芦田宏直先生の連続ツイート 学校教育とは何か。「できない学生」ほど大学に行くべきだ。
〈新人〉が矛盾した存在であるように、ストックの“有用性”も矛盾した存在なのです。〈大学〉はいつもいい意味でも悪い意味でも〈新人〉のように清められているわけです。それは、機能主義的な述語を決して吐かない。
2013-04-24 23:58:33「産学協同」的な大学の社会化は反って、社会を狭くするだけのことです。それは単に“原子力ムラ”を作っただけのことなのです。不純な新人だったわけです。
2013-04-24 23:58:48大学は、〈新人〉を発掘・発見する最後の学校教育の牙城です。これは決して、大学全入時代以前の、大学ノスタルジアではありません。「できない学生」=全入学生ほど、短い時間の「必要」で生きている。何を言っても「何の役に立つの?」と聞いてくる。これは動物的な生死反応に近い。
2013-04-25 00:03:25「勉強ができない」からと言って、この子どもたちを大学の外に追いやったら、彼らは一生、生活=生死に追われることになる。機能主義者のように述語ばかりを拾い集めて生きることになる。〈新人〉になる契機を永遠に失うことになる。
2013-04-25 00:04:02「できる学生」は意味のない受験勉強で、多少の遊動経験があるが、受験を経ないで社会に出る「できない学生」は、動物のように必要で生きている。だから使い捨て人材になる可能性も高くなる。必要は別の必要によっていつも代替され続けるからだ。
2013-04-25 00:04:30高校までの教員も、仕事で=必要で「知識」を扱っているだけだが、大学の教員は寝ても覚めても勉強している(徐々にそんな教員は減ってきているが)。だから、純粋な知識、遊動としての知識に一度は出会うべきなのです。「できない学生」ほど大学に行くべきだと私は思っています。
2013-04-25 00:05:03そもそも、〈大学教授〉とは、〈終わり〉を「見た」(gesehen haben)教員です。ハイデガーはそれをこそ、ギリシャ的な「ノエイン」(思考)としていたわけです。だからこそ、「○○入門」などの入門書=〈始まり〉の書を書ける人は、名誉教授級の先生たちでしかない。
2013-05-03 02:44:20昔の大学では、新入生たち初年次の「概論」講座(哲学概論、社会学概論、心理学概論などの)はその学部や専攻を代表する教授が担当していました。「概論教授」とは名誉教授を意味していていたのです。
2013-05-03 02:44:40最近は新書・文庫の大衆化とともに、この大学カリキュラムの見識が崩壊し、勉強が足りない“先生”たちばかりが啓蒙書と概論講座を担当していますが、それはギリシャ的なアルケー(始まり)、そしてその意味での〈ウーシアοὐσία〉の軽視でもあります。
2013-05-03 02:45:24「終わりを見た」人とは、〈始まり〉に自由に遡行できる人のことなのですから、それは、どんな躓きでも自由に解放できる人のことです。それを「教える人」と言うのです。
2013-05-03 02:45:45昨年亡くなった吉本(吉本隆明)が、大学を引退した名誉教授が地域の小学校に算数を教えに行ったら、数学嫌いなんていなくなるだろうと言っていたことがあります。その通りなわけです。
2013-05-03 02:46:03どんな人間も専門家(ストックの持ち主)として生まれてくるのではない。どんな専門家でもはじめからテクニカルタームを使っていたわけではない。〈どこか〉で、その道に入った。〈どこか〉でその人も「できない学生」だったわけです。
2013-05-03 02:47:00その〈どこか〉の〈限界=境(ペラス)〉に立ち続けることのできる人を“専門家”と言います(この言葉は、私は好きではないのですが、とりあえず)。ストックとは、〈限界=境(ペラス)〉に立ち続けるパワーのことです。
2013-05-03 02:47:31中途半端な人工言語を駆使してこの〈限界=境〉を忘れる「体系」は、もっとも、このアルケーの思考に遠い。そしてこれこそが〈新人賞〉の振幅(Schwung)、キャンパスの「遊動Spiel」というものです。どんな「体系」よりも、このアルケーの振幅の方がはるかに射程が広いわけです。
2013-05-03 02:48:08だからこそどんな「できない学生」でも受け入れることができる。中途半端な教授たちばかりが学生の“基礎学力”を選びたがる。それは、終わりにも始まりにもまだ至っていない人たちだからです。つまり、大学教授こそがいつも新人賞の論文を書き続ける人でなければならない。
2013-05-03 02:48:37専門家のストックとは、体系化(述語の定義)によって忘れがちなアルケーへの遡行力のことであり、その都度自分を更新し続けるパワーのことを言います。
2013-05-03 02:49:05何回でも新人賞作品を書き続けることのできる人、これがハイデガーの言う先駆的決意性die Vorlaufende Entschloßenheit(時間的な封鎖解除)が意味したことです。良心のニヒティッヒ(nichtig)を持つ人のことともハイデガーは言っていました。
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