- sakaki_koheita
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うっさい。 RT @1561_naomasa (この頃の榊原殿は、俺の事を言えない方だったそうですよ…(棚上げぽい)
2013-04-07 23:17:34まぁ、ついでだからするか。堀川城攻め、先陣を賜ったのはいいが、わしはどうしても一番槍が欲しかった。だがまぁ、一番槍は将になると中々難しいよな。そこで部下と相談して、一番乗りを目指したわけだ。
2013-04-07 23:22:17わしは寺に入っていたところを殿に拾われた身の上だ。小姓にしていただき、また若くして将ともなった。そのご恩に報いるためには、どうしてもこの戦いで武功をあげねばならん。しかも普通のでは駄目だ。
2013-04-07 23:24:25幸い旗指物は紺地、これを低くして夜陰に紛れるようにした。まだ明け切らぬうちに布陣を終え、日の出とともに城に攻めかかる。その時にわしと数名で城にとりつき、塀をのりこえて中に入り、門を開けて待たせておいた兵を城内に入れさせる。
2013-04-07 23:28:57この城に乗り込んだ際に、太股を刺されて二箇所ほど負傷してな。あやさまが言われたのはこのことだ。共に城に入った中嶋が肩をかしてくれ、足を引きずりつつも戦った。
2013-04-07 23:30:42いったん城門の中に入ってしまえば、人数は多くても農民達はたいした敵ではない。地形的に難しい城だったが、こうして堀川城は落ちた。
2013-04-07 23:33:55(俺の種子島の雑な扱い方というか、失敗で指が動かなくなったのと同じくらい、やんちゃですよね、榊原殿 (井伊残して休みます/おやすみなさいませ)
2013-04-07 23:38:22このあと、わしはこの傷が元で、寝込んでな。高熱が出た。破傷風というやつだろう。まわりはもう助からないと思ったそうだ。
2013-04-07 23:37:50その時にわざわざ殿がお見舞いに来てくださって、言いたいことはないかとお尋ねだった。わしは、このたびの戦にては、ともに城にのりこんだ中嶋伊奈両名の働きがあってこそ故、そのふたりに褒美をお与えください。というようなことを言ったらしい。
2013-04-07 23:40:21その後傷は快癒し、今こうして笑い話のようになっとるが、これが遺言になるところだったな。多分、殿もそのつもりであったんだろう。
2013-04-07 23:43:06中嶋は、姉川の戦の時に討ち死にした。わしが敵中で馬が動かなくなり孤立したせいだ。……中嶋は、わしが殿からつけられた最初の部下の一人だった……。
2013-04-07 23:47:05もちろん、先手としては他に引けをとらん働きをしたがな。この後死にかけたのって多分堀殿と戦った時ぐらい……か? まだあった気もするが、いいか。
2013-04-07 23:59:06あーそういえば葵のわしが、わしは平八や兵部に比べたら全然、みたいなことを言うておったが、信じるなよ。そこ大事だからな。
2013-04-08 00:00:36