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aisakiyuji
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小説の応募作の評価シート等でよく「視点が混乱している」という書かれ方をする人がいると思いますが、つまりどういうことなのか。
2013-04-23 22:24:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
例えば、お母さんが台所から子供を呼ぶ場合、日本語だと「ごはんできたよー」「いま行くー」と、こんな感じになります。
2013-04-23 22:33:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
これが視点の違いというやつで、この状況のやり取りの場合、日本語だと子供の視点で話され、英語だと母親の視点で表現されます。
2013-04-23 22:37:41![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ちなみに英語だとベッドの上でも「イクーーーーーーーーーー!」が「クルーーーーーーーーーーーー!」になりますが、それはここでは置いておきましょう!
2013-04-23 22:39:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
つまり日本語では、人に呼ばれた場合「いま行く」というのが正しいので「いま来る」と言うと変な表現になります。視点が混乱してるとか、視点がおかしい、という場合、つまりそういう表現が多出してるということです。
2013-04-23 22:47:26![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「小説の文章において、誰か特定の人物に視点を置いた場合、選択する日本語が制限される」ということなのですが、これを気にしていない人は多いです。
2013-04-23 22:54:03![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
この制限を気にせず、自分の書きやすい文章で手クセのように書いてしまうと、いわゆる「視点が混乱している」文章になってしまいます。
2013-04-23 23:02:56![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
例え視点が混乱してても、文法的に間違ってるとは言い難く、文章としては成り立ってしまうことがあるので、気にしてないと気が付かないことが多いです。「いま来るー」レベルの判りやすさだと流石に変だと思うでしょうが、そんなんだけでも無いので。
2013-04-23 23:15:17![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
応募作で「視点が……」といって問題になるのは大体このパターンです。きちんと意識さえすれば割と簡単に解決する問題なので、気を付けてみてください。勿体ないです。
2013-04-23 23:20:44ラノベ読みの意見
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「小説の文章において、誰か特定の人物に視点を置いた場合、選択する日本語が制限される」意識は、ある程度の数の物語に触れていれば気にしそうなもの、あるいは自然と身につきそうなものだけど。ネットの新人賞入門サイトでも一通り読めば意識できる簡単な問題にも思えるのに、それすら怠るとはねえ。
2013-04-23 23:01:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
物書きでも物書きを目指すものでもないのに『物語のイロハ』みたいなのを語るのはどうなんだろう、と思うことがあるが、読者の視点も大切と言うか、物語を最終的に評価して結果を突き付けるのは新人賞の下読みでも審査員でも出版社でも編集者でもなく、読者だという意識があるので言うようにしてます。
2013-04-23 23:05:25![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
『観測者効果』という言葉がある。量子物理学の世界で、「誰も観察していないときには素粒子は波になり、誰かが観察しているときは粒になる」ことなのだけれど、この言葉、情報工学や社会学でもよく使われる。超単純に言えば、見る人によって本来の物事が微妙に変化してしまうことだね。
2013-04-23 23:03:24![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「小説の文章において、誰か特定の人物に視点を置いた場合、選択する日本語が制限される」も同様で、本来なら作中の世界は作中だけで完成しているので、作者や読者の存在で本質がブレることがあっては正確な描写とはいえなくなってしまう。その観測者効果を補正してやらなければ正しい描写とはいえない
2013-04-23 23:08:01![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ラノベ読者として単純に言わせてもらうと、視点がごちゃごちゃする作品は、読んでて気持ちが悪い。何で気持ち悪く感じるかというと、やっぱり頭のどこかで「これは正しくない描写だ」って感じてるからかな
2013-04-23 23:15:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ライトノベルの観測者バイアスとは、例えばSAOのキリトさんは原作では人並み以上に努力して挫折しまくりの苦労人なのに、アニメ版しか見てない人々の偏見によって脳天気なくせに簡単にクエストをクリアしちゃう完璧超人の俺TUEEE扱いされてるように、本質が歪められてしまっていることを指す。
2013-04-23 23:28:36