所謂「はまり役」だけ書いてしまうところにあると思う。まぁ、それで大成した人は幾らでも居るけども。
2010-09-06 05:32:06