例えば外国人がうまく日本語をしゃべれなくても私達はとくに怒ったりしない。子供がうまくプレゼンできなくてもそれに腹を立てたりもしない。それは最初の期待値が低く、できなくて当然からスタートしているから。人は期待が外れた時、怒りがっかりする。
2013-03-31 14:50:32昔、ある選手の振る舞いを見てがっかりした事があるのだけれど、ふとよくよく考えてみれば勝手に期待して勝手にがっかりしたのは自分の問題であって相手は関係がない。相手はただ相手のままとして生きていて、それを裁く権限は僕には無い。
2013-03-31 14:52:30なぜ私達は本来自分とは関係がないはずの他人に興味をもってしまうのだろうか。どんな賞賛も、どんな批判も、罵詈雑言ですら、まず最初に相手への興味がある。例えば道端の石ころに私達は言及したりしない。何かを言う時点で、それに興味をもってしまっている自分がいる。
2013-03-31 14:55:08こうであるべきだ、こうなっているはずだ。自分であるべき世界を作り上げ、それに当てはまらないものを裁く。自分側の世界が強い人は、そうでないものを許す事ができず、いつも正義に燃えている。その正義は知らず知らず自分にも向かい、正しくない自分に苛む。
2013-03-31 14:58:36そこに石がただあるように、世の中はただそのまま存在している。期待は自分の都合で作った世界。幸せでいるコツは期待しない事。木が木のままでいる事を、相手が相手のままでいる事を受け入れる事。その時初めて自分を許す事ができる。
2013-03-31 15:01:01【終わり】相手が期待させているのではなく、期待している自分がいる。がっかりさせられたのではなく、がっかりした自分がいる。世の中はコントロールできない。けれど自分が変わる事はできる。なぜ自分は期待しているのかという事を問う事は大切だと思う。
2013-03-31 15:06:08がっかりのベースとして善悪があるからです RT @tachaxx: 「がっかりした」=「裁く」という変換になるのはどうしてですか?勝手に期待したのと同じように勝手にがっかりした、それだけではないのですか?勝手に期待した通りだったらなんという表現になりますか?
2013-03-31 15:07:41