【つい武】足利と三好、ときどき細川

足利義輝さまのお話まとめました。
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@13ystl

今日は話をしようと思ってな。何にしようかと考えていたんだが、俺と長慶の関係について話す事にした。

2013-04-29 22:12:30
@13ystl

では話そうと思う!が、ちいとややこしい。俺ですら抜けているところがあるだろうから、間違っていたら遠慮なく申せ!

2013-04-29 22:26:33
@13ystl

まず俺とあいつの事を話そうと思うと、俺の父である12代将軍足利義晴、あいつの父である三好元長にまで話を持っていった上で、京兆細川氏の事を挟まなければならないな。

2013-04-29 22:30:31
@13ystl

藤孝も細川の養嗣子だな。細川という家はいくつもあり、藤孝の細川もその一つだが、京兆細川氏というのは知っているか?

2013-04-29 22:34:50
@13ystl

ま、簡単に言えば本家筋だな。名門細川というやつだ。こいつらがほんまにもうよっけいな事しかしや……ごほん

2013-04-29 22:40:34
@13ystl

っとと、電池が切れた。失敬。続けよう

2013-04-29 22:51:12
@13ystl

本当は堺公方やらを挟んだほうがより詳細なんだが、よりわかりやすいかと聞かれればより混乱させるだけゆえな…分けて説明せんと

2013-04-29 23:09:15
@13ystl

簡単に言えば長慶は優秀過ぎたのだなー俺からすれば目の上のタンコブ、さっさとくたばれ(自力本願)というわけだ。俺が傀儡だのなんだの言われるのはこいつのせいだしな。誰が傀儡か。傀儡であればここまで話がややこしくなるか

2013-04-29 23:22:11
@13ystl

長慶が俺を攻めては京都を追いやられたり、御供衆に入れる事となったり、また対立して城を攻められ、六角義賢の仲介あって和睦したものの奴の家臣である松永久秀を御相伴衆に入れなければならなかったり!腸煮えくりかえるわな!

2013-04-29 23:24:48
@13ystl

…いかん、私怨で何の話をしとるかわからんくなってきた

2013-04-29 23:25:53
@13ystl

すまんすまん、整理して言いなおそう。

2013-04-29 23:29:51
@13ystl

父義晴の時代、足利将軍という権威はほとんど地に落ちていた。父のせいではない。時代だな。だが「足利将軍」という名前だけは生きていたから、周りの者たちは足利に継がせるだけ継がせて、実権は自身が握らんとしていたわけだ。

2013-04-29 23:32:26
@13ystl

そしてその実権を握っていたのが京兆細川氏でな。堺公方やら京兆細川氏の中での諍いをすべて省いてしまって悪いが、その京兆細川氏の当主に晴元というのがいた。立場としては12代将軍であった父義晴の家臣にあたる。

2013-04-29 23:34:04
@13ystl

そしてその晴元の家臣が、三好元長。これが長慶の父だ。非常に優秀な男だったらしい。その力を恐れた晴元が(と言われているな)一向衆門徒を使い、元長の腹を切らせた。

2013-04-29 23:36:00
@13ystl

つまり、長慶にとって晴元とは父を殺した憎き相手という事になる。

2013-04-29 23:36:22
@13ystl

さて父義晴はといえば、家臣であるはずの晴元と対立と和睦を繰り返していた。しかし晴元がほしいのは「足利将軍」だ。南北朝時代というのは南朝の天皇に対して北朝の天皇という図式だが、俺の…というより父の時代は、同じように向かい側に堺公方というのがいた

2013-04-29 23:40:06
@13ystl

その堺公方を擁立させられ「足利将軍」にされてはかなわんから、結局晴元は父義晴と俺を擁立せざるをえんかったわけだな。あれの没年は力もほとんどなくなっていた事もあり…

2013-04-29 23:41:27
@13ystl

立派に成長した千熊丸少年もとい長慶は、一応晴元の家臣という事になるが、後に晴元と対立する。ここらへんで晴元がいかに窮地に立たされているかがなんとなく見えてくるか?

2013-04-29 23:47:59
@13ystl

俺としては地に落ちてしまった「足利将軍」の権威を無論元に戻したい。しかし力がない。すると後ろ盾が必要となる。その後ろ盾が晴元だったわけだ。

2013-04-29 23:49:10
@13ystl

晴元と長慶が対立すれば、当然俺と長慶が対立する形になる。

2013-04-29 23:49:27
@13ystl

詳細は省くが、三好政長という男の処遇をめぐって、長慶は晴元と対立した。そして長慶は晴元に反旗を翻す形で、政長と江口合戦という戦を起した。結果は長慶の大勝だ。つまり政長側にあった晴元も長慶に敗戦。これによって俺と父も近江坂本に逃げるはめになった。

2013-04-29 23:55:44
@13ystl

このあとなんやかんやあって(何があったかは長慶にでも聞いてくれ)、事実上細川政権が崩壊、三好政権の誕生だ。将軍であるはずの俺が近江坂本で、長慶の奴が京都に出入りしているから、俺が傀儡などと言われる。

2013-04-29 23:58:17
@13ystl

ここら辺で俺が「おのれ三好長慶」と言ったとしても許されると思う。うむ。

2013-04-29 23:58:55
@13ystl

そうこうしているうちに父義晴が亡くなった。長慶は俺と晴元に和議を申し入れてきたが、こちらが拒否。そのあとあいつの暗殺を二回程試みたが失敗したな、わはは。

2013-04-30 00:00:23
@13ystl

だが皮肉なものでな、俺がまた上洛できたのはあいつのおかげだ。六角義賢という家臣がおるのだが、長慶と交渉し、俺と長慶は和睦する事と相なった。そのときの条件の一つが、「足利義輝が上洛する事」。

2013-04-30 00:04:12