物語をどう語るか(表現・演出に関して)
ここまでのK村的感触。文章はみなさん書けてます。よく言われるような、1/4は日本語じゃないからバッサリ、なんてことは決して、ない (K村)
2011-01-31 21:26:01むしろ回を追うごとに日本語率は上がっていると思われ。ただ、意味が読みとれる文章と、小説として書けている文章は実は全然別。その意味ではまだまだな人が多いように思います (K村)
2011-01-31 21:27:19ちなみに、小説における文章とは、事実を正確に伝えるためのツール、ではありませぬ。事実だけが必要なのであれば、箇条書きでもキャラクターの年表でも事足りるはず (K村)
2011-01-31 21:28:54または、では小説における文章とは、何を伝えるためのツールなのか。そのへんが見えてくると、原稿の質がグイっと上がるんじゃないかなぁ、と思えるような応募作をよく見かけますです (K村)
2011-01-31 21:32:25もしかすると、伝える、だけだと誤解されるかもしれません。最終的には、情報の伝達および文章そのもので受け手になんらかの情動を与える、が正解じゃないか、というのが現時点でのK村的意見だったりします (K村)
2011-01-31 21:40:37@GA_bunko 私が講師やるときに生徒さんに繰り返し言うのは「ドラマとは事件ではなく、それによって引き起こされる登場人物の心の中の葛藤と変化にある」ということです。どうも出来事さえ並べればそれでストーリーになると思っている人が多いんですが、そこらへんがわかると伸びるとオモ。
2011-01-31 21:59:39昨日のツイートで誤解している人がいるようなので補足。情報の伝達および文章そのもので受け手になんらかの情動を与える、というのは、言い換えると事実を伝えることで、受け手の気持ちに変化を与える、くらいの意味です (K村)
2011-02-01 12:04:19すなわち、文章そのものは簡潔でOK。長くする必要もないし、いろいろ書く必要もない。修飾をいたずらに増やす必要も、ない (K村)
2011-02-01 12:05:30大切なのは、事実を事実として伝えるだけではなく、その伝える事実は伝え方によって、受け手にどんな気持ちを与えたいと意識するか、ということ (K村)
2011-02-01 12:07:03例えば2人のキャラクターが向かい合って立っているとして、2人の距離が何メートルとか、風速何メートルとか、そういうのが客観的事実だとしましょう (K村)
2011-02-01 12:09:02でもそれだけを伝えても、その2人がどういう意志で、どういう感情でそこに立っているのか、受け手にはサッパリ伝わりません (K村)
2011-02-01 12:09:30そこで、文章に載せる情報を、キャラクターの表情や思い、または同じ風が吹いているにしても、その場の雰囲気に合った描写に変えてやる (K村)
2011-02-01 12:11:14以前ブログでも書いたような気がしますが(http://ga.sbcr.jp/bunko_blog/2010/06/04/)、シーンを書くにあたって演出意図を持ちましょう、というのはそういうこと (K村)
2011-02-01 12:14:16このへんは、映画やアニメを意識してみるとわかりやすいかもしれません。例えば“ドアを開ける”という動きがあったとして、ホラー的演出ならどうするか、コメディならどうするか (K村)
2011-02-01 12:17:03または、ドアの向こうに何が待っていて、開けると何が起きるのか。こうしたことから、そのシーンには必ず“伝えたい空気感や雰囲気”などが見えてくるはず (K村)
2011-02-01 12:17:51そしてそうした“伝えたい感情”をうまく伝えることができる文章が、小説としてはいい文章なんじゃないかなぁ、と思ったりするわけです (K村)
2011-02-01 12:19:34でまあ、なんでこんな話になるかと言いますと、時々キャラクターがやるべき事はやっているのに、おもしろさが全然伝わってこない原稿、というのがあるんですね。対決のシーンであれば、緊張感がない。襲われるシーンなのに怖くない (K村)
2011-02-01 12:21:06で、こうした原稿は、往々にして“最後までちゃんと書けてるし、キャラクターもストーリーも整っているのにつまらない”、となってしまいます (K村)
2011-02-01 12:21:59