【つい武】去りゆく剣豪将軍
- kyokucho84
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日曜日のアレ
うわお前どうしたそんなもふもふになっちまって "@seikai_m10: おっ! RT 13ystl: 次回!次回っつーか明日だが次回! 将軍職に休みはない・刀は惜しまず畳に・笑顔でさようならを の三本です!"
2013-05-17 23:31:01※このとき清海さんのあいこんがムッ○でした
足利義輝の家臣の話
まず外せないのが、前もちらっと名前を出した大舘晴光だな!「おおだて」ではなく、「おおだち」だぞ。父義晴の時代から世話になっとるのが諱にも表れとるな。
2013-05-18 19:41:14ちなみに晴光の父は大舘常興といって、その日記が『大舘常興日記』として一級史料に指定されとるぞ。常興というのは出家してからの法名で、諱は尚氏という。
2013-05-18 19:43:58晴光に話を戻すが、晴光は主に外交で活躍をしてもらった。武田晴信と上杉謙信、北条氏康…毛利と大内とかな。飛び回ってもらった故、各地に「あとの詳しい事は晴光に聞いてくださいよな!」という書状が現存しとるぞ。
2013-05-18 19:47:29この元政、どうも長生きしたらしくてな。本圀寺の戦いでは武を活かし、俺の弟は義昭をよく守ってくれたらしい。義昭が将軍職を捨て、事実上足利幕府が滅亡して後も義昭についていった。
2013-05-18 21:14:45ほとぼりが冷めたというのもあろうが、「足利幕府から離れた」というのを明確にする家臣が多く、墓は当然すぐには建てられなかった。それを考えると、本当に有難い事だな。
2013-05-18 21:20:55藤孝が「細川」の名を捨てて「長岡」に改名したのも、内外…特に織田に「もう足利幕府から離れた」という事を示すためとされとる。生き抜くための一手だな。
2013-05-18 21:22:20ちなみに墓は俊龍寺にあるぞ!山口県山口市だ。ここを目当てに行くような場所でも、交通の便もない故、まあ気が向いたら見てくれ!豊臣秀吉とやらの墓も一緒に建立されとるぞ。
2013-05-18 21:25:55あとは……まあー貞孝の紹介もしとくか。伊勢貞孝といってな、俺の執事だ。ここでの「執事」は主人の世話係ではなく、いわゆる執政の役割だな。鎌倉時代の北条氏も執事だ。確か。
2013-05-18 21:30:05仕事熱心、と言えば聞こえは良いかな。俺が幕府を取り返そうが、長慶が奪おうが、けろっとした顔で両家について執事の仕事をこなしとった。両方に良い顔をする奴は大概嫌われるもんだ。俺も長慶も激怒して手を組み、共に貞孝を攻めた。
2013-05-18 21:33:31