茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第899回「あほたちこそが、物語になる!」
- toshihiro36
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あも(1)というわけで、椎名誠さんの『哀愁の街に霧が降るのだ』を、「面白いな」「うまく書けているな」とうなりながら移動中に読んでいる。私事ではございますが、私も青春小説を構想中で、「東京芸大物語」(仮題)という。ところが、一向に執筆は進んでいないのである。
2013-04-04 07:22:02あも(2)布施英利さん(@fusehideto)のお誘いで東京芸大で教えさせていただいていた数年間に出会った学生たち(植田工 @onototo とか、杉原とか、はとぽっぽ蓮沼とか)のバカ話を書こうという構想なのだけれども、時間がなかなかとれなくて、書き進めることができないでいる。
2013-04-04 07:23:43あも(3)この物語が書ければ、植田工(@onototo)も、イラストの仕事が入るし、一向に売れないアーティストである植田も、ドラマ化されてイケメン俳優が演じたら、「あのドラマの植田工のホンモノに会いたい!」という女の子が来て、本人を見てがっかりするという人生の機微を味わえる。
2013-04-04 07:25:33あも(4)というわけで構想だけで一向に進まない物語について話していて、ある人が「東工大は物語にならないのか!」と鋭い指摘。確かに、私は東工大でも学生を教えたことが。なぜ東京芸大は物語になって、東工大は物語にならないのか。私は思わず、「東工大は賢いから!」と言ってしまった。
2013-04-04 07:27:13あも(5)もちろん、東京芸大は美術系の最難関である。だから賢いことは賢いのだが、その賢さがアレというか、ソレというか、はちゃめちゃ。一方東工大は秀才の集まりで、秀才というのはなかなか物語にはならない、という無意識の洞察を私は思わず口走ってしまったのである。すみませんでした。
2013-04-04 07:28:40あも(6)それで、私は思った。「あほなやつほど、物語になる!」。漱石の「坊っちゃん」だって、主人公はアホだし(損ばかりしている)、「吾輩は猫である」だって、くしゃみ先生は何もしないという意味でアホだし、考えてみると、あほなやつほど、深い文学のネタを提供するのだ。
2013-04-04 07:30:24あも(7)すべての人にあほな角度がある、という意味では、視点が大事なのかもしれない。東工大の秀才くんたちも、そのオタクぶりや、一つの文脈しか見えないで転ぶとか(ビル・ゲイツみたいなイメージ?)、優秀じゃないアホぶりに焦点を当てれば、立派な小説になるのかもしれないのだ。
2013-04-04 07:31:36あも(8)あほぶり、というか、社会に対する不適応こそが、物語のモティーフになるということは、こうすれば成功するとか、効率が上がるとか、そういういわゆる「ビジネス書」は一番物語から遠いということになる。そして、ジョブズのように振り切れた人は不思議なことに物語に近づくのだ!
2013-04-04 07:32:42あも(9)ギリシャ神話では、情熱にかられたりして不適応で無謀な生き方をした英雄や美男美女(つまりあほな人たち)が、死んだときゼウスが哀れんで星座にするという話がたくさんある。つまり、物語とは、あほな人たちを文学の神さまがあわれんで空の星にするようなものなのだろう。あほに栄光あれ!
2013-04-04 07:34:34