井庭崇氏のパターンランゲージの書き方

井庭 崇さんが実際にパターン・ランゲージをどのように書いているかツイートされていたのでまとめてみました。
9
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

「書く」ことの職人でありたい。

2013-03-28 20:38:20
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

僕がパターン・ランゲージを書くときには、説明や描写の文章を書くときとは異なる「書く」をしている。どちらかというと、シミュレーションのモデリングやプログラミングに近いと感じる。

2013-03-28 22:03:30
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

パターン・ランゲージを書くということを、ハウツーを書くことや、問題発見・解決のロジックを書くことと同じだと思っている人には、この感覚はわかってもらえないと思う。

2013-03-28 22:04:53
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

僕の感覚では、パターン・ランゲージを書くというのは、単なる説明や描写を記述することではなく、その文章から生まれるデザイン・行為によって、質を生み出すということ。

2013-03-28 22:06:13
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

おそらく、詩や小説を書くということは、その世界を立ち上げるということだから、同じような感覚なのだと思う。ただ、僕は本格的にそれらを書いたことがないので、確かなことは言えない。言えるのは、シミュレーションのためのモデリングやプログラミングの感覚に近いということ。

2013-03-28 22:07:16
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

パターン・ランゲージの文章を生成的(generative)にするということは、つまりは、そういうことだ。状況や問題、解決が書いてあるからといって、その記述にとどまらない(それだけのことであれば、どんなに書くのが楽なことか!)。生成的な文を書くというのは、とても難しい。

2013-03-28 22:10:41
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

生成的なことばを書くということは、僕もまだまだ挑戦中である。僕の考えるパターン・ランゲージは、抽象的なレベルで書かれているにもかかわらず、生成的であるもの。これがとても難しい。厚い記述にして、そこで質感・共感を生むのではない方向性への挑戦である。

2013-03-28 22:14:56
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

プログラミングに近いと感じることの補足。プログラミングをしているとき、想像しているのはそのプログラムが実行されたときのことである。そこでシステムがどのような動きをするのか、ユーザーがどう動くのかを想像しながら、目の前のコードを書いていく。

2013-03-28 22:16:29
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

ちょっと触れてみただけで「プログラミングなんて面白くない」という人は、目の前のコードしか見てないのだと思う。それが実行したときのことを想像していない。だから、面白さなんて感じられない。そりゃあ、if文やfor文を見たって、それだけで面白いわけがない。

2013-03-28 22:17:51
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

プログラムのデバッグ(不具合を取り除く)なんて、めちゃくちゃ想像力を使う。ありとあらゆる可能性を想定しながら、バグの除去に取り組む。「(コンピュータが)命令したとおりに動いてくれないから嫌だ」とか「よくわからないから嫌い」となってしまうのは、ぜんぜん想像力が使えてないということ。

2013-03-28 22:23:59
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

でも本当は、書いたものがきちんと想定どおりに動かない=機能しないということを明確に教えてもらえるだけ親切だと思った方がいい。パターン・ランゲージの場合なんて、結果は曖昧で、ただ受け入れられないだけ。

2013-03-28 22:25:09
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

そんなわけで、パターン・ランゲージを書くということと、プログラムを書くということは、ある面で似ているのであり、本当は僕はパターン・ランゲージを書きたいという学生には、プログラミングも手足のようになるまで学んで実践してほしいと思っている。(現実的には避けられてしまうけれども。)

2013-03-28 22:26:51
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

僕がつくっていたシミュレーションも、マルチエージェントモデルなので、自律的に動く主体を複数用意して環境に解き放ち、それらが相互作用をして現象を生み出す、というものをつくるためにモデルを書く。これは、まさに生成的な「書く」である。

2013-03-28 22:28:36
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

そういう経験がすべて、いまの僕のパターン・ランゲージをつくる、ということにつながっている。ただ、ことばを書いているわけではないのだ。そのあたりが、もっと伝わるといいな、と思いながら、僕は書き続けるのである。まだまだ修行の身である。

2013-03-28 22:31:20
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

パターン・ランゲージをつくっているとき、どうしても説明的な文章になってしまう。状況・問題・解決ということを分析・理解しながら書いていくので、それは仕方がないことではある。しかし、そこで止まってしまってはだめで、そこから生成的になるように書き換えていかなければならない。

2013-03-28 22:38:36
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

プロジェクトのなかでは、よく、「魂を込める」という表現を使うのだけれども、無味乾燥な説明から、訴えかけてきて生成を誘発するような表現へと変えていく。これは内容の面でもことば遣いの面でも。

2013-03-28 22:40:08
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

アレグザンダー的に言うならば、「死んでいる」(dead)ことばを、「生きている」(alive)ことばにしていく、ということができるだろう。

2013-03-28 22:41:51
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

井庭研必読文献のなかに、なぜ、シーモア・パパートの『マインドストーム』が入っているかというと、この本では、デバッグの大切さが語られているから。この本では、子どもの学びにとってのデバッグの重要性。

2013-03-28 22:44:21
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

パパート教授は、現在の教育では最初から正しい答えを出すことが最も評価されるが、そうではなく、失敗してもよいからそれをよりよくすることができることが大切だという。この考え方はとても重要。子どもたちだけでなく、先ほど書いたように、パターン・ランゲージのライターにとっても。

2013-03-28 22:46:17
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

パターン・ランゲージを生成的にする(魂を込める)とき、僕のなかでは、ヴァーチャル・マシンが動いていて、そこでパターン・ランゲージが実行される。一種のシミュレーションのようなものだ。その想像のなかでうまく動かないということであれば、その不具合を直す。まさにデバッグを行なっている。

2013-03-28 22:48:32
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

そんなわけで、僕がパターン・ランゲージの新しい道を突き進んでいる背景には、プログラミングや複雑系、シミュレーションの経験がかなり反映されている。そのあたりをしっかり感じてもらうというのが、4月から始まる「シミュレーションデザイン」の授業。

2013-03-28 22:51:43
井庭 崇(いば たかし) @takashiiba

アレグザンダーの思想・理論の本『時を超えた建設の道』『まちづくりの新しい理論』『The Nature of Order』第1巻・第2巻を読み込むと同時に、複雑系の理解や、シミュレーションの体験もする。そういう風変わりな授業をやる理由は、まさにそこにある。

2013-03-28 22:53:18