文学までの軌跡

文学の資格。
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shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

例えば映画という表現は、映像と音がメインである、その為に物語に制限が出てくる。漫画の制限は何か?それは展開だ。コマ割りにより展開自体に制限が掛かる。しかしこういった制限はダメの様に見えるが、その制限の中で磨き上げられた表現に我々は何度も驚嘆した。

2013-05-09 18:50:56
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

それでは小説や文学の制限とは?映像や音では伝えられないって所、そして展開がフリーダム過ぎる所、展開がフリーダム過ぎると音楽の音階と同様で乱雑しても音楽にはならない。ある種決まった美しさが求められるし、決まった美しさだと飽きられる為、センスが必要な部分でもある。

2013-05-09 18:55:45
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

そして最も小説や文学の強みは、想いの外側をなぞり、相手に想いをわからせ、自分の想いをなぞり、自分の言葉を創り、相手に投げかける。その言葉と言葉の間にある、抽象的概念である「想い」を浮き彫りにする事こそ文学の強みだ。しかしそれだけなら線と線が重なり、交点を示しただけだ。

2013-05-09 18:59:10
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

文章を連ね、言い表していくと、その抽象的概念「想い」が「動く」のだ。つまり「想い」が文章により「時間を手に入れる」、それは変化が起きる事を表すわけだ。この想いの変化、「流れ」を表せるのは、映画や漫画では表しにくい。その「想い」の変化を表現する強みは「文学」にこそ存在する。

2013-05-09 19:03:53
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

故に、文学を学ぶ基礎には、絶対的にその想いの外側をなぞっている言葉と、その想いを認識してなければ、文学は学べない。文学は技法ではなく、抽象的概念「想い」、「気持ち」などの、「人」を、「自分」を知らなければ、その「資格を持つ」事が出来ない。

2013-05-09 19:09:27
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

だからまず練習として、自らの想いの外側をなぞり、自分の言葉を創る事が求められる。相手の「想い」の外側はどんなカタチをしてるか、ひとつの質問でわかるとお思いか?つまりそういう事。

2013-05-09 19:11:37