- M_Yagishita
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単に言葉の選び方の問題だと思うからどうでもいいとこではあるんだけど、ルの話してるのにマスメディアの意味でメディアって使ったり、それが遂行されることによって全体社会システムが崩壊するわけでもないのに反システム思想とか言ったりするのはどうなんだろう
2013-04-14 16:40:05テロ行為は非難声明によってコミュニケーションになるとか、国家とコミュニケーションできるとかいうように読めるように思えた箇所があったのだが、指摘はあったのかなあ。
2013-04-14 16:57:43とはいえ社会扶助システムにしろ寄食者システムにしろ発想は面白いと思ったし、ルが指摘していない自律性を持ち出して実際の社会現象を説明しようという試みのある程度しっかりした例として勉強になる点もあった。
2013-04-14 17:02:19ぼくはルはオートポイエーシスが成立しなければそもそも社会が今のような形で把握されたりコミュニケーションが生み出されることはなかったのだという強い主張をしていると思っているので、比較という点を突き詰めると役に立たなくなるという理由で最終的にルが捨てられることには寂しさを覚える
2013-04-14 17:43:05しかしまあ、ルが我々の日常的な実践を理論にあてはめる時のやり方に乱暴な点があるとはぼくも思っている。第一報告・第二報告はそういうルのいい加減な部分を補うための議論の紹介という見方で面白いと思った
2013-04-14 17:45:21@contractio 実際にこれからの研究で社会現象などの比較をする場合、ルーマンが既に用いている理論を使うのは不適切という話だと思ったんですが、そういう理解でも間違いでしたか?
2013-04-16 18:58:56@Suberr たぶん、私が「例」として挙げたものから、なにかより一般的な強い主張を引き出そうとしているのではないかと想像されるところです。
2013-04-16 19:02:58@Suberr しかも、私があの注記で述べたのは、「比較は役に立つか」ではなくて、「抽象性の度合い」の方に焦点があったわけですよ。
2013-04-16 19:08:48@Suberr つまり、ルーマンの主張を真に受けるならば「高い抽象性のステージから、順を追って抽象度を下げる形で比較の視野を狭めていく」べきなのに、ルーマン自身はしばしば そのようにはしていない(=余りにも簡単に抽象度を下げてしまう)、と。
2013-04-16 19:09:55@Suberr というわけなので、あれは──「比較を突き詰めて行けば」という話ではなくて──「ルーマンは比較の作法を突き詰めてないからダメだ」(=ルーマンには抽象性が足りない)という方向での批判だったのでありました。
2013-04-16 19:12:07@contractio 了解しました。おっしゃる通り抽象度を一気に低めているのが問題だという批判をもっとルーマンの理論全体に関わる批判として受け取っていたために誤解していたようでした。申し訳ありません
2013-04-16 19:13:30@contractio あの時ぼくは ルーマンが抽象度を一気に低めていることを認める時、どこまでルーマンに沿って実際の比較が可能になるのか という質問をしたつもりだったのでより混乱してしまったようなのですが……
2013-04-16 19:17:36@contractio これへの答えは実際にどれとどれを比較している場面を問題にしているかを検討しないと一概には答えられないし、ざっくりでも答えるには先ほどのように現状のルーマン研究が足りない、ということでいいのでしょうか
2013-04-16 19:19:27@contractio たとえば与党/野党コードが実は意見の相違の併存に対する許容度を高めることについての具体例になっていなかった場合、ルーマンに沿うならばどういう風に埋め合わせをしていくべきと考えているのか、ということ、で伝わりますかね
2013-04-16 19:24:11