- t_mutsumin
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.@kinono 「考え過ぎ」と、(対面で、親しい友人以外に)言われるのは、僕にとって「黙れ、息をするな」と言われているに等しいんですよ。正直、それを「助言」と思い込める人とは話がすれちがいます。 [正名/狂言]
2010-02-03 20:03:48ただ、自分で言うのもなんだけど、これって「所知障」(via 仏教)そのものでもあるから、全肯定もできない。昨年は所知障に殺されかけたし。RT tricken:「考え過ぎ」と、(対面で、親しい友人以外に)言われるのは、僕にとって「黙れ、息をするな」と言われているに等しい
2010-02-03 21:57:51基本的に「話すと(よほど目的・志向があわないかぎり)基本的に扱いが面倒くさい奴」っていう理解は非常に正しいので、フォローしてる人はその辺了解してくれればありがたい。ただ、誰かを罵倒するような言葉づかいは(自分自身見るのも、後で言ったことに気付くのもいやなので)自分で禁じています。
2010-02-03 22:24:58ちょっと厳しかったかな、と思っている。でも、(ローカルルールの遵守としても、自分の職分に沿ったある種の価値の提示としても)一定の批判こそ想定されるけど、一貫性は保たれていると思う。
2010-02-03 22:31:32@tricken 人が、他者に見る幻と、自身に見る幻が不一致である様子、だなあ、と思いました。trickenさんがもう何年か年を取った時、どんな人間になっているのか楽しみになりました。お会いできる機会があるかどうか、わかりませんけど。
2010-02-03 22:37:36いえ、問題ないです。RT @br117: @tricken ちょっと気になる会話だったのでまとめさせてもらいました。 問題が有れば消しますので指摘願います。 http://bit.ly/aSxBQb
2010-02-03 22:53:51年相応(25歳)であることを思い出してしまうコメント感orz RT @ruckatz3 人が、他者に見る幻と、自身に見る幻が不一致である様子、だなあ、と思いました。trickenさんがもう何年か年を取った時、どんな人間になっているのか楽しみになりました。
2010-02-03 22:56:06@tricken あの程度は全然厳しくないとわたしは思います。なんだか脊髄反射的、意志伝達に無頓着、議論技術がない、というのがネット普及の中での問題点だと思いますので。
2010-02-03 23:03:21.@tinouye なるほど。ただ、これくらいでも、フォローしてくれてる人の中には心がざわつかせてしまう人も居ますので、ちょっと申し訳ないと思います。結局自分のローカルルールであり、universalであるわけではないのですから。(ただ、学問ではその擬制がないとやってられない)
2010-02-03 23:20:15@tricken そこは私が年寄りだからでしょう。ただローカルルールの存在さえ思い至られないのには、ちょっとねと思いますし、仰る通り面と向かってないコミュニケーションだからこそ、そこのイマジネーションは大事なはずと思うわけです。そういう点でイマジネーション不足の人が多いかも。
2010-02-03 23:25:35そう言って頂けると助かります。 RT @tinouyeローカルルールの存在さえ思い至られないのには、ちょっとねと思いますし、仰る通り面と向かってないコミュニケーションだからこそ、そこのイマジネーションは大事なはずと思うわけです。そういう点でイマジネーション不足の人が多いかも。
2010-02-03 23:27:23@tricken いえ、私も未熟な扱い手です。件の意見に関しては、「考えること」そのものは筋肉の緊張とはひとまず別のものですからその点では外していますが、その際に余計な緊張を産みやすいこともまたわれわれは実感として持っています。その経験から出た意見と見ました。
2010-02-03 23:40:40自分はべつにプロの言論人であったことなど一度もないけど(自分の発言に自分なりの責任を持ってはいる)、そういうプロが伴侶や子どもに「お母さん(お父さん)、どうしてお外であんな怖そうなこと言う(書く)の?」って言われた時、どう対応しているんだろう……。
2010-02-03 23:41:10そもそも自分の発言をCC(BY-SA)にしているというのは、「自分の発言が悪し様に引用されたとしても、その二次著作自体を著作権違反というやり方では反論できない」っていうことですし(名誉棄損はありえますけど)。その程度には発言に責任を持ってます。
2010-02-03 23:43:39だから実は、先ほどの @br117 さんのも、(togetterがCC準拠であるわけではないみたいだけど)基本的に遠慮は要らないのでした。 http://bit.ly/aSxBQb
2010-02-03 23:45:12@tricken 高千穂遥さんの日記で、息子さんが「なんでこう敵を作るような言い方をするのかと呆れてる」といった記述があったのを思い出しました。高千穂さんの場合、言動が注目され始めたのはここ数年ですから、息子さんも大人になっておられたのでそんな冷めた反応だったのでしょうけど。
2010-02-03 23:45:23.@kumamic たぶん「そのままじゃちょっと、生きづらい」からかもしれないな、と思っています。僕はもう18歳くらいから時にけんか腰になってまで自説を展開したりしましたが、それだって「このままじゃ、やっていけないと感じたから」だったりします。お陰でだいぶ楽な境地に来られました。
2010-02-03 23:49:54酒の肴にもならぬが、一息で噛み砕けない発話なのは確か故、書き残す。狗畜生には分からぬ感性なのだろう。 RT @tricken:「考え過ぎ」と、(対面で、親しい友人以外に)言われるのは、僕にとって「黙れ、息をするな」と言われているに等しい http://bit.ly/aSxBQb
2010-02-04 00:02:23・・軽く囓ってみるものの本当に旨くない。発話者の真意については有り難くも進化ロイド氏が簡潔にまとめて下さっているので、飽くまで派生的な泡を追いかけ喰うことにしよう。
2010-02-04 00:25:22実りの有る泡に鼻先を翻す。;思考がもつ個人の感覚とその相対的な位置は多様である。不可能事である、強いられる苦行である、徒労である、暇潰しである、娯楽である、信条である、聖なる義務である、自動的な性分である、生の要点である。どれもありえよう。しかし。
2010-02-04 00:33:30この多様さがあり得る事、を認める者が先ず、必ずしも多数ではない。せずに済むならそれで済ませた方がよい悪、として思考を位置づける習慣は比較的よく見かける。その位置からすれば、実のところ、考えるのを止せと言うのは、止してもよい、という許しであり、楽になれ休めという呼びかけであり得る。
2010-02-04 00:35:35同じ呼びかけが、会話中に挟まれる場合には、相手の言葉を聞く事に疲れてきたというアピールに用いられる事もある。この場合、考えが己にとって苦行であることをその言葉は伝える、若しくは伝えるべく意図を以て用いられる。ある種の悲鳴のようなものだ。
2010-02-04 00:38:42本当はそう捉えるのが穏やかではありますが、年末と同様、「考える」ことの功に執着しすぎて、罪を容認しきれていないようです。 抄QT @thinkeroid 「考えること」/は筋肉の緊張とは/別/〔だ〕が、その際に余計な緊張を産みやすい/われわれは実感として持っている [正名/狂言]
2010-02-04 00:39:22報道・出版で気軽に触れられる表現の群れからみても、思考を「強制された重荷」と幾分かは見なす者が多数であると仮定するのは妥当であろう。この立場からの善意が思考が聖戦であったり生活であったりする者に向けられると、それはしばしば後者から生の甲斐を剥奪するアクションになる。
2010-02-04 00:42:56