為末、肯定力、モチベーションなどを語る

まとめました。
ログ 為末大
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Dai Tamesue (為末大) @daijapan
どうしてそこまで自分観察に拘るのかと質問を受ける事がよくある。陸上選手なのに、なんで哲学とか心理学の話するの、って。これは僕の趣味もあるけど、必要不可欠だからやっているのがほんとの所。これをやらなかったら、僕はぷつんと切れてたぶん走るのをやめてしまってた。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
競技人生の前半は、分かりやすいものに引っ張ってもらえてやる気が無くなる事がほとんどない。速ければ褒められるし、やればペースはともあれできるようになる。だから外からの刺激ももらいやすいし、自分の内側でも反応があってモチベーションが保ちやすい。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
苦しいのは進んでいるかどうかわからなくなる段階から。簡単に前進しないから人は褒めてくれないし、なかなか上達しない。成果がでないから、本当にこっちでいいのかと不安になる。頑張った先の成果が保証されないから頑張っている”今”から楽しみを得ないと耐えられなくなる。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
やればできた、の段階が終わり、やってもできないかもしれない、の領域に入ると、自分観察をせざるを得なくなった。陸上の練習は単純で辛い。しかも頑張っても将来が保証されてない。つまり”頑張ってる今”が既に楽しくないと続けられない。それは自分が本当に欲しているものを知らないとわからない。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
僕はずっとモチベーションが高いと思われているけど、そうじゃなくて壊れないように大事にしているだけ。自分の本当の感情を無視してやる気を自分に押し付け続ければ心が壊れる。どこまでなら我慢できて、何を楽しんでいるか。このコツを掴むのがやる気で居続けるコツで、それは自己観察しかない
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
諦めたらそこで試合終了だよ、は本当だと思う。大事なのは”諦めたくない”をどうやって作るか。”諦めるな”と”諦めてもいいんだよ”の間に”諦めたくない”がある。父性と母性の間、だめな自分を許しながら、踏ん張る所は踏ん張らせる。その塩梅を探っていたら、こんな風になっていました。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
昨日の続き。モチベーションの核の部分は無邪気でできている。この無邪気の部分を壊してしまうと、モチベーションは枯れてしまう。そもそもなんでやりたいのか。何故今これをしているのかの原点の部分。無邪気は恐れで壊されると思う。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
馬鹿にされるのが怖い、立派になれないのが怖い、嫌われるのが怖い、自分なんてだめだと思うのが怖い、大事にされないのが怖い、一人が怖い。無邪気はこれらに頓着しない世界。好奇心や面白いと思う気持ちだけで動く世界。子どもの頃その世界で生きてたのだけれど、いつしかそれを人は恐れで捨てる
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
無邪気とは善悪がない事で恐れもない。虫の羽をむしり、ものを欲しがり、ものを壊す。そんな事してはいけませんと習って人は自分の無邪気に蓋をする。だけど自分が感じている事が無くなった訳じゃないから二重基準が出来る。振る舞いを常識的にすればいいだけなのに、自分の常識的じゃない心を責める
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
もう陸上なんていいんじゃないのと母親はいつも言っていた。矛盾するのだけれど、いつでも止めれるし、所詮はこんなもの、という視点がどこかにある事で無邪気なモチベーションは保たれる。意味がある事をやっていて、止める事は許されないという心理状態では、無邪気は削られ、義務に変わっていく。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
無邪気な核を意識しながら、だけど日々の振る舞いはある一定の方向に向けて着々と積み重ねる。やりたい気持ちが削れそうだというラインで自分を許し、このままじゃだめだというラインで自分を叱責する。ずっとテンションを保つ事は僕にはできなかったからこの揺らぎや振り戻しを大事にしている。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
義務は無邪気には勝てず、努力は夢中に勝てない。やりたいからやってるんだい、やりたくなかったらやんないやい、という自分の中の子供の部分を否定せず、ここはちょっと頑張ろうね、でも明日は遊ぼうね、と大事に育てる事。心の子供を叱りすぎて黙らせてしまえば、いずれモチベーションは尽きる。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
おはようございます。今日は【自分肯定力】について
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
人が人を罵ったり蔑んだりする時、罵った側が辛くなる事がある。お前は頭が悪いというと、そうですよね頭が悪いんですと言われ、お前なんてみんな嫌いだと言うと、そうなんですよねみんなに嫌われてるんですと言われる。頭が悪い好かれないという恐れが罵っている側に浮き出て見えてしまうから。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
自分を肯定できない人はものさしに縛られている。自分が肯定できないから何か理由がないと自分を愛せないし、愛されないと思っている。だから人と無意識に競う。優れていればほっとし、劣っているとその人と対等に向き合えない。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
じゃあ、自分を肯定しきっている存在がいるのかというと、いるのかもしれないけど、たぶんほとんどいない。ある意味でみんな自分を愛するという事を学んでいて、その修練の為に生きている。だから日によって自分を肯定できる時もあれば、自分なんてと蔑む事もある。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
自分肯定の一番分かりやすい方法は、自分がいないと生きていけない存在を持つ事。子供やペット。自分という存在にすがりついてもらう事によって生きる意味を得たりする。頼られる事で支えられるという状態があって、人が自分に価値を感じるのはあなたでないとだめなんですと言われる局面だと思う。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
後は逃げなかった過去。人は勝ったり成功したりして自己肯定力を強めると思っている。もちろんそれは少しはあるけど、結果に依存する自己肯定は、零落れると消滅する。それよりも苦しかった局面を知っていて、でもそこを自分なりに戦いきったという過去が自信をもたらしてくれる
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
判断や比較は裁くという事。左脳の脳卒中に見舞われた脳科学者は、左脳機能の一部が止まった状態を、ニルヴァーナ(天国、悟り)とよんで、それは最高の幸福だったと言っていた。私達は幸せであるかどうかを感じる前に、幸せであるかどうかを考えようとする。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
左脳機能がないって事はつまり境目がなくて、個の認識がないってことだと思う。自己肯定以前に自己すら他にとけ込んで、みんな一つと感じればそもそも考えて苦しむ事もないと思うし、宇宙と一体という悟りの境地はその辺りにあるのかなと思う。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
【自己肯定力のまとめ】自分を愛する状態が揺るがないわけじゃなくてどんなに自己愛が強くても人は環境で揺らぐ。そして孤独は自己否定を加速させる。だから僕は緩やかに人が繋がり合って、自分が思っている事を伝え合う事が大事だと思う。わかってもらえたという経験は意外なほど人生を支えてくれる。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
おはようございます。今日は【揺らぎについて】
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
自発性モチベーションや、自己肯定など、掴んでしまえば全部解決するだろうなと想像がついてだからそれを必死で探して掴みにいくけど、実際にはふわふわして捉え所がなく掴めないものだと僕は思う。あるんだけど、見つけられないし、掴めない。でも探すのは止められない。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
長く競技をやってきて振り返ると、強烈に何かを信じて突っ走った時期と、それが急にばからしく思えてふっと方向転換する時期の二つがある。昔はそれがぶれてるようで嫌だったけど、結局、揺らぎが小さかったり、もしくはこうあるべきとどこかに居着こうとした選手は伸び止まったいった。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
25年間走り続けてきたけれど、走りたくなかった時期もあるし、強烈にモチベーションが湧いた時期もある。人間は社会性があるから環境で揺らぐ生き物。揺らがないで一身に努力し続ける姿をみんなはアスリートに見るけれど、本当は揺らぐ自分を責めたりせずに上手に揺らしてあげているんだと思う
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コメント

Hamauzu @hamauzi 2012年3月15日
RT @daijapan: スランプの時、自信が無い時、人は後から考えると驚くほど近視眼的になっている。人の言葉に左右されたり、ふらっと何かに妄信してしまうのもこの時期。辛い時期に、こうだと答えらしきものを言い切ってくれるものに人は弱い。でも直接的に人が答えをくれる事はない。
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